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屋上に咲くヒナ【な:生半可】

巣から落ちたヒナを助けたかった。


雨が降っている。

その事実に気づいたのは、下駄箱で外の景色を見た時だ。

生憎、傘を忘れた私は正面玄関の庇の下で立ち往生していた。

街を見下ろす丘の上に建てられたうちの高校は、その余りに辺鄙な立地から駅どころかコンビニですら、かなり歩かないとたどり着けない。

このまま雨が止むのを待つしかないのだろうか。

今朝家を出るときは抜けるような晴天で、雨の気配なんて1ミリも感じなかった。

「今日雨降るってテレビで言ってたから持ってきなさいよ」

お母さんがそう言っていたが、聞こえないふりをして家を出た。

アパートの4階にあるにも関わらずエレベーターが無い。

階段になかば足をかけていた私は、少しでも引き返す労力が惜しかった。

お陰で私は帰りたくても帰れずにいる。

「咲(サク)、傘忘れたの?近くのコンビニまで一緒に行く?」

振り返ると葵(アオイ)、いつもの優しい表情を湛えて立っている。

「え?いいの?」

「うん、まぁ…今日はアキ達は部活で遅くなるみたいだし、多分大丈夫。」

「ありがとう!大好き!」

私は葵に飛びつく。

「あー、もう。ただでさえ最近暑くなってきたんだから、そんなにくっつかないでよ!」

言葉では嫌がっているものの、口調は軽やかでまんざらでもない様子だ。

葵とは小学生の頃からの親友だった。

当時の私がクラスの皆から仲間外れにされていた中、唯一優しく接してくれたのが葵だった。

葵は大きめのビニール傘を持ってきていた。

それでも二人が入るには少し狭かった。

自然と体は密着する。

葵は女子の中でも背が高くて170にギリ届かないくらいの身長らしい。

対して私の身長は150と少し。私の顔の真横に彼女の胸が来る。

高校生とは思えないくらい大きな彼女の胸が目の前にあると、何かいけないことをしているような気持ちになってくる。

「葵、せっかくだからコンビニでアイスおごってあげようか。」

私は胸中の動揺を隠すために話題を切り出す。

「いいよ、てかうちの学校買い食い禁止でしょ。」

葵は私の動揺など、どこ吹く風といった様子でサラリと言う。

「そんなの誰も守ってないじゃん。」

「なんか、そういうの抵抗あるんだよな。それに咲、今あんまりお金ないでしょ?傘も買わなきゃいけないんだし流石に悪いよ。」

「じゃあ、パピコ!パピコ買うから半分こしようよ、それなら悪くないでしょ。」

葵は私の強引さしぶしぶ承諾した。


雨の日は景色がくすんで見える。今日のような豪雨なら尚更だろう。

校門の鮮やかな赤はこげ茶色に、学校から見下ろす街の景色は灰色に見えた。

まるで、世界から幾つかの色が無くなったみたいだ。

それでも、隣の葵の顔は鮮やかな色合いを返していて。

まるで葵の傘が、私たちを色の無い世界から守ってるみたいだった。

街路樹の葉先から雫が落ちて、ボトンっと軽快なリズムが時折鳴り響く。

道路には川が氾濫した様に水が流れている。

歩道には私たち以外の姿は無くて、聖書に出てくる預言者にでもなった気分だった。

坂も中腹に差し掛かったあたりだった。

急に葵が急に立ち止まる。

私は前につんのめり、攻めるような目で葵の方を見た。

葵はそんな私のことなんか見えていないみたいに呟く。

「ヒナ。」

「え?」

「ほら、あそこ。」

葵が指さした先を見ると、巣から落ちたんだろう鳥のヒナが道端に落ちていた。

「この辺の木から落ちたのかな」

私は街路樹を見上げたが、ビニール傘の上には灰色の世界が広がっていてよく見えない。

「今の季節だとツバメとかかな」

葵は頭上を見ながら言った。

「とにかく、助けてあげなくちゃ。」

私はヒナに手を伸ばそうと、道端に歩きだす。

「やめた方がいい」

葵がそう言った。

驚いて葵の方を見る。

葵は真剣な目でこちらを見ていた。

「でも、このままだとヒナが」

雨の中でうずくまるヒナは今にも死んでしまいそうに見えた。

「生半可な気持ちで助けない方がいい。」

「生半可って…」

私は言い返そうとしたが、葵は矢継ぎ速に言う。

「ヒナに人間の臭いが付くと親鳥はヒナを育てなくなるよ。下手に手を出さない方がいい」

そういわれると私は何も言えなくなって、押し黙った。

私の左肩が雨に打たれて濡れていく。

「それに、きっと親鳥が近くで見てる。すぐに助けるはずだよ。」

葵は今までの気まずさを吹き飛ばすように笑った。

