オープンワールドの新地平 「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」

 クリアしました。

 「ゼルダの伝説」シリーズは、すでに歴史の樹形図があったり無双シリーズが出せたりするくらいに継続的で伝統的なものになっており、“救国の剣士・リンクとゼルダ姫が、巨悪・ガノンを打ち倒すストーリー”という定番のモチーフが基本になっています。この対立をいろいろな時代のいろいろなリンクとゼルダでやるわけです。時代や場所も作品によってバラバラです。リンクとゼルダには連続性がなく、同一人物ではない場合がほとんどです。
 「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下「BotW」)」もまたこの定番ストーリーなのですが、本作の戦いはゲームスタートの100年前から始まっています。“一部を除いて”準備を万全に進めてきたハイラル王国側ですが、予想を覆す厄災ガノンの暴虐によって戦線は崩壊し、ゼルダ姫は自身もろともガノンを封印することになってしまいます。最後の頼みの綱であるプレイヤーキャラクターのリンクは、復活と反撃を期して100年間眠らされます。目覚めた時にはハイラル王国は崩壊100年目。「BotW」のストーリーはこの100年の断絶が重要であると考えています。
 100年という想像もつかない断絶の中で、ゼルダ姫はリンクの復活を待ち続けるわけですが、この100年間に対してどこまで想像を膨らませられるかが、あのあっさりしたエンディングの受け止め方に大きく影響するように思います。
 エンディングには複数のバージョンがあるということなのですが、私としてはあの極端にセリフの少ないエンディングは、100年の時を超えた「BotW」の物語に最もふさわしい内容だったのではないかなと思っています。別バージョンも見ておきたいのは、それはそう。

 オープンワールド(以下OW)のゲームは今のところ「ゴーストオブツシマ」「メタルギアソリッドV The Phantom Pain」の2作品をやったことがあるのですが(2作品しかやったことがない、ということですが)、両作品とも“ある程度ストーリーを進めないと別エリアに行けない”という制約があります。「ツシマ」で仁さんがコトゥン・ハーン、そして叔父上と白刃を交えるのも、「MGSV」でヴェノム・スネークがスカルフェイスと決着をつけ、その後に自分の本来の姿を思い出したりするのも、章立てされたメインストーリーを順番に完了していった上で到達できる“エンディング”です。
 反面、「BotW」は最初から全てのエリアに行けるほか、チュートリアルのシナリオが終わればすぐに最終ボスのガノンの元へ向かうことも可能です。
 もちろん「ツシマ」も「MGSV」も“寄り道”要素はちゃんとありますから、そういう意味ではOWゲームとしての“らしさ”はあるわけですが、ただ「ある程度シームレスなマップと、幾らかの寄り道要素」というのは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」ですでに経験しています。「ツシマ」「MGSV」と「時オカ」の明確な違いを、積極的には見出せないというのが正直なところです。21世紀のOWゲームである「ツシマ」と「MGSV」と、1998年発売の「時オカ」に明確な違いがない、とは。それは“順序性”であると考えています。

 プラットフォームをNINTENDO64に移してから初めての「ゼルダシリーズ」となった「時オカ」は、ある意味ではOWゲーム“的”だったと言っていいのではないでしょうか。360度全方位に広がる世界を走り回れる自由度、立体的な謎解きを要するダンジョンにおける攻略の面白さ、徐々に増えていく装備で行動範囲が広がっていくワクワク感は、2020年代の今日においてリマスター版をプレイしてもなお新鮮で、「時オカ」が画期的作品であったことを思い出します。
 OW的でありながらも、“順序性”は明確に存在していました。エリアAで入手した装備を使わないとエリアBに入れず、エリアB内で手に入れた装備がないとエリアCには行けない、という構造であるため、厳密にはOWゲームではなく、一貫かつ厳格な順序性があります。
 この“順序性”が「ツシマ」「MGSV」「時オカ」にそれぞれ存在している以上は、そこに明確な違いを見出すのは難しいのではないか、というのが正直な所感です。
 あくまで、OWゲーム的であるかという観点で見た時の3作品の違いですから、序列の話ではありません。3作品いずれも素晴らしいゲームであるということはわざわざ書かなくてもいいのですが、一応の断りを入れておこうと思います。

 対して「BotW」。
 アクションゲームやアドベンチャーゲームにおいて存在していた“順序性”という点から、「BotW」はOWゲームの新しい地平を進み始めたゲームだと評価することができるのではないでしょうか。“順序性”から解放され、プレイヤーの創意工夫と腕次第でいかようにも世界を渡ることができる。周辺から攻めてもよし、いきなり本丸に飛び込んでもよし。
 同様に、“順序性からの解放”を達成しているタイトルは海外ゲームなど含めて探せば他にもあるのでしょうけども、日本ゲーム史に名を残す「ゼルダの伝説」がそれをやってのけたのだ、という点で見れば、これは非常に意味があることだと思います。“順序性からの解放”は、主人公のリンクを本当の意味でのプレイヤーの分身とすることが達成できているのではないでしょうか。

 また、“寄り道”への導線も非常に優れているなと感じました。広大なマップを探索する中で嫌でも目に付く高い塔があり、その塔に登れば周辺の地図が手に入ります。この“嫌でも目に付く”というのがポイントです。結果的に登って地図を手に入れて、その地図を眺めてみるとすごく不思議な地形が並んでいるわけです。「絶対ここに何かあるしょ。」という。
 他にも「どう考えてもボムで穴が開くタイプの壁」や「不自然に規則的に並んだ石」とか「暗闇に浮かぶぼんやりとした光」……あげているとキリがないほどの「どう考えても何かあるな。」というゲーマーの嗅覚に訴えてくる導線の数々が、「BotW」を「BotW」たらしめています。そしてこれが、歴代のゼルダシリーズから受け継がれてきた“仕掛け”でもあるのです。ゲーマー的嗅覚はゼルダシリーズで体得した、というゲームプレイヤーも多いのではないでしょうか。

 「BotW」の正統な続編である「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」はつい先日プレイを始めました。こちらも非常に楽しみです。