東日本大震災があった日

わたしは現在、22歳の大学4年生です。

東日本大震災があった13年前、わたしは小学3年生でした。

地震が起こった時は、帰りの会を終えてまさに帰ろうとしている時でした。いつもはみんな机の前でさようならをしていたのですが、その日はみんな上履きを脱いで、教室の後ろに並んでさようならをしようとしていました。多分、金曜日だったから上履きを脱いでいたのだと思います。

日直の子が号令をかけようとした瞬間、揺れが起きました。すぐにこれはいつもと違うぞとわかりました。先生は「机の下に入って!」と言い、わたしたちは机の足を必死に掴んで揺れに耐えていました。3年生の教室は上の方の階にあったので、ぐわんぐわんと大きく揺れました。クラスで買っていた魚の水槽の水もはねました。揺れはなかなかおさまらず、「気持ち悪い」と言っている子もいました。おそらく、震度5弱か5強だったと思います。

長い長い揺れがおさまり、わたしたちはランドセルを持って校庭に避難しました。おさまったと言っても、揺れは断続的に起きました。地面に猫じゃらしを突き立てて、「これで揺れをはかる」と言っている子もいました。風で煽られて、揺れはわかりませんでした。わたしの周りには泣いている子はいませんでした。いつ自分の親が迎えにきてくれるんだろうと考えていました。

周りの子が次々といなくなっていく中、わたしはお姉ちゃんと親の迎えを待っていました。集団下校で帰ろうかともしましたが、やっぱり二人で待っていました。親は集団下校で帰ってくると思っていたみたいで、少し遅くになってから迎えにきてくれました。

家に帰って自分の部屋に入ってみると、勉強机の棚からものが落ちていました。それ以外に落ちているものはそれほどなく、小3にしてかなりの量の蔵書があった本棚も無事でした。

テレビから流れてくる地震と津波の映像は、現実だと受け止めきれないものでした。遠い宇宙の国での話か、ファンタジーの話かと思わないと、やっていけないものでした。

地震があった日から、連日ACのCMが流れました。震災を経験した人なら全員歌えるだろうというくらい、頭に刷り込まれました。みんなでポポポポーンと言い合って、笑っていました。

計画停電が何度もありました。その間は家のトイレを流せないので、消臭スプレーをシュッとしてね、と親から言われていました。震災後にすぐ春休みが来たので、停電の時期は家にいることが多かったです。

小学6年生だった姉の卒業式は、計画停電の中行われました。宴会場での学年パーティーは取りやめになり、神社でお弁当に変更になりました。


わたしにとっての震災の経験は、この1回しかありません。その震災で、わたしは被災してはいません。震源地から遠く離れた地にいましたから。

それでも、記憶に深く刻まれています。

この記憶を忘れないように、留めておくように、次の世代に繋げられるようにすることが、使命だと思います。

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