<ツバを吐く人>(注:これは2002年か2003年ころに書かれたものです)

<ツバを吐く人>

 先日本屋で『ジロジロ見ないで』(扶桑社刊)という本をみつけた。様々な原因で顔に障害のある人たちがどういう生き方を送っているのか、実名入りで顔写真ものせて紹介しているという画期的な本だ。

 ご自身も顔の右側に「単純性血管腫」というアザをお持ちになっているジャーナリストの石井政之(まさゆき)さんの呼びかけてできた、顔に障害を持った人たちの自助グループであるNPO法人『ユニーク・フェイス』(このネーミングいいですね)については、以前になにかで知ったことがあり、その活動には興味を持っていた。

 この『ジロジロ見ないで』という本には、その石井さん他9名の人たちが、そのそれぞれのユニークな顔をさらして、カメラに向かってにっこりと微笑んでくれている。

 9名の方々の持つユニーク・フェイスの原因は様々だ。幼児期や成人期になっての熱傷によるもの、「単純性血管腫」「海綿状血管腫」「リンパ管腫」「フォン・レックリング・ハウゼン病」「全身性の脱毛症」などなど。

 生まれついてのものから、人生の途中で遭遇した事故によるものまで、そしてユニークなのは顔だけでなく、ここで紹介されている一人ひとりの人生そのものがとてもユニークなのである。

 この本に登場してくださった方々の勇気には本当に頭が下がる思いがするが、こういう本がようやく日本でも出てきてくれたことがうれしくなった。

 この本を迷わず買ってしまったのは、もしかすると私自身の罪悪感のようなものがあったからかもしれない。

 去年の夏休みに子供を連れて旅行に行った先で、私のミスから7歳になる娘の顔にやけどを負わせてしまった。カレー作りに挑戦しているときに、熱い油にバターを落としたとき、その熱した油が娘の顔にかかってしまったのだ。

 顔の右半分眼から頬にかけて、かかった油によって、だいぶ薄れてきてはいるが、娘の顔には今も頬にそれぞれ1,2センチくらいの長さの滴のような形のやけどの痕が三カ所残ってしまっている。

 それを眼にするたび、私の心はうずく。親として申し訳ないことをいてしまった。しかも女の子の顔に。将来嫁に行けなくなったらどうしよう(つい、馬鹿な親としてこう考えてしまいます)、と。

 この本を読んで、ちょっとショックだったのは、この本の最初に登場している熊本大学で看護学を教えている藤井輝明さんの経験談の中で、今までに見知らぬ人からツバを吐きかけられたことが100回くらいあるというお話だった。

 あるときなどは電車で座っていて、前に立っている人から顔にツバを吐きかけられたこともあるという。

 顔を上げてみると、相手は中年の男で、藤井さんのことをにらみつけながら「チッ」と舌打ちしたそうだ。そこまで露骨なことはそう多くないとのことのようだが、気がつくといつの間にか、服の背中などにべっとりとツバがついていることなどはよくあることなのだそうだ。

 藤井さんによるとそういうツバを吐きかけてくる人たちは圧倒的に中年の男性が多いという。なぜかその世代の男たちが、敵意をむき出しにして挑発してくるのだという。

 この本に登場する顔の障害を持った人たちは、あたりまえのことだが、けっして自分で望んでそういう顔を選んだわけではない。多くは病気や事故によるものであり、彼ら自身になんの責任もあるわけもない。ちょっとの想像力を持てばわかることだが、外の世界に出ていく勇気は並大抵のものではないだろう。

 石井政之さんが書いていた(『顔面漂流記』)ことだが、普通の人たちから軽くいわれる言葉で、彼の気持ちを苛立たされるものに「顔のことなどそんなに気にしなきゃいいよ」というのがあって、そういわれるたびにこう心の中でいい返したくなるという。「それではあなたは顔にペンキを塗って街を歩けますか」と。

 そういうハンディキャップを抱えて悩んでいる人たち、それでも勇気を振り絞って街へ出ていこうとトライしている人たちがいて、一方で、そういう人たちに向かって平然とツバを吐きかける人たちがいる。

 一体「ツバを吐く人」たちはどういう人たちなのだろうか。

 傲岸、不遜、尊大そんな言葉も浮かんでくる。いらつくようなネガティブな波動を常に周囲に振りまいている人たちなのだろうか。その人たちはどういう思想信条を持っているのか。なにかの考えに基づくというより、それはもっと原始的、反射的な行動なのか。その人たちに家族はいるのか。いるとすれば家庭ではどのような夫であり、父親であるのだろうか。たぶん普通に暮らしている、普通の人たちなのだろう。でもあまり幸福そうに生きているとは思えない。

 この下りを読んでいて、私はちょっと前に乗ったタクシーの運転手さんから聞いた話を思い出した。そのすでに初老という気配の運転手さんになにげなく「今まで乗せて一番いやだった客はどんな人ですか」と聞いたときのことだった。てっきり暴力団関係の人たちの話しでも出てくるのかと予想していたところ、「一番たちが悪いのは、中年の酔っぱらいですね」という返事が返ってきて、意外に思ったのだ。

