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インドネシアの島めぐり5日目 スンバワ島をバスで横断

今日は移動日。西部の中心地スンバワブサールから東部の中心地ビマまで250キロの工程をバスで移動する。

赤く囲ってあるのがタンボラ火山

7時に出発したバスがビマの町に着いたのは16時近かった。9時間かかったことになる。こうして無事到着しホテルにチェックインしてみれば、全ては過去のこととして気楽に振り返ることができるが、長い旅路だった。

まず最初はとても順調にスタートした。
うまいことオジェックを捕まえてバスターミナルに行くと、ちょうどビマに向け出発しようとしているバスに出食わした。エアコンはなく随分とボロいバスだが、贅沢は言っていられない。

バスは7:10にターミナルを出発した。
乗客はわたしを含め4名と少なめで、通路を挟んで横に座っていた小さな子連れのお母さんと「ビマまでですか?何時頃着きますかね?」などとお菓子をシェアしながら話していた。

ところが、1時間経過してもバスはまだスンバワブサールの町を出ていない。すでに2回目の長めの休止をしているし、運転手は鷹のような目付きで獲物がいないか探りながらローギアでのろのろ運転している。
運転手と助手の必死の努力も虚しく、乗客は10名ほどしか乗ってこなかった。

バスは仕方なく走り出したようだった。その後も運転手は、大きな荷物を抱えた奴らが道端にいないか、鷹のような目付きで見ながら運転している。
そしてさっきからずっとタバコを吸い続けている。タバコは最後の1ミリくらいにちびるまで吸うとゴルゴ13さながらに道端に投げ捨て、すかさず次のタバコを手にする。
思ったように客が集まらない不安をタバコで紛らわしているのだろうか。

しかしここは人口密度の低いスンバワ島である。そもそも人間自体がそんなにいないし、集落もたまに出現するくらいだ。結果としてバスのスピードは少しづつ上がり出した。

バスから見る景色は前日バイクから見た景色とは違い、視座が高い分だけ良い景色に見える。ただ変わり映えはしない。畑、放牧、たまに田んぼ、枯れた丘陵地といった景色が延々と続く。

出発から3、4時間後、バスはついに海沿いの道を走り出した。遠浅の海でマングローブの林も見られる。そして海の向こうにはタンボラ火山がどこまでも続く裾野を広げているのが見える。
山の上は雲に隠れて見えない。登山者も同じように景色が見えていないはずだ。

薄くわかりにくいが、向かって左の薄青色がタンボラ山

わたしは海派ではなく山派なのだが、それでも海の景色を見るのは好きだ。
道は海に面した複雑な地形に沿ってアップダウンを繰り返しながらカーブを右に左に曲がり続ける。とてもゆっくり運転しているのでカーブのGはかからず、小さな子供たちも車酔いをしていない様子だった。

遠浅の海を活かし塩田も数多く作られている。

12:30になり、バスは道端の食堂に止まった。みなで昼食を取る。お弁当を持参している家族やカップラーメンで済ましている人たちもいるが、わたしはせっかくなので食べた。
20,000ルピアだった。

景色は最高
食堂外観

この休憩の後、バスは海に別れを告げ内陸部へと入っていく。
赤茶けた景色が続く。アメリカでいえばアリゾナやニューメキシコあたりの色合いだ。空は青い。
ところがだんだんと平野が広がるにつれ、あたり一面田んぼが広がり出した。東に行けば行くほど乾燥していると聞いていたのにどういうことだろうか。確かな灌漑技術を導入したおかげなんだろうか。

そして稲作効果なのかは不明ながら、明らかに人口密度は高まってくる。西部とは違う。道沿いには途切れることなく町並みが続き、その奥には田んぼが広がる。

やはり物事は自分の目で確かめる必要があるということだろう。

ビマの町は近い。しかしここからが遠い。
いつものインドネシアスタイルで道を外れながら乗客を下ろしていく。そしてこの期に及んでなおも客を乗せている。
「このバスはベモ(乗り合いバス)じゃないよ。」と言いたいが、考えてみるとスンバワ島に来てからベモを見ておらず、ロンボック島によくいた軽トラの荷台に客が乗るのタイプもまれにしか見ていない。
道が単純なので、この町では路線バスをベモがわりにしているのかもしれない。

ようやく到着したビモのバスターミナルは、中心部から500メートルくらいの距離にありとても便利。
オジェックの運転手たちが殺到して来たが、「ホテルは近いので歩いていくつもりだ」と告げると潔く去っていった。

ホテルは王宮の裏手にあるので、シャワーを浴びてから早速王宮跡を見学に行った。

ここは博物館も兼ねているのだが、こじんまりしたもので電気もついていないところを見るとやる気はないようだ。客はわたしの他に2名いた。
展示物は当時の王族の服装や用具が中心で、他にイカット(伝統的な模様の織物)が展示されていた。

そんな中、わたしが気に入ったのは当時の王様や王子、王女の部屋がそのままのしつらえで残されている展示だ。
ここでは王女の部屋の写真を載せておく。

王女と思われる方の写真

現在王族たちはどうしているのだろうかと思い、展示室にいたスタッフの女性に聞いたところ、すぐ近くに今も住んでいるそうだ。
政治に関わる生活をしており、象徴的な存在として、今でもイベントなどにご出席されると聞いた。

わたしはこの話を聞いて、この町の人々の平和でおおらかな雰囲気は、もしかしたら王族の人たちの雰囲気なのかもしれないとおもった。
王宮が憩いの広場と化しており、子供から大人まで公園でピクニックをしているかのような様子なのだ。

大学生の団らん
子供らは原っぱを駆けめぐり、母親たちは持ち込んだ飲食物手におしゃべりに夢中。

ビモの町は今夜で終わり、明日はフローレス島のラブアン・バジョにフェリーで向かう。

朝食(カップラーメン、パン): 12,000ルピア
水1リットル: 8,500ルピア
オジェック(ホテル-バスターミナル): 25,000ルピア
お菓子とパン: 16,000ルピア
バス(スンバワブサールービマ): 100,000ルピア
昼食: 20,000ルピア
ホテル素泊まり1泊: 242,000ルピア
夕食(お粥、バソ): 30,000ルピア

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