さようならエヴァンゲリオン

シンエヴァ

とりあえず、何度か心を掻き乱されました。

それは恐らく自分があの頃シンジ君の年齢で、ミサトさんの年齢を超え、ゲンドウの立場と同じになったからではないかなと。

リツコやマヤなんかは旧劇で完結していたからかあまり語られなかったけど、

やはりミサトとゲンドウは物語の実質的な主役ポジションでもあった。

物語の核はゲンドウのユイへの思いだし、シンジへの、自分が親になる事への恐怖。

ミサトは子供の自分のトラウマから逃れられず、下の世代とどう接して良いのか分からない。更に今作ではもう一つ抱えてしまっている。

この2つに決着がついた事、その為に現実では20年以上の月日が流れた事

子を持つ怖さとか、自分が子供達にどうやって、なにを伝えていくのか、どう責任を取るのか、みたいな事をかつてシンジと同じ年齢だった自分が受け取るのは感情がぐちゃぐちゃになる思いだった。

これは、自分の年齢が97年に14歳で21年に38歳であったことに感謝したいな。

少年として、大人として

子として、親として

それぞれを、リアルタイムで経験出来た事は

幸せな体験でした。



シンエヴァ

全てを終わらせるための作品でした。


かつての同級生が大人となり、社会を形成している。

優しくしてくれるカヲルやレイは、エヴァそのもの。ずっと年をとらず、、、でも作り物の存在。

同じく呪いを背負ったアスカは、見た目は一緒だけど、もうあの頃とは違うのと。


自分と他人の境界線、つまりそれは社会と個人、パーソナルとパブリックの問題であったエヴァンゲリオン。

パーソナルにフォーカスしすぎた旧劇は、パブリックの痛みと共に終わり、その後の日本の分断社会の一部ともなった。

だからこその新劇でもあったのかなと。



新劇から新たに登場したマリが、ゲンドウらと同じ世代である事はもう少し考察がいるが、恐らく旧劇でシンジ(と我々)を呪ったモノから、作品が新たに導こうとする場所への道先案内人だったんだろうなと。

だから、どこへ向かおうとも「必ず見つけだす」と。

そして共に「行く」のだと。


こんな優しい作品になるなんて思ってなかったな。


ざっくりと言ってしまえば別れの物語だった。

シンジと過去のキャラクター達との別れ

僕達とエヴァンゲリオンとの別れ

ずっと出来なかった呪いとの別れ

大っ嫌いと別れた庵野監督とオタクどもとの別れのやり直し。

もうこれで社会へ戻るんだよ

そんなメッセージ





これで最後だと思うから言っておくね

さようならエヴァンゲリオン

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