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ドラマに見るリアリティへの独り言

 「私失敗しないので。」と女医が言うドラマが流行った。もしも診察台の自分の傍の医者がそんな事を口にしたら不安だろうな。こいつ大丈夫か?てね。カテーテル手術が主流になり、ありがたい事に術後驚くべき早さで回復するが(私もその一人だ)、逆にメスで切れない医者が増えたという話も耳にする。外科医の資質を大いに危惧する時代なのかもしれない。だがテレビニンゲンの私には医療ドラマはとても面白い。特に欧米の医療ドラマは欠かさず見ている。医師から見れば沢山の嘘が渦巻いているのだろうな。友人の医師も、小っ恥ずかしくて医療ドラマは見ていられないと言っていた。

 恐らく刑事ドラマ、消防士ドラマ、軍事関係も、その道のプロは恥ずかしくて見ていられないのだろう。刑事ドラマに関しては日本のものは、今のところ欧米の、特にイギリスのドラマには遠く遠く及ばない。さすがシェイクスピアとシャーロックホームズの国だ。待てよ、探偵業の方々は『シャーロック・ホームズ』など見ていられないのかな。これに関しては〈見ていられない〉理由が少し違うかな。依頼人の靴の些細な汚れから、その人が出版社の課長で昼食に吉野家の牛丼並みもりを食べたなんて分かるもんか!ドラマに見る『嘘』の大半は脚本家に責任がある。ドラマ的な見せ場を作ろうと、数人の大手術を同時に一人でこなすと言った不可能を演じさせられたり、聞き込みに来ている刑事に対して「いい加減にしろ!もう帰ってくれ」と叫ぶ。そんな事警察官に絶対言わないに決まっている。脚本家の力の無さが不自然な繰り返し、異常な量の専門家スラングの羅列、説明のための台詞などを横行させている。そもそも視聴者の理解能力を侮っている。作り手たちは「見てりゃ分かる」という簡単な事が理解できないらしい。

 ごく稀に音楽家が登場するドラマがある。つい先日見た「僕に3分頂けませんか?」という刑事ドラマにジャズのサックス奏者が登場した。弾けもしないヴァイオリンやピアノの弾きまねと違い、サキソフォンだと吹けないことがバレないと踏んだのだろう。その彼がメンバーに一人を外そうと思っていると告げる。その時彼はこういうのだ。「・・・そいつがいると音が乱れるんだ。」一見おかしく聞こえないかもしれないこの発言、僕らはまず言わない。音が乱れる?音程が悪いのかな?それともリズムが合わない?あ、音楽が乱れると言いたいのかな?ならば演奏が乱れる、て事?もうこの時点でこの言葉に引っかかってドラマから脳が離れてしまう。僕らの会話はもっと具体的でシンプルだ。音程が合わない、テンポが合わない、バランスが悪い、アンサンブルがうまくいかない・・・挙げ句の果ては、そいつのツラが気に食わないまで、僕らはずっと具体的に罵り合う。またあるドラマでは「あいつの音高くてさあ」と言うから音程かと思いきや、音が強すぎると言う意味だった。〈強い〉を〈高い〉と表現する作家さんはかなり多い。確かに甲高いと言うからかね。でも僕らは言わない。ちなみに音程の事を日本では普通ピッチと言うが、英語圏ではイントネーションと言わないと通じないよ。

 そういえば往年の刑事コロンボには指揮者が犯人てのがあった。『黒のエチュード』だ。そいつはリハーサル中指揮台でタバコを吹かしていた。いくら何でもこんな奴いないよ(笑)。極め付けは汗びっしょりで振り終えて、いかに素晴らしい演奏だったかを興奮して述べるのだが、今終えた曲はモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』だった(笑笑)。逮捕の決め手になるのは、彼の燕尾服の襟にいつも飾ってある一輪の花(それは現場にあった)が演奏会では付いていなかった、て事だった。そんな所に綺麗に付けたまま演奏会をやり終える自信はない。2分で吹っ飛ぶに決まっている。・・・やれやれ。

 知らない分野に関して口を開くのはなかなか難しいし、勇気がいる。その道の方は嘘を一瞬で見抜いてしまうのだ。この世で最も恥ずべき事は「知ったかぶり」だとこれまでの人生で学んだ。気をつけよう。気をつけよう。

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