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痩せないようにカロリーを気にしていた社会人1年目のことを振り返った

振り返りたいことができた。普段なら友達と話したりして考えを整理するタイプなのですが人に会わないライフが続いているので、アウトプットのためにこの場を使うことにしました。

たまたま見た23歳の女性の悩み。同じ栄養士をしている方。職場でいじめられている気がする、圧をかけられている、食欲もない。

まるで23歳の自分を見ているようで、あの頃のことを思い出して心臓がキューっとしました。わたしにアドバイスできることはないとしても、あの頃の自分に対してなら言えることがあるかもしれないので、23歳の自分に向けて思うところを残しておこうと思います。

23歳の私がえらんだ今

私は大学卒業後、管理栄養士の資格を使って仕事がしたかったのですがすぐに就職が決まらず、バイトの日々。新卒採用ではなくて中途採用も含めた病院栄養士の募集に応募し、なんやかんやで新卒の強みもあり大学病院に就職することができました。

仕事内容は、栄養指導、栄養管理計画書の作成、病棟回診への参加、献立作成、献立チェック、患者さんへの配布物の作成とチェック、学会の参加、病棟からの電話応対、委託栄養士さんとのやりとり、調理師さんとのやりとり…今思うと、どうやってこなしていたのかよくわからないぐらいの仕事量…。
(はて?むっちゃきつかったはずやのに仕事自体は自分が苦手なジャンルのものはないし、なんなら好きだなとも思うぐらいやな…時の流れとは不思議なものだわ)

大学病院というところは、病院の機能にプラスして研究施設という側面があり、チームで動いているようで個人の研究もしている特殊な職場。先輩が後輩に仕事の仕方を教えるという文化がほとんどなく、「勉強してください」という考え方。
専門職としてスキルを身に着けるうえで厳しさの中にやさしさもある風だが、あれから干支一回りぐらい経った今になったら「①業務として教えて効率化する方が組織にとって利益になる仕事」「②自身で調べ、学んだ方がまわりまわって組織のためになる仕事」の違いが分かっている人間がいなかった。(私の見える範囲には。)

①はしっかり引き継いで、無駄をなくすべき。
②は最初は大変とはいえ時間をかけたほうがスキル向上になる。

反面教師として今の自分は、後輩に対しては①はできるだけ効率化を手伝い、②については本人に課題を与えるようにしているつもり。
つもり、だけどできているかな、常に意識しせねば、と改めて。。

しかし、当時の23歳の自分は初めての就職。
これが社会の厳しさなのか…?とよくわからないなりに頑張っていた。100点をとろうとしていた。わからなくて人に聞いても「私はそれは教えてもらったことない」と突っぱねられる。(じゃああなたのやり方を教えてよ!!!!怒)
わけわからなくて、たくさん本を買って、過去の書類を夜中まで整理して毎日終電。もう無理、って思うけど毎日の食事は出さなきゃいけない、大きいイベントも定期的にある、目の前には患者さんがいる、予約の患者さんはくる…逃げ場はないと思い込んでいた。
誰も助けてくれない、と思い込んで、帰り道に泣いていた。
そのうち、どうしても朝は起きられなくなって、食欲がなくなった。
金曜の夜だけは仕事のことを忘れられるから朝まで飲んで、土曜の朝には「あと二日経ったら仕事行かないといけない」と胃がムカムカして、考えたくないから本を読んだりテレビを見たりして脳みそを使わないようにしていた。
過去いちばん瘦せたので、説得力のある栄養士であるためにはこれ以上痩せてはいけない、と毎日カロリーだけ計算。自分の活動量に必要な栄養だけ取っていた。(説得力ない笑)病院の売店ではできるだけカロリーの高いものを買うようにしていた。
家では好きな食べ物なら食べられたから、ぶどうと寿司。(謎)
とにかくぶどうと寿司しか食べられなくて、めっっちゃ食費かかった。笑

ある日、家に帰る帰り道で信号待ちをしているとき、もうすぐ信号に差し掛かるトラックを見て、「あーー今飛び出したら、明日がくるよりどれだけ楽なんやろ?」って思ってしまった。
今でもその景色と場所ははっきり思い出す。定期的に、思い出す。

もちろん飛び出さなかった。そして、「ここは私の居場所じゃないんだ」とはっきり思った。
給料もいいし、病院管理栄養士としてキャリアを重ねるうえでこれ以上はないような職場。任期満了後も続けてほしいと言っていただいている。辞めたらこれ以上に勉強できる職場には就職できないかもしれない。

それでも、死にたくなるのは違う。自分が弱いのかもしれないけれど、別に弱くてええやん、って今なら思う。
死んだほうが楽なことなんてあるわけない。だってあれから12年?経ったけど、最高に楽しいことやうれしいことの繰り返しだし、病院栄養士として働くキャリアは積めなかったけれど、後悔は全くない。(続けていたら違う人生があっただろうな、とは思うけど。)

鬱って、心の病気じゃなくて脳の病気。あの時の自分が鬱の手前だったのかは診断していないからわからないけれど、脳がもうね、キャパオーバーだったんだろうな、23歳の自分は。
脳がダメなときは、環境変えるしかないと思う。
異動でもいいし、転職でもいいし、引っ越しでもいいし、付き合う人間変えるでもいいし、なんでもいいんだけれど。こいつ嫌いや無理やと思う人がいたら、その人が異動するか自分がどっかいくかしかない。
自分が変わるのも、相手を変えるのも、めちゃくちゃ難しいし正直変わらないし。変えやすさランキングとしては「1位 環境>2位 自分>>>>3位 相手
だと思うので、環境を変えるのが一番。そのための努力ならしてもいい気がする。そして相手を変える努力は、労力かけるだけ無駄な気がする。(確証がないので、気がする、という逃げ)

ちなみにある程度経験と努力をすれば、少しは「自分を変える」ことも「相手を変える」ことも可能だと経験として分かっているので今は働くのがずっとずっと楽。
ただ、23歳の自分に言いたい。今はそこまでやらんでええで。環境を変えればすぐに素晴らしい人たちに出会えるよ、と。

私はその病院で出会った人たちのことも心から尊敬していて、こういう人たちが栄養学や医学の未来を作っていくんだなと日々感動していたし、自分の分身がつくれるなら少し無理してでも辞めずにキャリアを重ねたかった。
でも、今の人生が最高だから、別にいいのだ。

あの頃の自分に「環境変えても最高の未来が待っているよ」と言えるように、今を丁寧に生きようと、改めて。
ストレスで心がやられると、なんであんなに、真っ暗な箱の中に閉じ込められたような気持ちになっちゃうんだろうな。
本当につらいよなぁ。つらい。逃げても逃げなくてもいいんだけど、悩める23歳のあの頃の自分には自己中心的であってほしい。

あーーまとまりのない自分のための文章になってしまった。とはいえ私はすっきりした。
おしまい。

▼もう二度と管理栄養士はかたらない!と思っていたけれど結局、管理栄養士として動いている私はこちら。笑


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