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#僕らの旅2022 南九州編 3日目 完結編

2022年8月12日 3日目 最終日

連日の車移動が2日でも続くと疲れが取れないもので、必然的に出発が予定よりも遅くなってしまいます。出発は7時の予定のところ、結局8時過ぎにホテルを出発しました。

▲ ホテルメリージュの朝食バイキング


3.1 きょうも車で

きょうは、宮崎市内から高千穂町、熊本県山都町、阿蘇山、小国町を回り、熊本駅から新幹線で帰阪します。かなりタイトなスケジュールで、出発も60分遅れなので、予定変更は必至です。高千穂では、11時半に貸ボートの予約を取っているので、その間に回れるところを取捨選択しなければなりません。予定では、天岩戸神社、天安河原、荒立神社、槵觸(くしふる)神社、高千穂神社と参拝して、ボートに乗るという流れでした。が、カーナビの到着予定時刻から察するに、回れても1ヶ所ないし2ヶ所までが限界だろうということになって、僕らは天岩戸神社と近接する天安河原の2ヶ所に行くことにしました。

高千穂にはこれまで3回ほど来ています。はじめの2回は高千穂鉄道に乗りにきて、3回目は今回と同じくレンタカーで訪れたのでした。いずれも神社の巡拝はなかったので、今回、天岩戸神社へ詣るのは初めてのことになります。天岩戸神社西本宮横の駐車場には10時過ぎに到着しました。宮崎市内から約2時間の道のりでした。

▲ 青雲橋を渡る

3.2 天岩戸神社と天安河原 神々の故郷へ

▲ 天岩戸神社西本宮参道と鳥居

天岩戸神社は、天照大御神が実弟のスサノオノミコトの粗暴に嫌気がさして身を隠したとされる天岩戸を御神体とした神社です。

太陽を司る天照大御神には、スサノオノミコトという弟がいました。スサノオノミコトは素行が悪く、田の畦を破壊したり、食堂に糞を撒き散らしたりと狼藉ばかり働いては皆を困らせていました。中でも、馬の皮を剥ぎ、その馬を機織り部屋に放り込んで、中で作業中の機織りの女性を驚かせ死に至らしめるという不幸な事件まで引き起こしてしまいますこれに怒り心頭の、姉である天照大御神は、「もう、知らん!」とばかりに天岩戸と呼ばれる洞窟に入り、大きな岩で内側から蓋をしてしまったのです。すると、太陽を司る神が隠れてしまったので、外は真っ暗になってしまいました。農作物も育ちません。これには流石の神々らも困ってしまいました。そこで、神々らは、天安河原に集って対応を協議します。天岩戸の前で鶏を鳴かしてみますが、岩戸は開きません。こんどは、天鈿女命(アメノウズメノミコト)がオガタマの木の枝を片手に岩戸の前で妖艶に踊り、神々らもそれに合わせて賑やかに囃します。すると、何事かと不思議に思った天照大御神は岩戸を開けて顔を出しました。そのとき手力男命(タヂカラヲノミコト)が岩戸を開けて、思兼神(おもいかねのかみ)が中から引っ張り出し、無事に世界は明るさを取り戻しました。一方、スサノオノミコトは反省して、その後出雲へと渡り、ヤマタノオロチを倒したという話になっていきます。

天岩戸神社は、まさにその神話の舞台となった地なのです。

▲ 左に授与所、右側に天岩戸案内の集合場所がある

鳥居を一拝してくぐり参道を進むと、社務所や授与所のある広場に着きました。ここで御神体の天岩戸を拝むことのできる、神職による無料の案内があるので、それに参加します。その前に、授与所に行って御朱印を記帳しておいてもらいます。参拝の後、授与という手筈です。

