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子育てと介護と

そもそも記憶力には自信がないのだけれど、わたしには、子ども時代の記憶があまりない。

そんなわたしの子育ては、楽しかった。それはわが子を通して、改めて幸せな子ども時代を体験するものでもあったのだと思う。大いに鍛えられたし、慌ただしく、人並みに悩みもしたけれど、その日々は愛しく面白かった。創造の喜びに満ちた時間だったと思う。

そうして子どもたちが巣立った今、わたしは介護のフェーズにいる。過去には祖父母の介護にも関わってきたし、何が起きても怖くないなどと、おこがましくも思っていたのだが、とんだ伏兵がいた。

それは、長年心の底に蓋をしてきた疼くような思いだ。朝夕実家に通い、家事や介護をするが、そのしんどさは、時間的物理的なものというより、掘り起こされる感情と、今にしてわかること。そして子育てのようには改善策が見つからない現状だ。

子育ては楽しかったと言うわたしでも、これが永遠に続くのかと嘆いた日もあった。しかし過ぎてしまえば子育てはあっという間。子どもは自身で階段を上がっていく。しかも、子育てが終了するということは、子どもがひとり立ちを遂げる喜ばしいことだ。

一方、介護は子育てより終わりが見えない。しかもそれが終わるということは死を意味するわけで、なんとも気持ちは複雑だ。親にとってもわたしにとっても、親が幸せな気持ちでその日に向かって生きて欲しいと願う気持ちは果てしなく大きいのだけれど、それを実現する難しさにあえぎながら、今日も光を探している。

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