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ヴォルフガング かく語りき⑨

 「私、ヨハンネス・クリソストムス・アマデウス・ヴォルフガングス・シギスムンドゥス・モーツァルトは、一昨日および昨日(以前にもたびたび)夜12時にようやく帰宅いたしました事、そして10時から上記の時間まで○○、○○(注 : 友人の名前の羅列)等の面前で、また彼らとともに、しばしば、生真面目ではなく、全く気楽に、しかもただただ不潔なもの、つまり汚物とか、脱糞とか、尻舐めとかについて、語呂合わせしました事、慚愧に耐えません。(1777年11月14日 マンハイムより父へ)

 モーツァルトの手紙の特筆すべき特徴の一つがスカトロジーだ。モーツァルト親子の間では当たり前のようになされていたから、特に彼等が変人なのではなく、時代の流行だったのだろう。特に従姉妹のアンナ・テークラ・モーツァルト(父レオポルトの弟、フランツ・アロイス・モーツァルトの娘。ドイツ語の従姉妹/バーゼから転じた〈ベーズレ〉と親しげに呼んでいた)とやりとりした《ベーズレ書簡》には、スカトロに加えて、洒落、語呂合わせ、言葉の入れ替え、言葉の反復、逆綴り等々、乱反射した言葉が溢れている(後に紹介)。現代の私達はモーツァルトが悪戯好きで下ネタ好きなのを知っているので、ただただ微笑ましく読むだけだが、モーツァルトの死後すぐの時代は彼を美化したいという思いが強く、多くの言葉が消され、削られ、破棄された。特に妻コンスタンツェが再婚した外交官ヨーゼフ・ランゲ(史上初のモーツァルト伝記著者)の功罪は大きい。妻コンスタンツェの思惑も絡んでいたろう。隠そうとしているのだから、いくら流行と言っても恥ずべき事で、天才の評価には仇するものとの認識があったのだろう。

 冒頭の手紙は、モーツァルトが自分の名前を正式に全て書いた数少ない手紙でもある。語尾を数カ所ラテン語風にふざけて変えているが、これ全部でモーツァルト一人分なのだ。1984年に映画化されたピーター・シェーファーの世界的ヒット作の《アマデウス》という名前は、この長いラテン語洗礼名の一部だが、実を言えばヴォルフガング自身が自分を《アマデウス》と表記するのは極めて稀だ。というかほとんどない。彼は自分のことを《アマデウス》とは呼ばないのだ。大半はイタリア風の〈ヴォルフガンゴ・アマデー〉か、フランス風に〈ヴォルフガング・アマデーオ〉だ。もしタイムマシンで彼に会って「アマデウスさん」と声をかけたら、きっと彼は面食らい咄嗟に自分の背後を見るかもしれない。『誰?』てね。

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(ピアノ協奏曲第21番自筆譜のサイン。Wolfgango Amadeo Mozartと読める)

 上の手紙の9日前の11月5日に初の〈ベーズレ書簡〉が書かれている。モーツァルトはこの時母と二人でパリを目指す旅の途中のマンハイムにいるが、この直前にいたアウグスブルクで何年ぶりかで従姉妹に出会い、強烈に惹かれあっている。これは恋だったろう。ヴォルフガングは父親からの指示もあって泣く泣く旅を進めねばならず、以後二人は手紙だけのやり取りとなりこの恋は実らない。しかしどれほどの意気投合であったのか、この第1号の〈ペーズレ書簡〉を見れば容易に想像がつく。手紙はいきなりの語呂合わせで始まる。残念な事に、本当の面白さはドイツ語でなければ実感できないが、ここでは柴田治三郎先生の素晴らしい翻訳で味わっていただこう。

 「最愛のベーズレちゃん、兎(へーズレ)ちゃん!懐かしいお手紙を確かに受け取り、分取りました。おじさん、ドジさん、おばさん、ロバさん、そしてあなた、ソナタが、お元気、お天気だと分かりました。」

 こんな調子の手紙は、いっこうに内容の核心に触れずにダラダラと進むのだ。時折思い出したように「いかん、今度はちゃんと書きます」と宣言するのだが、それは実現しない。そして大スカトロジーが爆発する。カットせず載せよう。

 「あっ、お尻が痛い、燃えているようだ。どうしたというんだろう!もしかしたらウンコが出そうなのかな?そうだ、そうだ、ウンコよ、お前だな。見えるぞ、匂うぞ。・・・そして・・・なんだ、これは?・・・そうだったのか・・・やれやれ、僕の耳め、僕を騙しちゃいけないね。なんという長い、悲しげな音だろう。」

 最後は屁だったというオチだ。この後急に日付が改まって、選帝侯妃殿下にお目にかかり演奏をする事になった、と続く。後の研究者、心理学者等の分析では、こうした大はしゃぎは、脳内に新たな楽想が尽きる事なく湧き出ている時に、特に起こる現象だという。脳が活性化している時、音符と同じ速さ次々と言葉が湧き出て止まらないのだ。モーツァルトに対し本当に好意を寄せていたアンナ・テークラに対する強烈な照れ隠しが、このような乱反射を生み出しているとも考えられる。なんともかわゆいシャイさだ。この時モーツァルト21歳だが、中学生のような純粋さ溢れる思春期真っ盛りなのだ。しかし・・・この9ヶ月後のパリで、愛する母親は鬼籍に入ってしまう。

 ヴォルフガング、頬を紅潮させて一心に筆を走らせる君の姿が目に見えるようだよ。そんな君をすぐ横で見守っていた母親にも幸せな時間だったろうね。


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