夏の思い出③(141)
今日も外は日差しが刺さりそうなくらいの暑さでしたね。
仕事の帰りに、コンビニに寄って、梅酒サワーとお惣菜を買ってきました。
頑張って、noteを書き上げて、一杯飲みたいと思います。
✿
私の子どもの頃のお話…
私が子どもの頃、夏休みなどの長期の休みになると
必ずと言っていいほど、私は母方の田舎へ一人で送り出された。
母方の田舎は北陸方面…大阪からはサンダーバードに乗って行くか、
親戚のおじさんが、大阪で仕事があると、
帰りに一緒に帰る…そんな感じの移動だった。
長期休みのほとんどを田舎で過ごすのだが
いまだに、なんで家を出されていたのか謎だった。
(母は他界し、父も家にいない人だったので、もう誰にも聞けない感じ)
今から思うと、母方の田舎は、まるでジブリのトトロの世界観だった気がする。
窓から見える景色は広大で、川遊びをしたり
森の中の神社は、苔むして、ところどころに日が差し込み
コトダマでもいそうな感じだ。
ちょうど家の裏が、小学校に面してて
当時はフェンスや柵もなく、家の裏から出入り自由で
誰もいない夏休みの学校の
運動場や体育館(空きっぱなしだった)で走り回ったり、
木造の校舎に忍び込んだり…
私よりちょっと年上のいとこが数人いて
そして、「カンタ」みたいないとこもいて
いつも一緒に遊んでもらっていた。
遊ぶ予定がなければ、1日中、ゴロゴロと縁側で昼寝をしてたり…
夜になると、大家族が集まって、一家団欒…
おばあちゃんの作る、壬生菜のおひたしが大好きで
私がくると、いつも作ってくれた。
当時住んでいた大阪の家は、都会の真ん中にあり
幹線道路に面していて、街路樹が数メートルおきにあるくらい…
なんとも殺伐としてて、
田舎の暮らしとは対称的だった。
私はまるで、トトロのメイちゃんのように、
田舎暮らしを満喫していた。
みんないい人たち。
カンタ(仮名)が高校生になったころ、私は小学生。
ヤンキー化してて、ちょっとびっくりしたのだ。
ある日、玄関から声がした。
「カンタくん、あそびましょ!」
のぞきに行くと、ビーバップハイスクールか!ってヤンキーがいて
私に、「カンタくんいますか?」と丁寧に聞く。
最初はビビったが、めっちゃいい子やったな。
大阪のヤンキーとは大違いだった。
母は、自分の生まれ育った場所
自然の中で、思いっきり遊ぶ体験を私にさせたかったのかな…と今は思う。
この貴重な体験が、今の私を作った材料の一つかな…
今日は、近くで花火大会があったみたい。
ベランダからみた花火を見て、なんだか昔のことを思い出したのでした。
なんか、とりとめもなく、昔の話を書いてしまいました。
コロナ感染が広がってきましたが、
みなさま、気を付けてお過ごしください<m(__)m>
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