「そうだよね、きっと私たちがいると親鳥も警戒して出てこれないよね。」

「雨も弱まって来たし、きっと大丈夫。」

葵の言う通り雨脚は弱まってあれほど止みそうになかった雨は坂の下に着くころには止んでいた。

「おー!虹じゃん!」

さっきまで冷静だった葵が子供みたいに歓声を上げる。

傘を買う必要が無くなった私たちは、コンビニでパピコを買って二人でシェアした。

さっきまでの雨が嘘みたいに太陽が地面を焼いている。

「夏だねぇ」

葵はパピコを咥えながら器用に言う。

「そうだねぇ」

私たちの感じた夏の到来は、さっき迄の灰色を青く塗り替えるみたいに新鮮な色彩を放っていた。


次の日の朝、登校中に昨日のヒナの死骸が転がっていた。

あ、そっか昨日のあれは嘘じゃなかったのか。

当たり前だ。地面に落ちたヒナを親鳥が見つけたところで助けられるはずがなかった。


学校のガラス張りの正面玄関の中には、百貨店のガラス棚の様に靴箱が整然とて並べられている。

一番端にあるのが私の靴箱だ。

中には上履きのほかに画鋲やホッチキスの針、お菓子のゴミなど雑多なものが詰め込まれている。

私は、なんとかその中から上履きを探り出す。

4階建ての校舎の最上階にある教室に向かう階段は、自宅と同じ階数だということが信じられないくらい登るのに躊躇する。

教室の前の廊下は、なぜか他の階よりもくすんでいて緑のリノリウムの至る所に黒っぽいシミが出来ていた。

陽光が窓から入って廊下の真ん中のあたりだけギラギラと光っている。

教室に向かう中で何人かの生徒とすれ違うが皆一様に私の方を見ようとしない。

その群れの中に葵もいた彼女は一瞬私と目が合うが、すぐに顔を背ける。

こちらも気まずくなって目を伏せた。

教室の扉はそこだけ結界が張られているみたいに、内と外で全く空気が違う。

席に着くと恐る恐る引き出しを覗く。

よかった、今日は何もされていないみたいだ。

と言っても、この高校に入ってからは稀にゴミを入れられたり傘を盗まれたり、その程度のことしかされたことはない。

少なくとも私が小学生の頃よりはずっとましだ。皆大人になると嫌いな奴を構うより関わらない方がずっとコスパがいいことに気づき始める。

高校も2年生にもなれば殆どの人間は暇じゃない。恋愛や友達付き合いに忙しいのに、部活の引継ぎだったり来年の受験の準備だったりいろんな出来事が身に降りかかってくる。

それも私にはそれほど関係の無いことだった。

「てか、なんか臭くね」

藤田亜紀、彼女は私と同じその例外の一人らしい。

執拗に嫌がらせを繰り返し、取り巻きにもそれを強要している。

そして、葵もその取り巻きの一人だ。

葵はこちらとは目を合わせずに藤田亜紀の方を見て笑っている。

昨日とは人が変わったようだが、私にとってはこっちの葵の方がよく知っている。

藤田亜紀は小学生の時から同じ学校だったが、中学で私と葵は彼女とは別の学校に通い彼女の嫌がらせは私に届かなくなる。

今思うとあの時期が人生で唯一輝いていたころだと思う。

しかし、私は図らずも彼女と同じ高校に入学してしまい彼女と再会を果たした。

彼女は私のことも葵のことも覚えていた。

そして、私の今の生活が始まる。


昼休みには私は屋上に行くのが日課だった。

本当は立ち入り禁止だが、鍵は壊れているようで硬貨を刺して回すだけで開くようになっている。

ドアを開くと外の光が差し込んで目がちかちかする。

ドアの向こうには青い空が広がっていた。

屋上は教室二つ分くらいの広さでフェンスに囲まれている。

フェンスの向こうにはグラウンドが広がりその向こうには丘の下の街が見える。

反対側は森が広がっていてジメっとした空気が漂っている。

私は森川のフェンスに手をかけるとエイっと乗り越える。

フェンスの向こう側には人一人が立てる程度のスペースがある。

雪庇の様にせり出したここに立つと体が浮いているような不思議な気持ちになる。

ここから一歩踏み出せばこの日々からも抜けられる。

そう思うと心臓のあたりがッスと軽くなる。

私はゆっくりと目を閉じる。

身体に当たる風が心地よくて。

頭の中にあるグニャグニャしたものが少しずつ這い出ていくの感じる。

必死で泳ぎつ続けている中で息継ぎをするようなつかの間の休息。

ふと、このまま飛んでしまいたい衝動に襲われる。

そう思うほどに足は地面にへばりついたように動かない。

そんなどっちつかずの不安定さが心地よかった。

目を開けて下を見ると男女の二人組がいる。

