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インドネシア人が日本について勘違いしていること

インドネシアは親日国家で、多くのインドネシア人が日本へ大変興味を持ってくれています。また日本についての知識もかなりあり、わたしも日本人として多大な恩恵を受けております。

そうはいっても、あるいはだからこそなのかもしれませんが、結構その情報違うよと感じることもあります。
今回はその中からいくつかご紹介したいと思います。


■ 日本語がむずかしいという理由に、それだけじゃないんだけどなと違和感を感じる

日本語が難しいという理由に、ひらがなとカタカタと漢字の3種類を覚えないといけないからだというインドネシア人が多いです。
別に読めなくても、ローマ字読みで会話だけできれば十分なんですけどね。だって、華僑の人たち漢字全然知らないで中国語で会話してますよ。

場面としてはこんな感じでしょうか。
わたしが日本人だとわかって、「こんにちは」とか「ありがとう」と話しかけてくれて、でも日本語は難しくてマスターできないんだと言い訳し、その理由としてだって3種類覚えないといけないからと言う。
そして、まわりのインドネシア人に、俺って結構わかってるだろとアピールしたい。

これはわたしの憶測ですが、インドネシアでは日本語習得が難しい理由を、おそらくわかりやすいロジックだからひらがな、カタカナ、漢字の3種類を覚えないといけないからと様々な場面で話されているのだと思います。
まあ漢字は難しいと思います。表音文字文化の人にとって表意文字は脳の動かし方が変わりますし、覚えること自体つらいでしょう。

漢字を除けば、実際は文法、てにおは、敬語の方がはるかに厄介と思われますが、そのような説明は理解されにくいので避けられ、結果として前者の知識だけが定着したのだと予想しています。

また、日本語を勉強したことがあるというクラスメートに聞くと、多くは高校のときの授業でとっており、ひらがな、カタカナ、漢字に圧倒されたと言っていました。どうも小学校1年生みたいなノリで、あいうえおから教えているんじゃないでしょうか。
そこで挫折した人の話が広まって、日本語は3種類の文字があるから難しいになっているのかもしれません。

■ 「さくら」という言葉は知っているが、どんな花なのか知らない

”さくら”という言葉は知っているが、実際の花はみたことがないインドネシア人が多い。実物だけでなく画像も見たことがない。ITBの学生はインテリ層なので例外として、飲食店の店員や、寮のスタッフといったわたしが接するインドネシア人の層があてはまります。
木に咲く花ということは知っている人が多い印象です。

寮のスタッフとインドネシアの果物が日本で育つか話をしているときに、花に話が展開し、さくらはインドネシアにあるか話になりました。気候が違うからないんじゃないかとわたしが話したところ、スタッフたちがいやITBに黄色い桜があると言い出したんです。
桜はピンク色(メラムダ)だし、黄色い花が咲いている木は確かにあるが桜ではなく別の木だといったら、Google検索をして、人々が撮ったさくらと称する黄色い桜の画像を大量に見せられました。

皆がさくらと信じていた木

日本のウコン桜のような薄黄色でなく、ヒマワリ級の黄色なので、あきらかに違うのですが、誰かがインドネシアの気候と土壌で色を変化させた新種の可能性があるなどと言い出し、無茶苦茶でした。
けっきょく「そんなわけはない、いつものKata Google(グーグルが言っているだけの話=嘘が混じっている)だ」と言って話が終わりました。

日本にもインドネシアにおける桜のような、言葉として知っているけれど姿かたちを実は知らない何かがあるのではないかと一生懸命思い出そうとしたが、できませんでした。

■ すきやきとしゃぶしゃぶが同じ料理だと思っている、または区別がつかない

すきやきとしゃぶしゃぶは同じ種類の料理だと思っています。アメリカに留学していたときは、妻が作ったおにぎりを、この寿司はおいしいと言われたので、その衝撃よりは少ないですが、いや全然違う料理だからと思ってしまいました。

そもそも食べたことがないのが原因なのですが、料理名を知っているインドネシア人は結構います。ショッピングモールで買い物や外食を楽しめる中所得者以上に限りますが。
日本食レストランのメニューにあったり、店名に”しゃぶしゃぶ”とか”すき焼”が入っているので見たことがあるんですね。
もしかしたら、インドネシア人にとってすき焼もしゃぶしゃぶもほぼ同じ料理に見えている可能性があります。
写真でみると、鉄または陶器の鍋に具材が並べられているので確かに似てはいるんですよ。これくらいの差であれば、ソトアヤムとソトバタウィのように具やスープは違うが同じソトじゃないの?というインドネシア人がいてもおかしくはないです。
同じ煮込み系の料理じゃないかということですね。

また、タイスキ(Thai Suki)のイメージに影響を受けている可能性があります。タイスキというはタイの鍋で、中華だと火鍋、日本だとしゃぶしゃぶが近いです。
本当か嘘か知りませんが、タイスキは日本のすき焼からヒントを得て作られたと言われています。それを言うならタイしゃぶと命名すべきでしたね。

それくらい東南アジアの人にとって、しゃぶしゃぶもすき焼も同じ料理に見えている可能性があります。

■ なぜか日本刀のことをサムライという

日本刀のことをサムライといいます。なぜこのような勘違いが生まれたのかは不明です。
サムライはソルジャーの意味で、これはサムライが持つ武器(インドネシア語でスンジャタ)で刀(かたな)というんだと教えると、ふーんそうなんだという顔をするのですが、覚える気ゼロな態度。

