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拙著『民衆 対 陸軍』の14~15章は次のような内容です。

満州事変の後、わが国の軍国主義化はどんどん進んだ。1933年に国際連盟を脱退し、1934年には、陸軍が「たたかいは創造の父、文化の母である」という衝撃的な言葉で始まる「陸パン」を発行し、政治への干渉を強めた。
 1935年に天皇機関説事件が起き、これを受けて、天皇の権威を絶対化する国体明徴声明が発表された。軍隊の呼び名は「国軍」から「皇軍」に変わり、1936年の二・二六事件の後、暗殺の恐怖が良識ある人々の口を封じた。
 『国体の本義』が1937年に発行され、天皇の神聖化が一段と進んだ。そして、この年7月、日中戦争が始まる。わが軍は中国主要部に深く侵入し、中国の指導者、蒋介石は「ただ抗戦するのみである!」と徹底抗戦の姿勢を打ち出した。

章節立ては以下。


14章 陸軍の影響力の増大
日本の「民衆の台頭」は「軍国主義」に導かれた / 国際連盟脱退による国際社会からの離反 / 陸軍は中国で外交当局のようにふるまった / 「陸パン」による陸軍の政治干渉 / 天皇機関説と君権絶対主義の対立 / 国体明徴声明は二度行われた / 「国軍」から「皇軍」へ / 二・二六事件の趣意書に 「八紘一宇」 /  二 ・二六事件後に軍部のさらなる勢力拡大

15章 『国体の本義』と日中戦争
『国体の本義』の発行 / 「個人主義の行き詰まり」の打開 / 帝国議会は「天皇親政」の「補佐機関」となった / 「皇運の扶翼」が国民の使命となった / 真相不明の発砲が日中戦争の引き金となった / 石原莞爾は日中戦争の拡大に反対した / 日中戦争での支配地に「赤子」が移り住んだ / 蒋介石の抗戦決意


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