人目を避けて校舎裏での逢瀬を楽しんでいるらしい。

どうやら、今日はまだ生きていくしかないみたいだ。

フェンスの中に降りると、また元の日常に回帰していく。

ここは藤田亜紀の居る方の世界。

昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


気が付くと放課後になっていた。

一日、一日が細切れで、永遠に続くような気がする。

クラスの男子の受験がどうだとかそんな会話が耳に入る。

でも、今の私は一年後どころか一か月後のことすら考えるのが馬鹿らしかった。

今日何があったかあまり記憶にないが頭が締め付けられるような痛みと手足のだるさに、体が暫く弛緩して動かない。

私はダラダラとカバンを肩にかける。

校舎には野球部の掛け声がこだまして、ひっそりとした静けさが漂っている。

登るとき以上に下りの階段の方が辛いのは理不尽だ。

自分の体の一部を溢しながら歩いてるみたいにトボトボと階段を降り切ると正面玄関に出る。

そこに居たのは又しても葵だった。

「今日もアキ、部活で遅くなるって。」

「そうなんだ、じゃあ一緒に帰れるね。」

「もう、だからくっ付かないでって」

よそよそしいやり取り、それでも葵が私を気にかけてくれるのは嬉しい。

だけど……

校門を抜け坂を下る。

互いに無言が続いた。

空は抜けるような晴天で心地いい風が吹いている。

重たい雰囲気が見えない空気の塊みたいに空から降り注いでるみたいだった。

昨日のヒナの死骸を横切る。

ソレの目は落ち窪んでいて、ハエが集っていた。

葵はそれに一瞥もくれずに歩く。

彼女はもう死んでしまったソレには興味が無いようだった。

「パピコ、今日も買って帰る?」

坂を下ったところで、葵は言った。

私は答えられずに下を見ている。

蒸し暑い空気がジーっと首筋に向かって立ち込める。

「葵は私のことは生半可な気持ちで助けるの?」

「え?」

葵は一瞬困ったような顔をした。

私の中で何かが爆発した。

そんな葵の顔は見ていられなかった。

私は思わず走り出す。

とにかく、その場から逃げ出したかった。

後ろから葵の声が聞こえた気がしたが、関係なかった。

次の日葵は学校に来なかった。

私達はどうせ藤田亜紀の居るところでは話せないのだから、学校では何の変化もなかった。

昼休みのチャイムがなる。

いつもの屋上、いつものフェンス。

そして眼下に広がる光景。

葵が学校に来なくても私の日常には何の変化もない。

「なんで……」

中学の頃は葵の居ない生活なんて考えられなかった。

悔しくて腕はわなわなと震えた。

目頭が熱くなるが絶対に泣いてやらないと思った。

思ったのに、シトシトと降る雨の様に眼下に熱い雫が落ちていく。

ッバン!!

突如後ろで大きな音がした。

そこには、なぜか葵が立っていた。

「葵…どうして…」

そういってる間に葵は私の前まで来て腕をつかんだ。

ガシッと彼女の細い指が私の腕を捕らえる。

「もう生半可な気持ちで助けない」

そういうと、葵は腕に力をこめる。

「ちょっと!葵!痛いって。」

それでも、葵は手を離さない。

頭の中に昨日のヒナの死骸が浮かぶ。

殺される。とっさにそう感じた。

遠くで昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

早く教室に戻らないと。

私は場違いにもそんなことを思った。

「知らなかった。」

葵の口からそんな言葉が漏れ出る。

「咲が死んじゃうくらい悩んでるなんて知らなかった。私は絶対咲を死なせない。だから早まらないで咲!」

「へ?」

どうやら咲は私が自殺すると思って助けようとしているらしい。

そう気づくと全身の力が抜けて危うく崩れ落ちそうになった。

「わかった、そっちに行くから!だから放して。」

私はフェンスを乗り越えて葵の側へ降り立った。

「今まで本当にごめんなさい。」

私の足が地面に着くとほぼ同時に、葵はこちらに向き直り頭を下げた。

身長の高い彼女が体を折り曲げる姿はどこかぎこちなくて、一方で誠意を纏っていた。

「ありがとう。本当にありがとう」

さっきとは違う種類の雫が私の頬を流れていくのを感じる。


私たちはしばらく見つめあってから、供に屋上を後にした。

屋上のドアを開けると明暗の差に驚いて目がちかちかした。

どうやら、今日はまだ生きていくしかないみたいだ。


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