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今日は遊んだ。一日中ってわけでもないけど3分の2にちくらい

久しぶりに行くところばかりで楽しかった。4月から地元(生まれたとこ)で働くのにこんな地元(小中高を過ごしたとこ)でこもっていていいのかとは思うけどね


そうそう今日はあんまり楽しくない話について考えてた。


twitterで見た、「自分にとっての正義と他人にとっての正義 (正論だったかな?)の距離感を間違える人が怖い」と言う一言だ。

二つの意味で考えることがあって、

・物事を押し付けるような物言いになってないか

・そのような人と付き合うにあたり、知らず知らずにストレスを溜め込んでいないか

一つ目は、前書いたような気がするけど、「自分の考えだけが正しいと思わないで」論につながるものである。出来るだけ物腰柔らかく、(自分にとって客観的だと思った時は特に注意して)これはこうじゃない?と伝えるようにしてる。でも、まだ言われる。どうやったら治るんだろう。二十歳こえてもこんなんで未熟な自分が嫌になる。自分の意見を持つことと押し付けることの違いが分からないよ。そんなに自分の物言いが他人を不快にさせてるんかな。

そうやって言ってくれる人が周りにいるだけまだマシなのかな。

これは高校の部活の先生から学んだんだけど、特に人生の大事な局面には

「自分に対して欲しい言葉をくれる人」でなく、「欲しくない、できれば耳をそむけたい言葉をくれる人」を大事にせよ、

という信条を今も信じてる。これはもう反論の余地がない。本当にその通りだと思う。


二つ目、これはもう明らかに心当たりのある人が複数人いて、多分前に書いた、美しくないものについて語りたがる人々がほぼそれに該当する。

要するに悪口を聞いて、こっくり頷いて適当な相槌をうって欲しいという例のアレだと思う。壁とかに話せよ、マジで。そこに哲学はないし、対話による広がりも期待できない。第一片方しか話してないし。

多分そういう話し方、物事の見方の癖がついちゃってるから、その界隈(?)傾向を持つ人たちだけで負のエネルギーを集中させといて欲しい、ほんで集団自決(笑)

明らかにストレスを抱えてる。自分だってnoteに「考えたこと」とか称してある意味愚痴を垂れ流しているのだけれども、、、

何かを考える、気づくきっかけにしようと「創造」しているわけで、、、

それも言い訳なんかな、あーあもう考えるのめんどくさい、酒飲んで寝よ。

全然関係ないけど最近 indigo la end の「はにかんでしまった夏」ばっか聴いてる、早く夏こんかな、、



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