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インドネシアの島めぐり31日目 ハルマヘラ島からスピードボートでテルナテ島へ

1月10日にテルテナを出てモロタイ島に飛行機で飛んでから5日目、船と車を使ってテルナテに戻ってきた。
最初にテルナテに降り立った時とは全く違う印象だ。馴染みのある街並みは、帰ってきたような、ホッとする感じがする。
前回2泊した同じ宿をとったので、宿の人たちはよく覚えていて、よくきたな、勝手はわかっているだろうからまあ安め、とニコニコしている。ただいまと言いたい気分だった。

今日は美味しい食事を楽しんだくらいで何もしていないので、ハルマヘラ島の振り返りと、ジャイロロからテルナテへのスピードボートについて書いてみたい。
王宮のリノベーションはまだ続いていて、またしても入れなかった。


ハルマヘラ島にたくさんある温泉をなぜ日本兵は楽しまなかったのか。

ハルマヘラ島には温泉がたくさんある。
こんなにたくさんあるのに、なぜ太平洋戦争のとき日本軍の兵士は温泉を楽しまなかったのか不思議でならなかった。

元兵士の証言がたくさん残されており、ハルマヘラ島に派遣された兵士の記録をいくつか読んでみた結果、わたしは「食べ物を手に入れるのに精一杯で、温泉を楽しむ心の余裕などなかったのだろう」と結論づけた。

とにかく食べ物がなくて苦労したらしい。5万人の兵士を養う食糧は米軍の爆撃で失われ、自給自足の生活を送っていたという。
制海権を失っていたから、兵站が崩壊していて食糧や軍事物資を届けられない。
しかもハルマヘラ島は当時農耕が行われておらず、農耕に適した場所でもなかったため、米はおろか芋さえも育たなかったようだ。
現地の人たちはその日暮らしで、海岸沿いを歩きながら落ちている食べ物を拾い集めていただけだった、という証言も残されている。溜め込んでいたら日本兵に略奪された可能性もあったわけだから、持たざる者の強みだ。

わたしは島内を東から西へ車で移動しながら土地の状況を観察してみたが、水田は一回も見なかったし、畑も家の庭程度の面積でトウモロコシを育てているのと、何か野菜を育てているのを見たくらいだ。

決して乾燥しているわけではなく川をたくさん見るし、土地も比較的平坦なので、本来稲作に向いた土地のはずだ。土壌が痩せているので難しいのかもしれない。

わたしは飽食の時代に生きた人間で、飢えた経験がない。
想像力が欠けていたようだ。

ハルマヘラ島ならではの事情

ハルマヘラ島でちょっと他とは違うと思った事象がいくつかあるので備忘録として記載したい。

ベントールという乗り物
ハルマヘラとモロタイ島にはオジェックの代わりにベントールという乗り物に乗る。
元は自転車を動力にするベトナムのシクロのような乗り物だったのだろう。それが自転車の代わりにバイクで押すようになっている。

この荷台の分重くなり燃費効率が悪くなるし、故障する場所も増えるのでメンテも面倒なんじゃないかと思うのだが、なぜかベントールが主流なのだ。

ベントールの良いところを考えてみる。
一番は2人乗れるとか、大きな荷物があってもいけるところだろう。
次に雨に濡れないところも大きい。うまいことフタをして座席は濡れずに済むのだ。運転手側にも屋根がついている。

レンタルバイクや自転車がない
モロタイ島にはかろうじて1ヶ所あったが、ハルマヘラ島のトベロ、ジャイロロといった比較的大きな町でレンタル屋がなかった。
なぜないのか聞いたところ、盗まれる心配があるからだと言っていた。

それを聞いて思い当たったのが、テルナテとモロタイでバイクをレンタルした時、免許証を預けさせられたのだ。他では経験がない。
免許不携帯になるから嫌だなと思ったが、パスポートを預けるよりはマシなので、仕方なく預けた。おそらく盗まれる心配があるからそうしているのだろう。

テレビがブラウン管のまま
これはテルナテも同じなので、北マルク州の特徴かも知れない。
ホテルにテレビを置いてくれているのは良いのだが、ブラウン管テレビなのだ。そしてつかない。
一度だけ、ジャイロロのホテルはついた。画像が荒く色もおかしいので、ちょっと見てみて消してしまったが。

