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ひょんなところから九鬼

あるとき、三重県にある『九鬼』というワードに話の花が咲いた。

私が思い出したのは、写真にもある三重県では南端の尾鷲市九鬼。
もうお一人は、九鬼水軍。

九鬼水軍について知らなかったので、少し情報収集。

九鬼水軍(Wikipedia)

三重県尾鷲市久喜町(GoogleMap)


彼の記憶では、桑名あたりの戦で活躍した水軍だという。私の知る地名としての尾鷲市の九鬼とは繋がらなかった。上記のWikiを参考に見てみると、やはり本拠は尾鷲あるいは志摩というエリア。水軍としての活躍を信長方についてこのエリアで活躍したという。彼の言っていた桑名の・・・というのは、長島一向一揆の鎮圧がそれであったようだ。長島というのは、ナガシマスパーランドがあるそのあたりのことを言う。

その後、小田原城攻めでも活躍し、秀吉の朝鮮出兵でも活躍となったようだ。伊勢湾口から九州周りで朝鮮半島に入ったのだろう。水軍としてのベースは造船にあるわけで、それだけ強固な船を建造できた船大工集団でもあったのだろう。


この九鬼の話題は、同じく三重で活躍される2つの企業の話題から。一社はごま製品の製造販売を手掛ける「九鬼産業株式会社」という会社、もう一社は肥料の製造販売を手掛ける「九鬼肥料工業株式会社」からの話題だった。

九鬼産業株式会社

九鬼肥料工業株式会社


九鬼産業は、ごま油や胡麻製品の製造販売を手掛ける。代表者は、今でも『九鬼紋七』を継承し、現在何代目なんでしょうね。「三重県ごま産地化プロジェクト」を手掛けられ、三重県での護摩生産は当時の10倍以上になっているようです。

三重県におけるゴマ栽培の取り組み経過(農林水産省資料より)

後者の九鬼肥料工業の沿革を見ると、最初に「九鬼紋七」の名前が出てくる。現社長も九鬼姓で「九鬼十三男」とおっしゃるようだ。

と言うことは、この2社のルーツはもともと同じだったようです。ごま油の搾りかすは、油粕として肥料となっただろうし、納得納得。その他、魚粉に豆粕も取り扱い拡大していくとともに、鈴鹿山麗西藤原に石灰の山を持つことになったようだ。

このエリアをGoogleMapで

近くには三岐鉄道の終着駅「西藤原駅」が見えるが、まだ現役の駅であるようです。

三岐鉄道・路線図

日本には資源が無いと良く言われますが、このように石灰の採掘場は日本各所にあるようです。すぐ西には、和歌山を流れる吉野川は青白い水の色をしているので、その上流部には多分あると思われます。

東では新潟の姫川は翡翠で有名だけれども、あれだけの青白い水の色をしているから上流部では石灰が掘られているのではなかろうか。その他に群馬だったかにもあるらしい。


九鬼っていうと、私には海産物、海鮮に海!って言う印象であったけれども、九鬼水軍出てくるし、「九鬼紋七」氏の活躍した2大産業出てくるし面白い話題でした。


今回は、三重県の九鬼に関するレポートでした。


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