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インドネシアの島めぐり9日目 フローレス島を東へ ルーテンからバジャワ

ルーテンで泊まったホテル周辺は街灯がなく真っ暗だったので、食事をして宿のご主人と少し話してすぐに寝てしまった。
布団をかぶって寝たのはインドネシアに来て初めてのような気がする。エアコンを使った人工的な気温ではなく、自然の低い気温で暖かい布団に包まれて寝るとよく眠れた。

朝は5時前に目が覚めた。遠くから教会の鐘の音が聞こえてくる。こういうことを言ってはいけないが、モスクの大音量のアザーンに比べると品があり、心が穏やかになる感じがする。
空が白み始めるのを待って散歩に出かけた。高原の空気がすがすがしい。
ちなみにインドネシア語ですがすがしいはスガール(segar)という。わたしは密かに、すがすがしいとスガールは元は同じじゃないかと思っている。

島根県にスサノオノミコトが「この場所はすがすがしい」と言ったため須賀と名付けられた地名があり、彼の住居だった場所には須我神社という古事記や日本書紀にも名前が出てくる由緒正しき神社が建っている。
わたしはスサノオが「スガール」と言った可能性もあると考えている。

Google Mapではモスク3に対し教会は16個もあった。

ラブアンバジョのホテルの受付に、ルーテンホステルに泊まるなら近いから行ってみたら良いと勧められた、伝統的な家屋を再現したエリアに行ってみることにした。
ホテルから1キロちょっとのところにある。
円錐系、というよりは正八角形の建物が6軒並んで建っており、いずれも人が生活している。登録してお金を払わないといけない場所のようで、65,000ルピア(650円)払った。
ジャワ島で見かけるような帽子を被り、イカットの円筒形の布を腰に巻く。(メイン画像)

建物の中には赤ん坊を含め3人の子供と母親がおり、母親はちょうど朝食の準備をしていた。木を燃やして直に鍋をかけている。
わざわざ観光客のために伝統的な暮らしをしてみせるのは大変だ。
これで65,000ルピアは取りすぎだろと思っていたが、この人たちの収入になるなら仕方ないという気になった。
子供らは人なっつこく、学校ではインドネシア語を使うとのことでインドネシア語で話ができた。家ではマンガライ語を使っているようで、彼ら同士の会話は全くわからない。

ホテルで簡単な朝ごはんをいただき、車を待つ間ご主人と話をした。ホテルを開業する前はルーテンで英語の先生をしていたようだ。フローレスでは教師は、公務員、銀行員、看護師と並び給与が高い職業と言われている。
英語はバリのウダヤナ大学で学び、その時に日本語も2学期だけ勉強したので少し日本語をしゃべれる。
かなり忘れてしまったというので、即席日本語教室を開催し、日本人観光客が来た時用に5フレーズほど挨拶文を教えた。使う機会がたくさんあればいいのだけど。

車は予定の9時より15分前に来て、しかも到着前にリマインドの電話まで入れて来た。インドネシアではあまり経験したことがない。
運転手はラグビー選手のような分厚い体つきをしており、サモアやトンガといったポリネシア系の血を引いているように見えた。
寡黙だが運転は荒い。

同乗者はわたしの他に3名おり、いずれも女性。ラブアンバンジョからルーテンに来たときと同じパターンだ。2回で判断するのは早計だが、男性は安いバスに乗り女性が少し高めのプライベートカーに乗る傾向があるのかもしれない。

荷台に大量の人を乗せたトラックが何台もバジャワ方面に向け走っている。他にもマイクロバスみたいなやつや、ミニバスも屋根に大量の荷物を乗せて東に向かっている。

他にもスクーターの二人乗りにしては荷物が多い集団がいたりして、グループで一緒に移動しているようだ。
帰省ラッシュが始まっているのだろう。

車は山奥に分け入ったあと山を降りて海に出た。ンボロンという町だ。そこで1人降りた。
そこから再度山に入っていき、また海に降りる。アウメレという町だ。

そのあとはつづら折りの坂道をひたすら登っていく。トンネルがないので山の尾根のひだを縫うように進んでいる。道は基本舗装されており荒れている箇所は限られているとはいえ、乗り物酔いしやすい人は要注意だろう。

アウメレからバジャワはすぐだった。13時前に今日の宿クリスティアンホームステイに到着。移動が続いたのでゆっくり過ごした。

宿の主人クリスチャンは英語が上手だ。6年間切っていないという長髪をボブ・マーリー(ジャマイカのレゲエミュージシャン)のように編み込んでいる。ちなみに奥さんのマリアも同じ髪型をしている。
バジャワのことを色々聞くことができた。

同じマンガライといっても、ルーテンとバジャワはべつの民族で文化も違う。
そもそもフローレス島には17の言語があるという。しかも似ても似つかぬ言葉で、共通で理解できる単語は数語しかないそうだ。

ルーテンの伝統建築は円形をしている。田んぼも円形でピザを切ったような形のうねを持っている。スパイダーウェブライスフィールドと言われていて、ルーテンの観光名所だ。

行かずにグーグルアースで確認。皆さんもどうぞご確認ください。

また村は円形に家を配置する。彼ら独特の哲学に基づいている。

バジャワはメジャーな伝統家屋の場所が5つあり、いずれも家は四角形をしている。村の家の配置も四角形だし、田んぼの形も四角形だ。
また面白いのが母系家族らしい。
インドネシアで母系家族の風習があるのはスマトラのミナンカバウ、マラッカ、そしてバジャワの3地域だけだそうだ。
バジャワでは母親と娘は同じ家に住み息子は出ていく。結婚するときに男性側が結納を収めるのは、女系のアセットに入れてもらう対価の位置付けもあり、結婚後は相手方の家でマスオさんの様に暮らしていくことになる。
日本も平安時代までは通い婚の風習を維持していたので、母系家族に近い形態だった、とクリスチャンに話すと驚いていた。

子供はどちらの姓を名乗るのかといえば、インドネシアに姓という風習はないものの、母方の先祖の名前をもらうそうだ。
バジャワの人間には2つの名前があり、一つはクリスチャンネーム、もう一つが先祖の名前。先祖の名前をつける目的は、血縁が濃くならないようお互いの先祖が被っていないか判断できるようにするためと言っていた。
昔の人々の知恵はなかなかのものだ。

先祖はバジャワの人々にとって身近な存在で、アニミズムの世界では死者が蘇って悪さをするとか逆に守ってくれると信じられている。
キリスト教を信じるようになってもまだアニミズム的な世界観は根強いと言っていた。

それでは今日はこの辺りで。
明日はバジャワ周辺の温泉回る予定にしている。

138キロ








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