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朝比奈まふゆについて 第一章:朝比奈まふゆは何処に立っている?

 この章ではプロジェクトセカイにおける朝比奈まふゆの立ち位置を、周囲との関わり方を通して考察する。具体的には、朝比奈まふゆが日ごろ見せている「優等生」としての姿は如何に作られているのか、そしてそれはどのような背景から来るのか―――――このことについて考えていく。

注意:重大なネタバレが含まれるので、最低限ニーゴの20話まで読んでから読むこと推奨

1.1 プロフィールからわかること

 まず、朝比奈まふゆのプロフィールをその画像とともに以下に列挙する。

自己紹介

CV:田辺留依
学校:宮益坂女子学園
学年:2-B
誕生日:1月27日
身長:162cm
趣味:アクアリウム
特技:英会話
好きな食べ物:お母さんの手料理
嫌いな食べ物:わからない
苦手:わからない

このCVから苦手までの項目に至るまで、何か「おかしい」と思ったことはないだろうか?あるとしたら、あなたは相当鋭い眼を持っている。上から順に確認していこう。
 まず、CVが田辺留依さんである。私は朝比奈まふゆに命を吹き込んだのが田辺さんで本当に良かったと思っているがそれは今は問題ではない。次に学校が宮女で2-Bである。同じ学年にMOREMOREJUMP!の日野森雫がいるがそれも今は触れない。誕生日が1月27日で、真冬に産まれたからまふゆ、なのかと思ったがこれも違う。身長は162㎝で日本人女性の平均より高く、ゲーム中でもスタイルが良いと言われているようだがこれも問題にはなっていない。また、ひとつ飛んだ英会話について、これに私は一つ引っ掛かりを感じているが拡大解釈の恐れがあるので今回は触れない。問題は上に触れたものを除いた全てなのだ。
 ところでプロセカには図のようにプロフ図鑑に「自己紹介を読む」というボタンが存在する。これの上には朝比奈まふゆは明るくユーモアも効く優等生との旨が(一応)書かれており、その最後だけ引っ掛かるもののそれだけでは先に挙げたプロフの「おかしさ」には迫れない。なのでこの「自己紹介を読む」をタップする。
 するとどうだろう?Aimaこと暁山瑞希の指示を受けたまふゆはいかにも作られたような当たり障りない自己紹介をし始める。しかも、声のトーンは明るく、とても「優等生」然としている。そして、「これでいい?」と確認を取った後、瑞希は「スピーチ慣れてるよね」とまふゆに伝える。ひょっとしたら褒めていたのかもしれない。ところが、まふゆはそれまでの明るく、何一つ憂いのなさそうな声のトーンを変え、「だって、"優等生"だもん」と棒読みで応じたのである。そこにこの朝比奈まふゆという女から、底知れぬ恐怖を感じてしまった読者は多いはずだ。

優等生

 そしてここからさらにまふゆの発言は我々の肝を冷やす方向に向かっていく。その最たるものが、「好き嫌いを書く欄があったけど、好きとか嫌いとかよくわからない」という旨の発言である。これが、冒頭に私が「おかしい」といったプロフの話に繋がる。普通、好き嫌いの欄には何かひとつ、例えば「ラーメン」とか「うどん」とかが書かれるはずで、仮にそれがないとしても「ない」で終わるのが普通である。しかし、朝比奈まふゆの場合、自分の好き嫌いが本当にわからないので「わからない」という書き方をするのである。そしてここで、好きな食べ物として挙げられていた「お母さんの手料理」は「よくわかんないからとりあえず書いとくか」程度のノリで加えられたものであることも分かり、しかもこれを言う時にも一々無感情な棒読みをしている。ここに何があったのかの詳細は第二章にて述べよう。そして最後がアクアリウムである。自己紹介に述べられているのはまふゆの部屋のアクアリウムには水草しかないこと、そして生き物を入れよう、と考えていることである。しかもそれを言う文脈が「ニーゴとしての今後の活動目標」であり、これでは政府の会見中にステーキの話をした某大臣のようである。しかし、なぜこのようなことになっているのか、無意味にそうなっていることは決してない(と、少なくとも私は信じる)。なぜ、そう考えられるのか?結論から言ってしまえば、この水草しかないアクアリウムこそが「朝比奈まふゆ」そのものであり、そのアクアリウムに「生き物を入れること」が今後、まふゆがニーゴとしてやりたいことを端的に表しているのである。このことはこの一連の考察の後半で解説を入れられると思う。


