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スマトラ島(北部~中部)の温泉を巡る旅 2024年6月

7月はじめの授業開始まで1か月近く休みになるため、スマトラ島の温泉巡りをすることにしました。
アチェからパダンまで20日間の予定です。試験を締め切り前に提出したので、パソコンなしに身軽に出発です。

旅程としては以下を考えています。
①ジャカルタからバンダアチェまで飛行機で飛ぶ
②アチェからウェー島に船で渡る
③アチェに船で戻り、メダンまで陸路で移動
④メダンからブラスタギに陸路で移動
⑤ブラスタギからトバ湖まで陸路で移動
⑥トバ湖からブキティンギ、パダンまで陸路で移動
⑦パダンからジャカルタまで飛行機で飛ぶ
温泉はたぶん20カ所は入ると思います。

スマトラ島の北部は、わたしにとってあこがれの地で、昔から行きたいと思いながら行く機会がなかった場所です。最後までオランダに戦いを挑み続けた誇り高き戦士の国アチェ王国、ヒッピーの聖地サモシール島など魅力的な場所だらけなのです。

アチェは2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震で大きな被害を受けた場所なので、ある程度の年齢の方の記憶にはあるかもしれません。死者11万人、行方不明者13万人ともいわれる被害を出した未曾有の大地震でした。
当時わたしはジャカルタに駐在中で、家族や知人から無事を確認する連絡がたくさんありました。ジャカルタとアチェは2000キロくらい離れている(東京ー沖縄くらいの距離)のですが、普通そんなの知らないですからね。
この地震ではインドネシア国内はアチェ州の被害が甚大で他の地域は軽く、タイのプーケットやスリランカの方が外国なのに甚大な津波の被害を受けています。

アチェの地震のダメージはとても大きく、インドネシア政府とアチェ独立を目指すGAM(自由アチェ運動)が歩み寄り、地震の1年後にGAMの武装闘争がなくなりました。それまでは危険なため自由に旅行できない場所だったのです。

今回の旅行でやりたいこと、見たいもの

スマトラ島は、美しい海、豊かな自然、オランウータン、スマトラゾウ、スマトラサイ、スマトラトラ、未開の人びと、多様な民族料理など、見どころは多いのですが、わたしは例のごとく温泉を目指していきますので、一般的な観光は最小限にする予定です。
最小限とはいえ、温泉以外にいくつかやりたいこと、見たいものはあります。

一つ目は、本場のアチェダンスを見ること。アチェダンスはわたしが最も好きなダンスです。2004年にジャカルタに赴任したとき、日本人の催しものでどこかの集団がアチェダンスをしていてとても気に入ったのがきっかけです。
Youtubeの動画を上げるので、ご興味があれば見てください。後半になるとスピードが上がってきて動きも複雑になります。

二つ目は、インドネシア最西端の地サバン、「0キロメートルの碑」に行くこと。地の果てコレクターとしては欠かせない場所です。
インドネシアの愛唱歌「サバンからメラウケまで」で歌われている西の端です。アチェの沖合にあるウェー島にその場所はあります。この島には温泉もあり、インドネシア最西端と最北端の温泉を制覇しようと思っています。
どんな歌かはYoutubeの動画でどうぞ。

三つ目は、トバ湖に行くこと。
トバ湖は巨大な噴火によるカルデラ湖で、推定では人類史上最大の噴火と言われ、このときの気候変動で多くの人類が死滅し人類の進化に大きな影響を与えたトバ・カタストロフ理論というのがあります。

人類の遺伝子が、人口数十億人を超える多数にも関わらず比較的均一なのは、この時のボトルネック効果のためと言われています。ボトルネック効果については以下の説明を参考にしてください。

生物集団の個体数が激減することにより遺伝的浮動が促進され、さらにその子孫が再び繁殖することにより、遺伝子頻度が元とは異なる均一性の高い(遺伝的多様性の低い)集団ができることをいう

Wikipedia ボトルネック効果

噴火は70,000年から75,000年前に起きたとされ、気温は5度低下、気温の低下はその後6000年続いたあとヴェルム氷期に突入し、人類の人口はたったの1万人にまで減ったと言われています。絶滅寸前だったんですね。
トバの噴火は”トバ事変”と言われています。わたしは事変なんてゆるい命名は全く合わないと思いました。わたしなら”トバの惨劇”と命名します。Catastropheを事変と訳したんでしょうね。たぶん。

スマトラ島にはとにかくたくさん温泉があり、わたしのイメージは東北地方です。
スマトラ島の左側にプレートがまっすぐに沈み込んでいます。丁度東北地方の右側に太平洋プレートが沈み込んでいくのと同じ構造です。そうすると、沈み込んだ地点から数十キロの場所に温泉が湧くのです。
東北地方の温泉地帯は東北地方を真っすぐ一本の線で貫いたような位置にあり、スマトラも島の左側に山脈があって、同じように一本の線を引いたように、火山と温泉がたくさん湧いています。

静岡大学 防災総合センター
東京大学地震研究所

これまでスマトラは仕事で3回(パダン、パレンバン、ジャンビ)訪れたことがありますが、旅をするのは初めてなので、楽しみにしています。
料理がとても辛いこと、気温が暑いこと、敬虔なイスラム教徒が多くビールは期待できないことから、辛い旅になるかもしれません。長距離のバス移動も多くなりそうです。

ご当地グルメを楽しむ
スマトラ島は他のインドネシアの島々と同じく多様な民族がいて、それぞれに名物料理があります。たとえばカロ族やバタック族は豚肉を食べるので、豚肉料理があるとか、トバ湖のバタック族には刺身料理があるとか、片っ端から全部食べてやろうと思っています。
メダンは貿易都市だったので各国の料理がミックスされ独特の食文化になっています。メダンといえばドリアン、ドリアンといえばメダンなので、ドリアンも食べたいです。季節外れなのでないかもしれません。

あとは何といってもミーアチェ(アチェ麺)です。ジャカルタ駐在時に、アチェ出身のスタッフと一緒にアチェ料理屋に行きよく食べていました。エビ、カニ入りの豪華な麺が大好物だったんです。本場のミーアチェをアチェの名店で食べようと思っています。

食べ物以外では、アチェコーヒー(ガヨコーヒー)も楽しみです。スマトラはコーヒー産地のインドネシアの中でも別格に生産量が多く、高級品から低級品まであります。

スマトラ島を旅した先人の紀行文として有名なのは名作として知られる金子光晴の「マレー蘭印紀行」です。1928年から1932年にかけて中国、ヨーロッパ、東南アジアを奥さんと旅しています。
マレーシアの記述が大半で、スマトラ島のメダンに数日立ち寄ったときの記録が残っています。

文才はとても及ぶべくもありませんが、わたしも旅で見聞きしたことを書いていこうと思います。


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