 最悪の客とは、働き盛りにある中年男の酔っぱらいたちだという。そういう中高年のサラリーマンの酔っぱらいが、ヤクザよりよっぽどタチが悪いのだという。そういう客は乗ってきた瞬間からすぐにわかる。タクシーの運転手などは、まるで匹夫馬丁(ひっぷばてい)扱いで、自分と同じ人間とは思っていないような尊大で傲慢な態度でいばりまくる。

 「オイお前」などと、初対面の人間を平気で呼び捨てにして、さらに自分が会社ではどんなに偉い人間かなどと、家につくまでとうとうとしゃべり続けるような輩が、世の中けっこう多いらしい。

 なかには乗り込んできて、住所もいわずに「オイ、おれの家に行け」といって、運転手さんが「どちらですか」とたずねても、「なんだと、お前はおれの家も知らないのか」とからんでくるような客もいたという。

 こうなるとまるでジョークの世界だ。さすがにその客のときは悪質だったので、交番に車を着け、「警官につきだしました」と苦笑いしながら語ってくれた。どこかの会社の部長だと威張っていたが、交番で見せていた名刺の会社名はきいたこともないようなところのものだったという。

 「苦労して下積みからたたき上げてきた人なのでしょう。そういう人間が、酒が入るととんでもなく威張り出すようですね。きっといつも会社では上司や得意先にヘイコラ頭を下げているのでしょう。でも、その鬱憤を私ども相手にされてもねー」と運転手さんは分析する。

 また、ある大企業の重役で、朝いつも迎えにいって温厚な紳士だと思っていた人が、夜に呼ばれたとき、酔って醜く豹変する姿を見て、「もう、人間が信じられなくなりました」とも語ってくれた。

 そう、電車の中で人にツバを吐きかける中年男性たちも、きっとそういう人たちなのかもしれない。

 なにか「きつさ」みたいなものをひっそりと内部に抱え込んだ人たち。いつもなにかイライラとし、怒りや不満を抱え込みながら、それでも歯を食いしばって日々の生活を送っている人たち。いくら強者の振りをしていても、けっして強者にはなれない人たち。もっと大きなものから、人間としての誇りのようなものを日々砥石(といし)で削られるような扱いを受けている人たちなのではあるまいか。

 そういう人たちが、ほとんど自己愛的な幻想に近いささやかな社会的なアイデンティティを保つために、自分よりランクが低いものを血眼になって探し回り、標的をみつけると居丈高になって相手を貶めようとする。

 そういう作業になによりも心的エネルギーをそそぎ込まなければならない人たち。だからこそ彼らは、藤井さんたちの存在に、頭ではなく身体的に敏感に反応してしまうのだろう。目の前にいる人間に向かってツバを吐くこと。それはある意味では、強者の余裕をかなぐりすてて、弱者のいるところまで降りていく、自分を落としていくという深層心理的な作業でもある。

 一方で、この国を動かしている人たち、現政権のトップにある人たちや、どこかの知事などをやっている人、あるいは高級官吏や財界のトップの人たちの言動をニュースや新聞で見聞きすることがあるが、そこにはまったく弱者に対する配慮が欠如した、ただ強者のための強者の論理しかない言動が聞こえてくる。それはその世界にいるものたちだけに通用している隠語か、業界用語のような空疎な言葉としてしか聞こえてこない。

 こういう人たちは実際にすごい権力を振るえる立場にある強者なのだろうが、ハンデを抱えて苦しむ弱者の姿というものは、まったくその視野の隅にも入っていないのではないかと感じてしまう。

 恐ろしい想像だが、彼らの想像力の中では、弱者の存在とは「無」なのではないか。きっと彼らは、弱者たちを目の前にしても、ツバを吐きかけることすらしないに違いない。そういうふうに考えると、「ツバを吐く人」たちはまだしも、その意図とは裏腹に弱者の側にいる人たちなのかもしれないとさえ思えてくる。

 『顔面漂流記』の中で石井さんは、子供たちが恐くて、子どもに会うのを本能的に避けるようになったと語っている。

 子どもの集団などとすれ違うと、「うげー、なにあの顔」「気持ち悪りー」「お化け」などという言葉を、平然と投げかけてくるという。でも、はじめて日本を離れて行ったベトナムでは、子どもたちから「怪我をしたのか」と心配そうに聞かれることはあっても、嘲られたり、奇異な眼で見られることはほとんどなかったという。

 『ジロジロ見ないで』に紹介されている他の人たちも語っていることだが、海外に行くと日本ほど露骨な視線を浴びることは少なくて、本当にほっとするという。これはどういうことだろう。日本の社会が、まだまだ他人の痛みを想像するほどの余裕がなく、まだまだ未熟だからなのだろうか。

 もう十数年ほど前になるが、友達の結婚式で台湾にいったことがある。あるとき台北の街をバスに乗って移動していたが、なにげなく見ていた街を行く人々の中に、たぶんなにかの手術の痕だろう、頭蓋骨の一部がペコンとへこんだ人が歩いているのをみて、ギョッとしたことがあった。そのとき思ったのは、そういう光景をなぜ日本ではみかけなくなっているのだろうということだった。

