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「好き!」の理由


おたくになってからまだ日は浅いですが、

なんで私この人のこと応援してるんだろう
なんで私この人のこと好きなんだろう

と何度も考えてきました。


事ある毎に「なんでだろう」と意味を求めてしまうのは私の悪い癖なのかもしれません。



私は自分の気持ちをまっすぐ言葉にすることが苦手で、どうしても着飾ろうとしてしまいます。


ある曲の中に「空っぽな奴ほど詩を書きたがる」って歌詞があって、ああああもう本当その通り。
図星。グサリグサリ。



自分が空っぽな上に意味を求めすぎるから、何にも言葉にできなくて。

言葉にできないと意味が薄れてしまって。

私の周りは意味の無いことばかりになってしまいます。

それを少しでも意味のあることにしたくて、今これを書いています。





好きに理由って必要なんでしょうか

なんだか理由とその必要条件を求めているのが、数学の最後にあった証明の問題みたい。
大きな余白だけが与えられています。



好きの反対は無関心。だから無関心を否定すれば私の好きの理由が分かるかなと思いました。


無関心じゃないことを証明するなんてそれはそれは簡単なことで。
ライブに行ってるのも、特典会・撮影会に行ってるのも、Twitterフォローしてるのも、リプしてるのも、いいねしてるのも、全部「無関心じゃない」ことの証明になる。


でも「無関心じゃない」=「好き」なのかと言われたら

うーーーーん.........

ちょっと違う気がしてきて



嫌いじゃないから好き
嫌いじゃないけど好きでもない

どっちの考え方もあるから、やっぱり「好き」に理由が欲しくなってしまう。


堂々巡り。






ひとつずつ、好きだと感じる瞬間を思い返してみました。


ツイートの通知が来た時

自撮りがあがった時

ライブを見ている時

特典会などでお話している時

生き方や考え方に触れた時

ふとした時




いつもやん????


でも全部本当です。


嫌なことがあっても、生きたくないと感じていても

好きという気持ちは私の中にあるんです。



月末にイベントがあるからとか
週末にお話できるからとか


それが私の中で区切りになっていて、
「もう少し生きていよう」っておもえるんです。


重いかもしれないけど、彼の存在が生きる理由になってくれているんです。





もう一つ、ありました。好きな瞬間。


楽しそうにしているのを見た時。


自分のプロデュース曲で書いた
「そんな日が痛いほど好きなんだ」という歌詞


ライブでその部分を歌う時の顔が、一番楽しそうで輝いているなとおもいます。


自分が生きる日々を、しっかり言葉にして「好き」と言える彼が本当に眩しくて格好良い。



紆余曲折を経て、より煌めく場所へと進んでいく。

そんな姿を見ていたいなとおもうんです。






ただ、
この「好き」がずっと続くとはおもえません。

何においても「永遠」はない。



でも私は
この気持ちがずっと続いたらいいのに、とおもっています。


少しでも長く好きでいたい、そう思っています。



そんな気持ちで居させてくれる貴方が好きです。


空っぽで何も無い私を「幸せ」と「好き」でいっぱいに満たしてくれる貴方が大好きです。






ぜんぶ、自分本位です。
勝手に好きになったのだから仕方ないのかもしれませんが。


それでも私の「好き」がいつかの貴方の支えとなれる日が来るかもしれない。


貴方がいて成り立つ「好き」が、
貴方の中で何かの「理由」になる日。



その日が来るまで、私は貴方を好きでいたい。



貴方が、居てくれることが私の「好き」の理由です。


そこに居てくれれば、生きていてくれればそれで。




貴方が「幸せだ」と言える日々を送れることを願っています。


素敵な一年になりますように。心から。



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