価値提案の本質

この部分は非常に重要である 企業に限らず組織が存在する意味はここにあると考えられる
自分がこれを書いた理由はこの部分を知ってほしいから

もっと言ってしまうなら個人の価値もこの価値提案に行き着くかもしれない
他人と違いこんな事を提案できる こんな事を考えられる こんなものができる
そういうのも社会的に見えれば 提案や供給で当然多くの場合需要がある

価値提案に対する需要の変化の見極めも大切 需要がなくなっているものに対して
いくら素晴らしい価値提案をしても客は来ない


一例を出すと 株価など情報をすばやく伝えるサービスが古くからあるとする

今の時代はネットであるが それ以前はテレビ ラジオ 新聞などになっていく
重要で忘れてはならないのはその時々で最善と思われる手段を用いていることである
業績などの見通しや事業展望など長期では無理ではある 理由はパソコン通信やネット
テレビの仕組みがない時代にそのことを考えろと言ってもできる話ではない
大切なのはその現状の技術と価値提案を組み合わせて事業を変化されることと変わらない需要があると予測されること

だからレターの郵送や新聞時代の価値提案もネット時代の価値提案も情報量や速度は違うが本質は同じ価値提案をやっている
違うのは道具であり その道具を効率良く使えるかどうかが重要となってくる
言い換えれば同じ価値提案を継続するのに道具や手段(仕組みまで含めて)を最適に変化させることができるかどうか
「価値提案」が変わらないために「方法」を変われるかどうかということに行き着く

テレビや新聞広告は斜陽であるが 広告という事業そのものの需要は変わらない
新聞テレビでやっていた価値提案を同じようにネット上で行えるかどうか 重要なのはこの部分である

言い換えれば参入が難しく
この先もその価値提案に需要が見込め 技術や環境の変化にも対応して価値提案を継続できる事業
を投資家は探すべきであると言える(技術など変化の緩やかな分野選ぶのもこの辺の理由)

事業買収で関係のない事業を買い集めたり 高く売れるなら安易に売るような事業に投資するのは難しい
そういう事業者は今の価値提案とは別の価値提案を同一資本で行っている可能性が高い
言い換えれば事業主のセンスや勘におおきく依存する 他人の投資にそっくり乗るようなものである

ついでの話
テレビや新聞などは価値提案が変化している 本来出来事を伝える価値提案であったのだが
編集しているいるものの意見などを混ぜ込むことが多い これは価値提案そのものの変化である
事実だけ欲しいような人はこの価値提案を拒む場合もあるだろう

投資情報に喩えるなら
株価や業績などのシンプルな情報がほしいのに わけのわからない分析屋が勝手に事業や株価の分析をして
付加価値として余分に料金を乗せてくるような情報サービス
分析屋のファンで情報が欲しい人には素晴らしい価値提案ではあるが
自分で情報分析できる人には過剰で無駄なサービスである
これを一方的に行い客が付かないなどと言っているのは価値提案のなんたるかを知らぬ証拠である

価値提案とそれを継続するためにどうすればいいのかというのがこの本の肝の部分
しかし経営の考えがないものには経営の目的と手段はなにかを端的に説明してくれている言葉であると思います