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魔法使いになった日

どうも前田です
僕がなぜ竹あかりを作っているのか、作ってきたのか少し書かせていただこうと思います。

僕が魔法使いになった日のこと….

竹あかりに出会ったのは大学生の時でした。
大学の教授と先輩方(ちかけん)がやっていたこともあり竹あかりの存在は知ってはいましたし、もともと工具作業が好きでしたので大学でこんなことできたらいいなーとは思っていました。

だだそれでも自分がちかけんで働くとは思ってもいませんでした。

大学での研究室の選択、どの教授の元で卒業論文の制作をするかの選択の際に
迷わず竹あかりを作っている先生を選びました。
これで自由に工具が使える、
それだけの理由で選びました。

それから、山鹿、本妙寺、出水、矢部
熊本で数カ所あかりを飾らせていただきました。
地元の方と一緒に作り、お酒を飲み、仲良くなり、また遊びにいく
こんな関わり方が大好きでした。

2011年秋
みずあかり、
僕らは先生が担当するエリアの設置
直前まで制作していたこともあってみんなフラフラになってやっていたのを覚えています。

満身創痍

今思い返すとこの言葉がしっくりきます。
身も心もボロボロになり
残ったのは、間に合ったという安堵感

そんな中多くの方が写真を撮りに来てくださったり
綺麗ですねと声をかけてくださいました。
本当に嬉しかった。
でも、見る側はいいよなーと思ってる自分もいました。

知り合いも娘さんを連れて見に来てくださり
娘さんが当時小学生の低学年
その子が

女の子:「これお兄ちゃんがつくったの?」
僕:「そうだよ!すごいっしょ!」
ここぞとばかりにドヤ顔で答えました。

女の子:「すごい!すごい!こんなことできるなんてお兄ちゃん魔法使いみたい だね!!」

ニコニコとした笑顔と真直な言葉を聞いて
思わず、「ありがとう、ありがとう」と声に出ていたかどうかは
もうわかりませんが
ブツブツといいながら
泣いてしまったのを覚えています。

この時初めて思いが伝わった気がして、うれしくて、必死になって作った作品が認めたれた気がしました。
作り手になろうと本気で決めた瞬間でもありました。

その後僕は、熊本の工務店に就職しました。
素敵な社長と頼れる先輩方、作り上げる魅力的な空間とても勉強になりました。
しかし、現場から現場の毎日、
店舗のリノベーションが毎日だったので関わる方が同じメンバー、
そして新人の僕の仕事は決まったローテーションのような作業

今思えばいろいろ経験させていただいてたんだと思いますが、
当時の僕にはそんなことわからずに、また、これか…….の毎日

こんな感じの毎日でいいのかな…..
魔法使いのフレーズを思い出しながら休憩になるたびに毎日毎日考えました。
そんな精神状態の中、怪我をしてしまい。
僕は会社を辞める決断をしました。

偶然にもこのタイミングが、ちかけんの池田(ちか)さんが地元の筑後で会社を任され一旦ちかけんの制作から抜けるタイミングでした。

ちかけんから制作でやってみないかというお話しをいただきすぐに
行きます!と返事させていただきました。
ここからちかけんの前田としての人生が始まりました。

現在では日本各地に行かせていただき
現地の皆さんとともにあかりを灯すことに感謝し

気持ちを伝え、笑顔の魔法が広がるように
竹あかりを作っています。

竹あかりは僕にとっての魔法の一つだと思っています。
他に多くの魔法が存在すると思っています。

もっともっと人を笑顔にする魔法を
増やしていければいいなと思います。

7年お世話になった
ちかけんも
今年の春に
一区切り
新たな魔法を覚えるべく
僕は進み始めました

竹あかりもちかけんも
僕の青春であり
仲間であり
家族。

これからも共に
笑顔の魔法を届けます。

#ちかけん #竹あかり #魔法使い #元スタッフ

※熊本地震にあった僕だから、話せる地震当時の現場の様子を今やっと描こうと心が思っているので今書いています。近々アップしますので見ていただけると幸いです。

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