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8月17日はインドネシアの独立記念日

日本の敗戦から2日後、インドネシアは独立しました。
もっとも、インドネシア側が海軍の前田少将の立ち合いのもと独立を宣言しただけで、国際的に承認されたものではなかったため、その後再植民地化を狙ったオランダ、イギリス連合軍に攻め込まれ、戦争が継続しました。

手書きの独立宣言文の画像です。

独立宣言文 Gramediaより

文章の右下に日付が入っているの見てください。17-8-’05とあります。
この05というのは1945年の敗戦まで日本が使っていた皇紀2605年のことです。
紀元前660年を神武天皇が即位した年として0年にした暦です。
こんなところにも日本が関係しています。

日本はすでに敗戦していたため、占領地域をそのまま維持して連合軍に引き渡す義務を負っていました。
そのため、本来独立をさせたり、武器を供与したりすることは禁止されていたのです。
一方で、インドネシアの若者たちは暴徒化し、スカルノとハッタを誘拐して独立宣言するように迫るなど、流血の事態が避けられない情勢だったため、前田少将の判断で、海軍公邸を使って独立宣言をさせた背景があります。

まじめに連合軍の命令を守り武器を渡さないことで、実際多くの兵士、市民がなくなる流血騒ぎがスマランをはじめあちこちで起きています。
日本人は根がまじめですからね。立つ鳥跡を濁さずの精神で、ルールに従うべきだと杓子定規にやったんでしょう。
オランダやイギリスなど知ったことかと、武器を全部渡して盗まれたことにすればよかったんだと思います。武器を渡してほしければとっととインドネシアにやってきて引き継げばいいのに、時間がかかりすぎたのは彼らの落ち度でしょう。

上記の出来事に加え、3000人におよぶ日本軍の兵士がインドネシアに残り、インドネシア人とともに独立戦争に参加しました。今でもこちらの墓地に英雄として埋葬されている方々もいらっしゃいます。

前田精(ただし)少将の公邸は、独立宣言記念館として一般開放されています。

https://www.museumindonesia.com/museum/39/1/Museum_Perumusan_Naskah_Proklamasi_Jakarta

ジャカルタのムルデカ広場にあるモナスは、地下があります。
この地下に独立宣言文が収められており、当時の独立宣言文を読み上げるスカルノの映像と、なぜか巨大な金塊を見られる場所があります。まだあるのかな。
特別料金を払うと、係の人がおごそかに装置を作動させてくれる仕組みで、壁の扉が開くと、やじ馬たちも群がりみんなで見る感じです。

ジャカルタ駐在時代、友達がジャカルタに遊びにきてモナスに行くと、毎回やってました。


オランダとの独立戦争が続く

独立宣言後にオランダ軍とイギリス軍が攻め込み、戦力で劣るインドネシア軍はゲリラ戦を展開しつつも、ジョグジャカルタを占領されスカルノとハッタも逮捕されます。
しかし、国際世論はインドネシア側にたち、1949年のハーグ国際会議で、インドネシア共和国の設立が認められました。当然だと思います。時代錯誤もいいところですから。

ちなみに、オランダはこの会議後もインドネシアへの影響力を残すため各地に傀儡政権を作り、こっそりと抵抗を続けていたものの、1950年に地方にあった諸侯の権力をジャカルタに集中させることで合意し、単一のインドネシア共和国ができました。
オランダの抵抗は無駄に終わりました。

ちなみに、オランダが1945年8月17日をインドネシア独立の日と認めたのは、なんと2023年6月のことです。78年間も粘っていたんです(ハーグ会議の1949年から換算すると74年間)。
以下に記事があります。インドネシア人から教えてもらい知りました。
まさか、去年まで粘っていたとはどれだけ執念深いんだ。

https://www.benarnews.org/english/news/indonesian/netherlands-recognizes-1945-independence-06152023120456.html

インドネシアの独立記念日の様子

とても盛り上がりお祭り騒ぎになります。
わたしはインドネシアの各地を旅してまわり、文化的にも言語も宗教も違う多様な民族を見てきましたので、一つの国にまとめるのは相当に難しいだろうなと感じました。
たまたまオランダが占領していたから一緒になっただけで、ポルトガルが占領していた東ティモールは別の国になりましたし、文化的にちかいマレーシアはイギリスの植民地だったので別の国になりました。

独立を成し遂げるまでの生みの苦しみと熱量があって、統一国家が保てているのだろうと思います。実際アチェでは独立運動がありましたし、パプアは今でも独立運動が続いています。

そういう意味でスカルノという英雄が初代大統領だったというのは、インドネシアにとってラッキーだったと思います。陰気なタイプのスハルトでは無理だったでしょう。

8月17日の独立を祝うことで、当時を思い出し、また統一インドネシアの思いを強くしていく、そういうイベントなんだろうと思っています。

いくつか写真を上げます。

まずはムルデカ特別料理の提供を行う日本食レストラン。

キムカツ
丸亀製麺

寮の周辺の様子

町内の広場では催し物があります。

水風船バレー

布で受け止める
3人一組で、金属の棒を瓶に入れる
大騒ぎ

油をぬってつるつるに滑る柱をグループで協力してよじ登り、柱の上に吊り下げられたお宝を取るゲーム

準備中 やすりをかけて竹の節をつるつるにしている。
ツルツルになるようタールを塗ってるので皆真っ黒
つかれはてた男達

表彰式あるいはくじ引き







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