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グスタフの鳥29 とうとう9番目だよ。

 パーティやおもてなしのための作曲が不必要になって以来、それは大体ベートーヴェン辺りだが、作曲家は作品を量産する必要がなくなった。つまり、自分の納得いくものでなければ、世に出す必要はという事だ。締め切りなどないから時間をかけたい放題なのだが、それは言わば終わりのない探求で、返って辛いとも言える。楽聖が9作の交響曲を残し世を去ってからというもの、誰もが「これで良いのだろうか?」と苦しい自問自答を繰り返すハメになった。例外なく作品は楽聖と比べられるのだ。作曲家は全て、これは楽聖の歴史を受け継ぐ価値のあるものだろうか、と苦しみ続ける宿命にあるのだ。

 結果作曲に要する時間は膨大となる。とてもハイドンやモーツァルトのようにはスラスラ書けなくなり、二桁にのぼる交響曲は滅多に残せなくなった。シューベルト8曲(「ザ・グレート」は9番じゃないよ)、ドヴォルザークとブルックナーが9番まで残しているが、ブルックナーは0番てのもあるから、とうに9曲は越えているのだが、《自身の最後の交響曲》と意識した第9番は結局第3楽章までしか完成できなかった。他の有名人ではメンデルスゾーン5曲、シューマン4曲、ブラームス4曲、サン・サーンス3曲、チャイコフスキー6曲、プロコフィエフ7曲、ラフマニノフ3曲。めでたく9番を突破したのは15曲を残したショスタコーヴィッチのみだ。あ、ロシアには27曲も書いたミャスコフスキーという方もいたな。

 この話は当然、それぞれの作曲家が何年生きたのかを考えねばならないのだが、楽聖と同年代のシューベルトが31歳で亡くなってるのを考えれば、長生きしたから沢山書ける、というものでもあるまい。シューベルトの溢れ出る楽才はモーツァルトより凄いのだ。だがドヴォルザークが第9番を書く際に、自分の死を予感したなんて話は伝わってない。ブルックナーは自分の死より、偉大なる楽聖と同じ調性で第9番を書いて良いのだろうか、なんて悩んでいてカワイイ。結局第9番と人生の終わりを結びつけたのは知る限り、グスタフ、君一人なんだよね。

 面白いからそれぞれの主な作曲家の死亡年齢をご紹介すると、ハイドン77歳、モーツァルト35歳、ベートーヴェン57歳、シューベルト31歳、メンデルスゾーン38歳、シューマン46歳、ブラームス64歳、ドヴォルザーク63歳、ブルックナー72歳、マーラー51歳、チャイコフスキー57歳、プロコフィエフ62歳、ラフマニノフ70歳、ショスタコーヴィッチ69歳、サン・サーンス86歳、ついでにミャスコフスキー69歳だ。

 どうやら人生一つあたり9曲ぐらいが定量なのかもしれない。作曲家は神経をすり減らし作品を生み出す。そのすり減らし具合と生命力の力関係なのだろう。となると(今更だが)年齢と何曲書き残せたかに意味はないかもしれないね。

 しかし改めて、グスタフ、君は騒いだよね。第8番を作曲している頃から、いや、もしかしたらもっと前から、第9番がくるぞ、くるぞ、と恐怖の自己暗示をかけていたんじゃないかい?また改めて詳しく触れるけれど、第9番に当たる新作を書いている頃、マーラーは人生の大転機を迎えていた。君臨していたヴィーンから去り、愛しに愛した長女マリア・アンナ(ちなみにこの名は、モーツァルトの母親の名だ)の死、そして冗談まじりに受けた診察で発覚した心臓の病。以前作曲家は悲劇を体験したから辛い音楽を書くのではないと書いたが、もちろんこれらの不幸が新作『大地の歌』を生むきっかけになったのでは決してない。アルマはどうやらそう印象づけたいみたいだが。それでもヴィーンを去る事にまでなって、君も自分の人生を改めて考えたろう。この時期マーラーは人生のそんなターニングポイントだったわけだ。

 それにしてもだよ、『大地の歌』を書き上げ、まがりなりにも次の第9番を完成させた時、何故君は『大地の歌』に改めて第9番と番号を振らなかったんだい?最初『大地の歌』のスコアには《テノール、アルト(またはバリトン)とオーケストラの為の交響曲』と書いていたよね?てことはこの作品は、歌曲ではなくて交響曲だったんだろ?それとも最終的な出版譜には交響曲の文字は無くなっていたから、やはり交響曲じゃなく連作歌曲集だと考えを改めたのかい?

 グスタフ、僕のこの一連の拙文シリーズに【グスタフの鳥】と名付けたのは、この『大地の歌』がきっかけなんだ。この作品のフィナーレには、長大な鳥の歌が数回書かれているよね。歌い手の言葉の背景を埋めるように、想いを深めるように、悲しみを癒すように、そして最後の光明へと導くように、長年連れ添った鳥はここに来てとても巨大な存在を示しているよね。鳥も一作ごとに成熟している。しかも君はかつて誰も考えなかった語法を生み出した。それは《全てが自由意志で自在に動き回る、究極のポリフォニー》だ。『復活』終楽章のあの【 Große Appel :大いなる呼び声 】で披露したアイデアの究極がここにある。そうだね?グスタフ。


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