1.2 現実世界のまふゆ

 次に現実世界、とくに宮女などにおけるまふゆを見ていこう。まず、現実におけるまふゆは非の打ち所のない「優等生」である。勉強も運動もできて、特に英語が得意で発音はネイティブ並みということが☆1のサイドストーリーからもわかる。また、部活は弓道部に所属しており、入って以来「的を外したことがない」という。
 とうぜん、彼女は周囲の生徒からも慕われている。休み時間に友達に勉強を教えているということもあり、「頼れる優等生」という立ち位置である。しかし、委員会に部活に忙しいことなどから、友達付き合いがいいとは思われていないようだ。事実、多くの遊びの誘いを断っているようであり、級友の一人が、遊びに誘った友達を諭して「だめだよ、まふゆちゃんは忙しいんだから」などのように引き留めるシーンまである。
 また、朝比奈まふゆはMOREMOREJUMP!の日野森雫からも同じ弓道部員として信頼されていることがわかる。恐らくこれは今後、部活繋がりのイベントになったときに重要になることだが、どうやらまふゆはアイドル活動で忙しい雫のために、(まふゆ本人も相当多忙なはずだが)部活準備や用具の手入れなどをしてくれているようである。こういう所で「気が利く」のも彼女を「優等生」たらしめているのだろう。
 このように朝比奈まふゆはその外観が勉強も部活も委員会もきっちりこなす真面目な優等生として現れる。実際、結果は出すしそう見えるのも無理はないとかではなく、それが朝比奈まふゆの一面として真っ当に存在するのである。しかし、それはあくまで一面で、やはり先ほどの自己紹介の部分における「作られたもの」なのである。


1.3 ニーゴにおけるまふゆ(時系列:メインストーリーの後)

 多くの人は気が付いていると思われるが、プロセカにおいてフィールド上のニーゴメンバーの会話はほぼ全てメインストーリーすなわち第二章で考察するニーゴのストーリー20話の後に行われている。そもそも現実で会うこと自体がストーリー20話のオフ会が初であり、しかも他のメンバーは全員そこで初めてまふゆの本名を知ることになるのである。この節ではそうしたメインストーリー後の会話を取り上げる。

