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木と森と関係のデザイン

長年にわたり私が地元商店街の理事長を務め(といっても年齢的には末席の方なのでしたが)活発に街づくりの汗をかいたせいもあってか、くらし座へは意匠を学ぶ学生さんの他、街づくりを学ぶゼミの学生さん達が話を聞きによく来てくれます。自分の子供より年下の学生さんが目を輝かせて活きた街づくりの話やプロダクトデザインの話を聞く姿を見ていると、いつも応援したくなります。

そんな彼らにいつもきまって言うことは、「プロダクトデザインも街づくりも商売(流通)も大切なのは人だよ。もちろん政治も。」です。

「誰がどこを向いてデザインしているのか?しようとしているのか?」がとても大切で、技術構築の前にかなりの時間をかけてその構想を練ることの重要性を伝えます。そして特に街づくりにおいては外科手術的な手法の話はよく聞きますが、その前に手厚い内科医療が必要であり、その前には精神の安定が必要ではないか?!的な話へと続きます。

空洞化がすすむ街の活性化について他の成功事例を揚げた「スクラップ&ビルド」の話は当時も今もよく出てきますが、当事者であります商店街の立場としては「スクラップにならないためには今何をしなくちゃいけないのか?」自分たちの反省や課題を含め考える方がずっと大切だと思ってきました。もちろん都合のいいタイミングの人もいるかもしれませんが、スクラップにはそれ相当の人の痛みを伴いますからね。戦後の焼け野原状態ならまだしも頭から外科手術的な街づくりの話にはいつも疑問を持ってしまうわけです。

昔も今も「木を見て森をあまり見ない人」「森を見て木をあまり見ない人」が対立軸をつくり上げます。例えば外交などが関わる国政なんかあれば前者には不安を覚えすすにはいられませんが、後者だってディテールへの気配りが後退し過ぎると、遠くから眺めた美しい森に近づいてよく見てみると「それは木々ではなく青カビだった、、、」ってこともあり得るわけです。

これは私たちが携わっているモノづくりから販売に至る流通の姿にも、そっくりそのままなぞることが出来ます。当たり前のことではありますが、この「木」と「森」、これからの時代はこれまで以上にグループエゴとは一線を画した関係のデザイン、絶妙なバランス感覚を意識し行動することがとても大切に思えます。


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