 人間誰しも生身で生きているわけで、事故や怪我によって身体の一部が失われたり、障害を受けたりする。それはかなりの確率で誰の上にも起こりうることだろう。実際にそういう目に見える障害を抱えた人たちの数は、私たちの社会でもかなりの人口を占ているはずだ。でもなぜか、日本ではそういう人々の姿を、日常的に眼にする機会が少ないような気がする。

 そういう人たちは一体どこへいってしまったのか。医療の進歩で、そういう障害を目立たないようにする技術によってカバーされているのか。それはむろん障害を受けた人たちにとっては、大きな救済となっているのだろう。

 しかし一方では、現在の医学でもまだまだカバーしきれない障害を持つ人たちも多いはずだ。この本に登場する人たちも、そういう障害に苦しんでいる人たちなのである。そういう人たちにとっては、日本の社会はたぶん生きにくくなっている。目に見える障害がたくみに隠される技術が進歩した反面、カバーしきれない障害を受けた人は、よけいに目立ってしまうというジレンマがあるのではないか。

 ベトナムでは石井さんの顔のアザがほとんど注目されなかったのは、戦争の後遺症で身体に見に見える障害を抱える人たちを、ベトナムでは社会に多く抱え込んでいるからだろう。障害を持っている人がいることが当たり前の社会、そういう健全さを、もしかすると私たちの社会は失ってしまったのかもしれない。

 そう今の日本の社会は、身体的なハンデを抱えた人たちが街角からたくみに排除されてしまった特殊な社会なのかもしれない。そこでは元気で健康な平均的な人々だけに合わせて、社会がデザインされていて、障害のある人、病気の人、老人、妊婦、疲れた人などにとっては、とても居心地の悪い世界になっているのではないだろうか。

 そういう人たちはどんどん排除されて、ますます街は均一で、消毒された「抗菌仕様」のものになってしまっている。でもその健康で明るい街角の主役を演じいていられるのは、人生のほんの一時期でしかない。人は誰もがやがて病んで老いていくものなのだ。

 ならばもっと人間の自然に見合った、子どもから老人までのすべてのライフサイクルや、障害を持った人たちにも応じた社会を、私たちはデザインし直す必要があるだろう。

 近年「ユニバーサルデザイン」という言葉が広がりつつある。これは、様々な多様な人間のあり方をはじめから想定して、暮らしの道具や街並みを誰でもが使いやすいようにデザインするという発想のものだ。でもそれは物の世界だけではなく、心の世界にも求められている。「存在のユニバーサルデザイン」みたいな考え方が、きっとこれからの社会には重要なキーワードとなるだろう。

 石井さんらは、ユニークな顔を持つ人たちに対応するときの心得として、あからさまにジロジロみるのではなく、「好意ある無関心」を私たちに求めている。

 また、直接会って話すときなどには、相手にしっかりと目を合わせて話してもらいたいという。そうされることで相手からしっかりと受け入れられているという感覚をもらえるのがうれしいというのだ。相手の顔のことを意識しすぎたり、無視したりという極端な反応の、ちょうど中間のポジションがいいという。そういうことははっきりといってもらわないとわからないところがある。

 「ツバを吐かれる人」である藤井さんは、自分の顔をジロジロとみつめてくる人たちに、つとめて笑顔で挨拶するようにしているという。

 かつてはそういう視線に対しては、にらみ返すこともあったというが、そうする自分にちっともいい気分にはなれなかったという。それで今では作戦を変えて、そういう視線を受けたときには、笑顔でおじぎするようにしている。

 すると多くの人はキョトンとするが、なかには笑顔を返してくれる人や、おじぎを返してくれる人がいる。誰にでもできることではないだろう。少なくとも私が藤井さんの立場だったら、とてもできるものではないなと思う。でもそうするようになって、とても自分の気分がとても楽になったと話している。そしてもっと気軽に「その顔はどうしたんですか」とたずねて欲しいという。

 まだまだ互いにわからないところがいっぱいある。

 でも、そこからしか出発できない。慣れないうちはどうしても、思わずハッとしてしまったり、ジロジロみつめてしまったりということは避けられないと思う。そのためにもお互いがもっと率直に感じいていることを話し合っていく必要があるし、もっともっと私たちの前にその姿をみせてもらうしかないのではないかとも思う。お互いに、いることが当たり前という状態になれば、子どもたちの反応もきっと変わってくるだろう。

 先日、家族で外食にいったとき、話題がなぜかやけどのことになり、私は娘にあらためてあやまった。そして恐る恐る顔の「やけどの痕」が気にならないか聞いてみた。するとこの春小学3年になったばかりの娘は、元気いっぱいこう応えてくれた。

「これもうち(横浜生まれのくせに自分のことをなぜか「うち」と呼ぶのだ)のファッション!」。

 ダメな親は、その一言に深く救われた。

注:おかげさまで、娘の顔のやけどの痕もすっかり良くなりました。

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