神職による天岩戸の案内は、30分おきにあって、特段の手続きは不要です。時間になれば、神職の方が来て、「それでは参りましょう」と引率してくれます。鳥居をくぐり、参道左手にある手水舎で清めます。参道右手に木の板で格子状に作った壁があって、その中に天岩戸神社西本宮の拝殿があります。あまり見ない造りです。門をくぐり、右手の内角に大きな木が高くそびえています。御神木であるオガタマの木です。そう、天鈿女命が天岩戸の前で踊った時に手にしていた木の枝がオガタマの木でした。

▲ 御神木 オガタマの木 根元に鶏も見える
▲ 天岩戸神社西本宮拝殿。この裏手に遥拝所がある

まずは、拝殿に参拝します。二拝二拍手一拝です。それが終わると、拝殿の右側にある裏手へ続く通路の入り口が開けられ、その中へと通されます。拝殿に沿って、ちょうど真後ろにくると、ここで一旦立ち止まり、神職による説明がなされます。この場所の下は谷になっており、対岸に天岩戸があり、この神社の御神体であるから禁足地(何人も立ち入ってはならない場所のこと)となっていること、よって、写真等の撮影は厳禁であることなどが神職より説明されました。その後、各自、遥拝所(ようはいじょ:御神体や仏などを遠く離れた場所から拝むところ)にて拝みます。鬱蒼とした木々の隙間から僅かに天岩戸を見ることができました。

ぐるっと拝殿を一周するようにして、再び拝殿横に出てきました。次に天安河原にいきます。神々が天照大御神の立て籠り事件の対応を協議した場所です。歩いて10分ほどのところにあります。

天岩戸神社の拝殿から参道へと出て、来た道とは逆の方向に進みます。境内を出て、歩道のない狭い道路を少し歩いたところに分岐があって、そこから下に下っていきます。道なりに坂道を下っていくのですが、結構、深く降りていきます。先ほど参拝した天岩戸がある谷なのです。谷底には、きれいな水が渓流として流れています。

▲ 谷底には渓流が
▲ 天安河原

大きく口を開けた洞穴が見えてきました。天安河原です。辺りには、賽の河原の石積みのごとく積まれた小石の塔がいくつも建てられていました。拝殿はこの洞穴の中にある小さな祠で、拝んでいきます。真夏の暑い時期でしたが、洞穴は涼しく感じられました。

時計を見ると11時前です。高千穂峡のボートの予約が11時半なので、そろそろ出発せねばなりません。海都と響は若いから来た道を戻るのに上り坂であろうとさっさと進んでいきますが、僕は年寄りなのですぐにスタミナが切れてしまって、息絶え絶えの状態で再び天岩戸神社へ戻ります。授与所でお願いしていた御朱印をいただいて、駐車場へ向かいます。

3.3 高千穂峡のボート

前述の通り、当初の予定では、荒立神社、槵觸(くしふる)神社、高千穂神社と回りたかったところですが、それらすべての訪問を取り止めて、高千穂峡へ向かうことにしました。県道7号、同50号、同203号を経由していきますが、高千穂町でも比較的賑やかな三田井地区に入ると交通量も増えて少し渋滞気味です。しかし、それも立ち寄りたかった高千穂神社の横を抜ければ解消されました。山道を下ってボート乗り場に向かうのですが、ボート乗り場に最も近い駐車場が満車とのことで、遠くの駐車場へと案内されました。それでは間に合わないと思ったので、手続きだけ先に済ませておこうと、僕だけ先に降りて走って行くことにしました。先ほどの天安河原でヘトヘトになっていた僕にとっては過酷な移動で、すぐに徒歩へと変わります。石橋を渡って駐車場を抜けると、奥に事務所があって、そこで予約していた旨伝えます。

手続きを終えてしばらく待っていると、海都と響がやってきました。3人で階段を降りていき、ボート乗り場に到着しました。僕は、やはり7年ぶりで当時と変わらずの風景で懐かしく思いました。一方、海都と響は初めての訪問です。

