ミリオタは森を見ずに木を数える
私自身、ミリオタです。
中2から始まり、もう40年はやっているので立派な中2病です。
結論;どうしてミリオタという人種は戦術大好きなんですかね。
そろそろ、大きな視野を持ちませんか?
(私も含めて。進みたいんだ、匍匐前進で)
きっかけは今から10何年前くらいでしょうか。
電子書籍が“普通に“出始める前。
当然、歴史学の研究方法など学んでおりませんから
①まずは資料(紙)を鬼の様に集める。
②とにかく読み込んで、スペックを暗記する。
③細部までそれを突き詰める。
Wikipediaが出ても、所詮はネットの情報は少ないなと思っていました。
今もそれは同じです。しかし、
「あぁ、暗記しなくても調べれば分かる事はわかるんだな」
と気がつきました。
これは大変な呪縛からの解放で、紙の資料の中には数字情報だけを重視するのも無いわけではありませんで、少なくともそれを買って暗記しなくても良くなりました。これでやる事が一つ減ります。
次に、その時間で何をすべきなのか?考えるようになりました。
知り合いには写真を見たらその戦車が何型なのか分かる人もいて、それはそれである種の方向性なのでしょう。だがそこで違和感を感じ。。。
それを自分の中で切り捨てる事にしました。
ゴールが違う。。。
こんな風に思う様になったのは、
その頃より前にUボートに凝り始めたのもきっかけです。
Uボート戦は制海権という言葉も当てはまりにくく
(武装が強力な現代とは異なり)、
何で勝てるの?と通商破壊戦の意味を考えたのも大きかったと思います。
あれ。。。海の戦いではどんなに兵器が優秀でも(当時のレベルでは)
勝てない。。。
そこでやり始めたのは、鬼の様に持ってる資料を整理する事でした。
全部、蔵書表に付けていたのでMaxの冊数はミリタリーだけで2,300冊を超えていたと思います。ネットで“被害者”を見つけては、その子のうちに無条件に送り込んでいきました。(彼はもう社会人だろうなぁ、元気かな)
惜しみなく紙を手放していくことで、大事だと思ってた90%は実はただのコレクションで買った日以外には開く必要も無かった事に気が付きます。
逆に言うと“翻訳本というのはそれだけ内容が薄い“んだなぁと感じました。
(日本語のUボート本も同じです。所詮はドイツ語か英語の本を元本にしてるんだからそっちを見ればいい)
こうして和書は100冊以下くらい(洋書はそのまま)まで絞りました。
次に、大幅に減らした一方で電子書籍で洋書を買って読むことを始めました。読もうと思えば紙の本でも読めますけど、やはり電子書籍は便利です。文字列を選べば勝手に翻訳してくれます。
そんなことをやってる中でこんな本に出逢います。
(和書が悪い訳ではありません)
「あぁ、昔やってきた事は“戦術“だったのか」
(詳細はこの本買って読んでください)
今の私は
①スペックは憶えません。(分からなかったら調べればいい)
②局地戦の出来事や、個人の性格とかスルー(適当に覚えとく)
③資料を読むときは、細部は無視。ゴールだけ気にする。
本当に後で気になったら、細部はやり直せばいい。
④現代数学を学ぶ。
④の「現代数学を学ぶ」意味が不明だと思います。
いわゆるミリオタのやり方って現代数学の学び方と“見かけ上は“似てます。
数学は厳密さが要求されるので、それでいいんです。
それは歴史学をやるのには、効率が悪い気がします。
細かい点を一つ一つ検証して、ゴールに達成する。
あれ、ミリオタのあなたの「ゴール」って何ですか?
今日も、Amazonを検索していると星一つのレビューが目に入りました。
もう酷評です。この記述が違う、著者は何をやっとんじゃ。。。
ご指摘は正解です。でも、あなたのゴールは何なんですか?
そんなに気になるなら、あなたがその本を書けばいいじゃないですか?
私はもう、周りの人が多少違うことを言っていたり、
本で書いてる事が違ってもスルーします。無駄なので。
私は最強の世界を作りたいんだ、木なんて数えないでいいから。
そこは“森“なんだよ。地図に“森“と書けば終わり。
さぁ、先へ進みましょう。