Goodbye Yellow Brick Road - Elton John

When are you gonna come down?
いつになったら降りるつもり?
When are you going to land?
いつになったら足つけるつもり?
I should have stayed on the farm
ぼかぁ農場にいりゃあよかったんだ
I should have listened to my old man
あん人の言うことを聞いときゃよかった
You know you can't hold me forever
なぁ、ぼくを永遠に抱えちゃいらんないよ
I didn't sign up with you
契約したわけでもなし
I'm not a present for your friends to open
ぼくは君のお友達が開けて喜ぶプレゼントじゃない
This boy's too young to be singin' the blues
このガキは生煮えなんだ 歌えないよブルースなんて

So goodbye yellow brick road
だからさよなら、金ぴかのレンガ道
Where the dogs of society howl
犬が吠え合い噛み合う世界
You can't plant me in your penthouse
ぼくをペントハウスに植えるなんて諦めてくれ
I'm goin' back to my plough
ぼくはぼくの畑を耕しに帰る
Back to the howlin' old owl in the woods
森に響くあの梟の声のところへ戻って
Huntin' the horny-back toad
ツノガエルを狩ったりして
Oh, I've finally decided my future lies
うん、ついにやっと決めたよ ぼくはこの先
Beyond the yellow brick road
金ぴかのレンガ道の上は歩かない

What do you think you'll do, then?
きみはどうするつもりだろうねぇ
I bet they shoot down the plane
飛行機が落ちたりするんだろうか
It'll take you a couple of vodka and tonics
多分きみはヴォッカトニックを数杯呷る
To set you on your feet again
そんできみは現実に立ち戻れる
Maybe you'll get a replacement
まぁきっと代わりは見つかるよ
There's plenty like me to be found
探しさえすりゃぼくみたいなのはたくさんいるし
Mongrels who ain't got a penny
ろくでなしの一文無したちが
Sniffin' for tidbits like you on the ground
きみみたいなののお零れを伏せて待ってるから

So goodbye yellow brick road
だからさよなら、金ぴかのレンガ道
Where the dogs of society howl
犬が吠え合い噛み合う世界
You can't plant me in your penthouse
ぼくをペントハウスに植えるなんて諦めてくれ
I'm goin' back to my plough
ぼくはぼくの畑を耕しに帰る
Back to the howlin' old owl in the woods
森に響くあの梟の声のところへ戻って
Huntin' the horny-back toad
ツノガエルを狩ったりして
Oh, I've finally decided my future lies
うん、ついにやっと決めたよ ぼくはこの先
Beyond the yellow brick road
金ぴかのレンガ道の上は歩かない

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 有名な曲過ぎて、(きっと)先達が多過ぎて、肩の力抜いてらくーに訳しても誰も気にしないだろうと、2.30分くらいでざっと訳した。

 田舎から都会へ、そして都会から田舎へ帰る歌。「夢破れて」みたいな後ろ暗さはそこにはない。都会に出てきたもののショービス界に飽き飽きし、むしろ自分から「もう付き合ってらんないや、ぼくは田舎へ帰るよ」と決断する心境が歌われ、曲調は基本明るい。
 だが同時にやけに切ない。自分でうんざりした何かにケリをつけたのだとしても、それは何らかの時間の終わりであり、失望でもあり、ある種「夢破れて」はいるのだ。夢見ていたところが夢見れるところではなかったそのとき、自分の中の少なからぬ一部分もまた死んでしまう。何かとの決別は、常に自分との決別でもある。
 そんな決意と希望と、それでも残る切なさ、虚しさのバランスが曲やアレンジとしてもくっきり現れていて、まぁ人類の宝である。
 また、この田舎と都会の話をするにあたって、カンザスの田舎から「ここじゃないどこかへ」と旅立ち、そして最後にはカンザスへと帰る、『オズの魔法使い』を参照してるあたりも憎い。いつになったら降りられる?着地できる?ってのはドロシーをカンザスから連れ出した竜巻についての言及であるし、黄色のレンガ道もエメラルド・シティへと至る道だ。

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 エルトン・ジョンに思い入れがあるわけでもないし、この曲も人生で繰り返し聞いてきたわけでもない。でもすごく好きな一曲だ。希望と確信に満ちた諦念、ゲームから降りようという歌で、端的にツボなのだ。
 本来のニュアンスは上に書いたようなものだと思うのだけど、僕にはこの黄昏た曲調もあってもっと広い意味に取れてしまう。ストレートにぼくの思うのを言えばつまり、人生というゲームから降りることについてに聞こえて、なんか感動する。ある種の死についての歌として。葬式で流して欲しい。すべての終わりにこれが流れたら良い。

 ブルースなんて歌えない、ってのはつまり苦悩を表現として昇華するにはまだまだ若過ぎる、ということなのだろう。そういう本来のニュアンスを分かっていながらも、僕は僕自身の心情に寄せてしまって、「僕みたいな良い年して不出来でカタワなゴミ人間には、ブルースが歌う人生の苦悩には耐えられないしさ」という意味で聴いてしまう。

 僕の代わりも、いくらでも見つかるさ。いっぱいいる程度の人間でしかないしね。僕の消失はきっと、怒りと戸惑いしか生まない。ウォッカトニックを煽って済むような。あとは無関心。

 僕はここにいなくていいし、何より僕はここにいたくないし。だから郷愁に沈んで、理想化された過去に浸って、さよならと言うだけだ。それは普通は色んな意味で許される振る舞いじゃあない。だけど、この歌は、ニッコニコで、少しの寂しさと、やっと終わりだという抜けるような気持ちよさで、さよならと手を振ることを許してくれる。

 今の世の中で生きてく以上、田舎も都会も何も、金ぴかのレンガ道を歩く他ないしね。Yellow Brick Roadが繋がるエメラルド・シティは積み上がった富と、魔法のような技術が溢れる街である。この世界で、エメラルド・シティに繋がらぬ道などあるだろうか?

 だから、さよなら。さよならさよなら。金ぴかで美しく、価値のあるこの世界、人々、出来事、ものもの。さよなら、あらゆるもの。そういうさよならを、この上なく肯定してくれているように聞こえてしまって、泣いてしまう。さよなら、ありがとう、さよなら。

 いや、何度も断ったように、僕が感じてしまうどうしようもない人間のどうしようもない諦念についての歌じゃあないのは分かってる。ただ、いい曲過ぎてついのめり込んじゃって、自分に寄せすぎてしまうのだ。

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