船長は響、操船は海都

高千穂峡は、五ヶ瀬川にできた渓谷で、阿蘇山の噴火による火砕流の跡が風化・侵食作用によって作り出されたものです。谷の両サイドには、柱状節理と呼ばれる直方体状の縦長の岩が断崖となってそびえ立ちます。ボートを操縦するのは海都です。先ほど渡ってきた橋の下をくぐり、奥へと進みますが、川幅が狭いので他のボートと接触することもしばしばです。しかし、そこはお互い様なので、それぞれに「すみません」と声を掛けあっています。

真名井の滝に近づいてきた

柱状節理の上から落ちる真名井の滝に近づいてきました。濡れないようにそこを避けて通ろうとするので、対向するボートもこちらに寄ってきます。何度か接触しながらも、真名井の滝の横を通過して、奥までやってきました。

さて折り返すぞ

30分ほどボートを楽しんで、駐車場へと向かいます。その道すがら、高千穂峡を俯瞰できる場所があり、眺めておきます。よく観光ガイドブックに載るような風景です。

高千穂峡を俯瞰する

3.4 次は、通潤橋か阿蘇山か

もうお昼過ぎ、12時半になろうかという頃です。予定では熊本県山都町にある通潤橋へ行くことになっていました。13時からの放水を見に行くためです。通潤橋は、谷で隔たれて水源の確保が難しい対岸の土地に農業用水を送るための水道橋です。橋の中に水路があって、水を対岸へと送れるようになっています。その水路に落ち葉やゴミが溜まると水の供給に支障があるので、橋の真ん中に放水口を設けて一気に水を流して水路を清掃します。この放水が観光イベントになっているのです。僕は、海都と響にこれを見させてあげたいと思い、予定を組んだのですが、今からでは間に合いそうにありません。よって、阿蘇山は草千里が浜へ行くことにしました。

阿蘇のカルデラ

国道325号で高森町方面へ向かいます。薄曇りだった空が徐々に濃くなっていきます。峠道を登っていくと、そこは阿蘇の外輪山、則ちカルデラの縁であり、ここからお椀の底、カルデラ内部へと下りていきます。作家・故宮脇俊三さんは、名作「最長片道切符の旅」の中で彼が小学生の頃の授業で「火口の中に人が住んでいる」と教えられ驚いたと触れていましたが、確かにここから見る風景は、火口の中に人が住んでいます。

小学校の地理の時間に「阿蘇では火口のなかに人が住んでいる。汽車も走っている」と教えられ、仰天したことを思い出す。

『最長片道切符の旅』宮脇俊三(新潮社刊)

カルデラに下りると、高森町の市街地をいきます。人家が増えてくると、ここが火口だとは思えません。日本のどこかで目にする地方都市の一集落と何ら変わりません。

阿蘇山は、およそ27万年前から9万年前の間に4回に渡って発生した大規模噴火によってカルデラを形成したといわれています。特におよそ9万年前の噴火は取り分け規模が大きく、破局的噴火といわれ、その際に発生した火砕流が遠く秋吉台にまで流れていったといわれています。また、きょう訪れた高千穂にも流れて、あの柱状節理を形成したのですから、かつての阿蘇山大噴火は想像を絶するものだったといえるでしょう。大規模な地形の形状変化を起こすくらいのエネルギーの放出があったことを想像しただけでも、人間の営みなぞ小さなものに過ぎないのだと感じました。

そんな阿蘇のカルデラの中央部には、内輪山があります。阿蘇五岳である、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳がそびえます。カルデラが形成されて以降も、噴出口からマグマがわき出て、長い年月をかけ新たな火山が形成されていったのです。

僕らは、その阿蘇五岳のうち、中岳の火口入り口にある阿蘇山上広場へと向かいました。が、天気がよろしくない上、そろそろお腹も空いてきたので、中岳の火口へ行くのは諦めて、草千里ヶ浜へと向かいます。

草千里ヶ浜は、北に杵島岳、南に烏帽子岳、東に中岳の三岳に囲まれた場所で、その名の通り、草原が広がっています。馬が放牧され、乗馬もできるなど、観光地になっています。レストハウスもあるので、僕らはここで遅めの昼食とします。