インドネシア人にとって、刀は単なる武器を超えた精神的な存在という点は非常に理解されやすいです。アメリカ人なんかより相当文化レベルは高いんですよ。
ジャワ人にはクリス、スンダ人にはクジャンという小刀を護身用に身に着ける伝統があり、精霊が宿ると信じられています。
日本刀のように先祖伝来のクリス、またはクジャンがあり、悪霊や黒魔術から身を護ってくれると信じられています。

こういう伝統があるので、日本刀が身近なものに感じられ広まったのですが、残念ながら間違ってサムライという名称になってしまいました。

■ 富士山のロケーションをよくわかっていない。

これは勘違いと言っていいか迷うところですが、東京都心部から富士山が見える話をするとインドネシア人の皆さんが大変驚くので入れました。
田町のオフィスから冬は富士山がよく見えました。横浜なんてかなり富士山が大きく見えます。

日本にいったことがない人は知らなくて当然なんですが、日本に行ったことがあるインドネシア人で、東京ー京都間の新幹線の車窓から見た人は結構います。
おそらく、新幹線に乗っている時点で、かなりの距離を移動したと思うでしょうし、インドネシアの都市部は大気汚染がひどく遠くの山が見えませんので、山が見えるのは相当近いという勘違いも生まれると思います。

■ 日本と中国の伝統音楽の違いがよく分かっていない。

欧米人は日本語と中国語が似ていると勘違い(フランス語とスペイン語みたいな関係)しているレベルなので、それがないだけインドネシア人の方が高度ですが、音楽の違いはわからないみたいです。

日本をイメージした展示物なのに音楽に胡弓が使われているという残念な現象がよく見られます。Googleの黄色い桜と一緒で、間違いを直していかないと、それが正しいと勘違いした人が広めていきますので、永久になくなりません。

日本のをイメージした展示の特徴を申し上げますと、主に使われるものは以下です。竹、桜、障子、鳥居、池に鯉、赤い欄干の橋。和食を提供していることをアピールしたい場合は、居酒屋と書いた赤ちょうちんのぼりも定番です。

音楽の勘違いでいえば、日本でもたまに出会うのが、バリをイメージしている店なのにスンダ音楽をかけてしまっているケースですね。同じジャワ島のガムランでも、ジャワとスンダでは違います。
日本人だとわからなかったり気づくのに時間がかかっても、インドネシア人はすぐに分かります。
日本人もやっているのでお互い様ということです。

■ ファミリーネームとファーストネームが逆になっている

マコトウダというと、マコトが苗字でウダがファーストネームと思っているクラスメイトが多かったです。
わたしがどっちでも呼んでもよいと言ったせいなのかもしれませんが、彼らいわく、中国人や韓国人はファミリーネームが先に来るので、日本もてっきり同じと思っていたそうです。
また、インドネシア人は3ワードくらいで名前が構成されており、英語だとファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームみたいに見えるのですが、最初のワードにPakをつけます。例えば今の大統領はJoko Widodoですが、Pak JokoまたはPak Jokowiです。
この影響も多少受けていると思います。ちなみにJokoはファーストネームでもラストネームでもありません。

どうりでMr. Makotoと言ってくるやつがやけに多いなとは思っていました。今回に限らず、昔からインドネシア人のメールはMr. Makotoと書いてくる人が多いです。ようやく理由がわかりました。

Mr. Makotoはやめてくれ、ファーストネームなので呼びすてでよいからと言いました。でも長幼の序を重んじるインドネシア人ですから、自分の親と同世代の52歳のおじさんを呼び捨てにするなんて、さすがにやっちゃだめだろうという雰囲気になっていました。
いまだにMr. Makotoと言ってきたり、メッセージに書いてきたりします。

ちょっと気持ち悪い響きなんですよね。

番外編(答えに自信がない)

忍者はいるのか
わたしは迷いながら「いる」と答えています。
忍者の役割は昔と全く違うものの、忍者として生計を立てている人(伊賀の忍者村の方々)、正当な後継者として忍者の免許皆伝を受けている人、研究家を忍者ということにすればいるからです。
ちゃんと私がこの人は忍者だという定義を説明してはいますが、忍者はいると日本人が言っていたということだけ独り歩きしないか若干心配です。

日本人は無宗教か
日本人の宗教事情について詳しいインドネシア人が割と多い印象です。
これも答え方が難しいです。インドネシア人が「日本人は無宗教か?」と聞いてくるとき、無宗教=無神論という構図が頭にあることが多いです。

ビジネスマンや一定程度の学識がある人向けにわたしがよく説明する話ですが、日本人のほとんどが宗教のビジネスモデルに組み込まれています。
まずほとんどの家が地域の寺の檀家になっていて、一定のお金を払っていると思います。死んだときはお金を払い戒名をつけてもらいます。
節目では神社にお参りしお賽銭を払ったり、おみくじを引いたりしています。破魔矢を買うとかお札を買うとかもありますね。
わたしは御朱印を集めています。

日本の仏教の宗派の多くは妻帯を認めていて、子供に寺のビジネスを相続するんだというとかなり驚く外国人が多いですね。特に仏教の知識がある人は驚きます。
女性は僧侶の道ならぬ恋を想像して、ちょっとどういうことだ、もう少し詳しい話を聞かせろと言ってくる率が高めです。

なのでインドネシア人の宗教とは違うけれど、日本人にも宗教はあると答えています。

まとめ

結構細かいところまでケチをつけたり、あいまいな話をして分散してしまいましたが、いかがだったでしょうか。

日本人がインドネシアに関して勘違いしていることと比べれば、インドネシア人は日本のことを本当によく知っています、と最後にフォローさせていただきます。


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