どんな田舎にも代理店があると言われたシャープインドネシアはどうしたのか。液晶テレビはもう十分安いので、所得が低い人でも買えるはずなのに。

シャープのブラウン管テレビ。ローカルフィットと言って、インドネシアで好まれる独自のデザインの商品。これはヒット商品なのでよく覚えている。

キリスト教とイスラム教が混在
教会が多く見られ犬も多いのでクリスチャンが多数だろうと思ったら、運転手によれば全体としては6割がキリスト教徒、4割がイスラム教徒だという。
それが町になるとイスラム教徒が多くなる。それは他の地域から移ってきた人が多いからで、ブギス人やマカッサル人が多いようだ。
町では2つの宗教の住人が混在していて、郊外でも村によっては混在しているところもある。モスクと教会があるので、見た目で判断がつく。

マルク諸島ではキリスト教徒とイスラム教徒の間で宗教戦争が起き、何千人もの住人が亡くなられている。アンボンの事件記憶はあったが、ハルマヘラ島も闘争の中心地だった。
地域外からきた煽動者が騒動を引き起こしたと言われていて、スハルトが関係していたとも言われている。スハルトはインドネシアでは本当に人気がない政治家だが、何となく陰謀や暗い陰を感じるからかもしれない。

ジャイロロからテルナテ島へ渡るスピードボート

町の中心にある港へ行き、スピードボートが満席になれば出発するシステムだ。
朝、昼、夜といつでもあるが、朝が一番人が多く集まりやすいと聞いた。
日曜は特に人々の移動は多いらしい。

実際のところは20分近く待った。料金77,000ルピア(770円)を払い船に乗り込むと半分程度埋まっていたのですぐかなと思っていたが、座席数がそれなりにあるので、簡単には埋まらない。

船は小綺麗でエンジンが5つも付いている。

船が出発したのは8:45、ドゥファドゥファ(Dufa Dufa) の港に着いたのが9:50でほぼ1時間で着いた。
波の様子と揺れから素人分析してみると、船は西から東に流れる海流を横切って進んでいるようだった。横波を受けていた感じがする。
船長は時々大きく舵を切って波を避けようとしているようで、船に慣れていない感じのおばちゃんがぶつぶつ言いながら顔をしかめていた。いや、もしかしたら船の操縦に詳しい人で、「こいつ下手だな」と思っていたのかもしれない。

船は常に右手にテルナテ島を見て進む。若干斜め左を向いて進んでいたので、わたしは左から右に流れる海流があるのだろうと分析した。
わたしが昔「Escape from Alcatraz」というアルカトラズ島のトライアスロン大会に参加した時、ゴールの浜辺と全然違う方角に向かって泳げと言われた。その通りにしたら勝手に流されてちょうど浜辺にたどり着いたのと同じだ。

ティドレ島を目指しているように見える。

そのうち町並みが見えてくる。

ガマラマ山とテルナテの街並み

ドゥファドゥファでゴフイカンを食べる

船が着くドゥファドゥファには市場があり、そこはゴフイカンで有名な場所だ。
わたしがオジェックの運転手やテルナテの宿の近隣住民に、美味しいゴフイカンのレストランはないか聞くと、決まってドゥファドゥファに行けと言われたものだった。

港のごちゃごちゃした雑踏のなかを「ゴフイカンはないか」と尋ねながら歩き、皆が指差す方向に行くと、そこは食堂ではなく市場の惣菜売りコーナーだった。
ゴフイカンはないかと聞いて、それだよと指さされて初めて気づくくらい、他の惣菜に馴染んでいる。

本当は熱々の白米にぶっかけて食べたかったのだが、市場の惣菜コーナーにはないので、皿だけ用意してもらい、売場のおばちゃんが空けてくれた売り子用の椅子に座って一気にかき込んだ。

魚はマグロではなくアジでもなかった。皮から想像すると、銀色系の鱗がある魚だと思う。
味付けはほぼ同じで、こっちは唐辛子が少なめでそこまで辛くなかった。
価格は25,000ルピア。惣菜コーナーでは1番高いと思われる。

夜は豪勢に行こうと思ったが、店選びに失敗し、さみしい夕食になってしまった。

明日は1日やることがないので困った。ハルマヘラ島のソフィフィという町までスピードボートで行くか迷っているところだ。




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