▲ あか牛丼を昼食に

昼食をとっていると、外は割りと強めの雨が降っています。中岳火口へ行っていたら、雨に遭っていたかもしれません。

▲ いきなりだんごをおやつに食べる響氏

3.5 カルデラを縦走して

草千里ヶ浜をあとにして、僕らは杵島岳の西を通って内輪山を下ります。阿蘇駅のそばに出て郵便局で止まってもらい、僕の野暮用を済ませます。その後、国道57号を東進し宮地駅前へいきます。交差点を左折して北上すると、左手に阿蘇神社が見えます。寄っているとこの後の予定が破綻してしまうので、泣く泣く阿蘇神社を通過します。少し走ると、勾配を上がっていきます。外輪山を登っているのです。阿蘇のカルデラを南東方向から入り、中央部を超えて北側から離脱する、カルデラの縦走です。

16時過ぎに鍋ケ滝にきました。小国町の観光地のひとつで、蓬莱川にある滝です。鍋ケ滝は落差はないものの、滝の裏側に入って反対側に抜けられるという特徴があります。裏見の滝といいます。その珍しさとかつて大手飲料メーカーのCMのロケ地だったこともあって、一躍観光地となりました。やはり、僕は7年前に訪れていたのですが、ここでは苦い経験がありました。

▲ 2015年訪問の時の鍋ケ滝

その時はビーチサンダルで旅に出たのですが、途中で靴ずれを起こして歩行困難な事態に陥ったのでした。ビーチサンダルで靴ずれとは意味不明なのですが、僕の足は甲が高いため、ビーチサンダルのベルトが擦れて皮が剥けてしまったのです。その状態で鍋ケ滝の水辺に足を浸けると、ピリピリ痛むんです。そのうち、傷口が擦れて歩行が辛くなったのでした。この旅の後に予定していた東北、北海道の旅を中止したほどです。

僕にとってはリベンジでもあるし、海都と響にとっては初訪問です。鍋ケ滝は、鍋ケ滝公園にあります。前回来たときには当日にふらっと行って入れたのですが、昨今の情勢を踏まえて人数制限を設けていて、事前の予約が必要です。その旨、スマートホンの画面を提示して受付を済ませようとしたのですが、電波の状態が悪く、通信ができません。何度か試して、ようやく提示することができました。

受付を通って、道なりに進むのですが、坂道と階段を下っていきます。今朝訪問した天安河原へ行ったのと同様に、ぐんぐん下っていきます。前回、来たときにはこんなに下ったっけというくらいに下りていきます。ようやく森の中に落ちる滝の音が聞こえてきました。

2022年の鍋ケ滝
裏側から見ると、このように見える
真横から見てみる

僕らは、滝の裏側に入って対岸へ回ります。今回は、スニーカーなので、川に入りませんから足が沁みることはありません。僕らは、思い思いに写真に収めたりします。シルヴィ・バルタンの「あなたのとりこ」が脳内で流れます。もう少し天気が良ければなのですが。

僕らは、熊本駅を目指します。

3.6 旅の終わりに 

レンタカーを熊本駅前の営業所に返却して、駅に行ってお土産を買います。夕食に駅弁を仕入れてホームへと向かいます。

熊本からは19時30分発のつばめ330号に乗り、博多で20時52分発のひかり594号に乗り継ぎます。こんどは、博多での乗り継ぎ時分は34分と短いので、おやつを仕入れて待合室で休憩です。

こんどは、普通車指定席です。

博多からのひかり594号は、ほどよくこみ合う乗車率で、空席は見当たりません。響と僕はおやつを食べますが、海都は旅の疲れで寝入ってしまっています。

新大阪には23時32分に到着。僕らは、疲れ切った様子で、在来線に乗り換えます。新大阪、大阪と見慣れた景色が車窓に映ると、僕らは、すっかり非日常の旅気分から日常へと一気に呼び戻されてしまいました。

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