 現実での他のキャラとの会話などとは異なり、ここでのまふゆは「素」が出ている。すなわち、「優等生」でもなんでもない、嫌いも好きも分かっていない、確固たる「自分」が欠落した朝比奈まふゆとして、彼女は現れる。さて、そこに現れるまふゆの「素」とは何であろうか?
 現実世界でまふゆによく絡んでいるは絵名と瑞希である。彼女らはまふゆに、「おしゃれなコーデを試してみないか」とか、「今度のオフ会はどこのファミレスでやりたいか」といったことを聞こうとする(同様の質問を奏にもしている場合は多い)。しかし、そこでまふゆは素っ気なく「なんでもいい」「別に」などと、その話に興味がないということを明らかにしたリアクションを取ってしまうのである。これは他の人相手にはその話には興味がないということをオブラートに包む配慮を見せている「優等生」のまふゆとは対照的であり、良く言えば気兼ねなく接していて、悪く言えば雑な対応をしている。それで絵名を怒らせることもしばしばであるが、お互い気を許せる関係にあるからこそそうなるのだろう。
 一方、「誰もいないセカイ」ではどうか?まふゆはここにいるときはたいてい作詞、作曲、ミックスをしていて、何かを口に出すことはほとんどない。そこに他の3人やミクがやってくる。そして、作業の合間に他愛もない会話をする。しかし、まふゆはそこでも、音楽活動のためのこと以外にはまるで興味を示さないようである。まだ、現実よりかは相手の話には真面目に乗っているように感じるが、肝心なところは何も変わっていない。むしろ、相手の話をシカトして勝手に作業に戻り、文句を言われることまであるくらいだ。
 いったいなぜ、朝比奈まふゆは音楽以外のことにここまで関心を持たないのか?その答えを導く過程は第二章に任せて結論を言おう。これはそもそもまふゆに自分の意思がない、或いはそれに等しいことが原因である。そして、そうやって意思を持たないこと自体が朝比奈まふゆの「素」であろう。学校で「優等生」を演じるのは指定校推薦のための内申点が欲しいだとか、あるいは社会不適合の烙印を押されたくないだとか、そういった自らの願望に沿った理由などではない。本当のところは「他人にそうであるように望まれているから」なのである。
 弓道部に入ったのは最初に誘われた、つまり「最初に入ることを望まれた」から。学級委員をしているのもみんなに「なってほしいと望まれた」から。そして、医学部医学科を目指して勉強する理由も、親に「行けと望まれた」から。全ては他人の都合だ。しかし、その反対言葉としての「本当は弓道部に入りたくなかった」「学級委員になんかなりたくなかった」「医学部医学科に行きたくない」という言葉のいずれも、彼女の本当の望みではない。なぜなら、彼女にはそう考えることの出来る意思がないから。
 そうして他人の言葉を販いで、流されるうちにまふゆの中には「他人」が侵食する。優先されるのは常に自分の「想い」ではなく他人の「都合」である。周りから見れば、とても有難い存在だ。それを是とする生活をいつから彼女が行ってきたのかは分からない。しかしそれでも、そうして「他人」のことばかり優先することが、まふゆの「自分」を確かに覆い隠して、見えなくして、やがて何も思わない、何も感じない人の形をした化け物とも形容出来てしまうようなものに、朝比奈まふゆを作り変えてしまった。


 だからこそ、彼女は失った「自分」を探し始めた。そしてその続きは、25時、ナイトコードで。







おまけ

 私は1節で、「私は朝比奈まふゆに命を吹き込んだのが田辺さんで本当に良かったと思っている」と確かに書いた。その理由は本人の技量や生放送で見られた本人の素顔など色々あるが、やはり私としては以下の画像が決め手だったように思う。

画像3

 なんだか、これ全部作ってそうだな?と思ったあなたへ。そこが決め手だよ。そしてその理由をわざわざ書くまでもないと思う。

 さて、第一章が書き終わった。今回の内容について、読みにくいわ、とか、なんやここ解釈ちゃうやんか、とか思ったら遠慮なく「磯野!野球しようぜ!」と言わんばかりのコメントを送っていただきたい。全部読むし、可能な限り返信する。そこで議論を深め、更なる理解に繋がれば幸いである。もちろん称賛のコメントも歓迎する。俺がPCの前で脱法ロックのMVに出てくるレンくんの首の動きマネながら喜ぶから。

 内容的には次の第二章が本番となろう。そうそう、私は今回の文章の最後は泣きながら書いた。なぜか?

 朝比奈まふゆが好きだから、である。それ以上の理由はない。

 だから第二章を書くのが楽しみでもあり恐ろしいのだ。無限に書きたいことがある。しかしそれらを鮮明に書いていくことはとても怖いことだ。朝比奈まふゆは人の心を失った化け物ではない、朝比奈まふゆをもっと応援してほしい、朝比奈まふゆはかわいい……それを伝えたくて書いていくうち、なんだか壊れてしまいそうな予感がするのだ。

 私は書きたいから書いているし、伝えたいから書いている。その戯れに一人でも多くの人が付き合ってくれることが何よりの幸いである。


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