【エッセイ】仲居さんという存在
子供の頃。毎夏、家族4人で海水浴に2泊3日で出かけていたのは、オレが肌が弱くてあせも体質だったのが理由だった。大人になって、そんな傾向はすっかり無くなったのだけど。
実家は大阪だったので、行き先は和歌山県の白浜や勝浦、鳥取県の白兎海岸、兵庫県の城崎などなど。一番何度も行ったのは、京都府の天橋立だったと思う。
仲居さんに案内されて入るキレイな和室に窓際の椅子とテーブル。窓からは回転橋が見える和風旅館が定宿だった。部屋に案内されると、父が必ず「お帳場の皆さんで」と、仲居さんにいくばくかのお金(チップというのかしらん)を渡していた。
何年か続けて泊まっていたのだけど、一度眺めの悪い部屋に通された時があって、母が「お金が足りへんのちゃうの」とお冠だったのを覚えている。チップは着いてから渡すので、部屋の悪いのは混んでたのか、父がグレードを落としたのか、理由はよく今でもよくわからない。
まず部屋に入ると仲居さんがお茶を淹れてくれて、それをお菓子といただいていると、女将が挨拶に来る。夕食の時も仲居さんが料理を運んでくれて、合間に最近の気候の話、地元ならではの話などをしたりして。食後はちょっと温泉街を散策、戻るとふかふかの布団が敷いてある。
仲居さんのおもてなしもあって、経験値の少ない子供にとっては、旅館は快適さが詰まったパラダイスだった。
この体験があるからか、今でも和風旅館は大好きなのだけど、仲居さんがしっかり張り付いてくれるというところはめっきり少なく。さらにコロナ禍があったからか、再訪した宿にすでに前回の仲居さんがいなくなっていることも多くなった。
同じ仲居さんに2年連続担当してもらって、裏情報(連泊時の料理とか)までいろいろと教えてもらった経験があったりすると、顔なじみがいなくなるのは、非常に寂しい。
「人が最大のリピート要因」と昔ながらの仲居さんのおもてなしを維持、さらに新卒など採用にも注力することで繁盛している高級旅館もあるようで。宿の方向性が超多様化している今だけど、「仲居さん」という存在を前面に押し出すのは、かなり手堅い戦略かもしれない。少なくともオレは好きだね(^^)。
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