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高山なおみを読むこと

パーマをかけてから、なるべく髪は下ろしているようにしているけれど、今日の湿度はもう暑い。髪を括り、汗をかきながら床を拭いて簡単ワックスをかけ、冷たいコーヒーを飲んでからまがりに来た。
新しく入った本(左の「 #食べたくなる本 」)を立ち読みしたら、もうダメだ、 #高山なおみ  だ。
… 高山なおみの文章は気軽に読むことができない。読んでいて、どこか物ぐるおしい気持ちになる。…
って書いてある。そうやねん、そうやねん。物おもぐるしいというか、内蔵を触られてヒリヒリするような。
……「私が文を書くということは、体ごと自分を差し出さないと書けない。それはまるで、料理を作っているのとそっくりだと今話していて思った」と高山はスイセイに言う。(ココアどこ…からの引用)…
昨日、タカハシさんのところで、ダラダラと話をしていて、今のこの大きな変化を経て、作家さんたちが、以前のような作品がつくられへんという感じになっているというような話を聞いたが、さっきこのくだりを読んで俄然納得した。
ものを作り出す人たちは、「体ごと自分を差し出す」ことをしているのだから、その時々の自分から生まれるものは、自分をとりまく環境が変われば、当然変わっていくものだろう、と。変化を恐れるなかれ、やな、と一般庶民のおばちゃんが、何やら述べておきます。

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