身内が亡くなるということ
真っ暗な寝室。
次男を寝かしつけて、そろそろリビングに降りようかなと体を起こした時、父からの着信。
あ、きたな。
覚悟を決めて出ると、さきほど祖母が亡くなったという連絡だった。
去年の10月に余命3か月と宣告されていた。
次男がまだおなかの中にいて出産前後に何かあったら帰れるのかといろんな状況を想定していたのだから、それから1年弱、長くもってくれたのだと思う。
出産前後で逆に仕事の都合はつけやすく、会いに行く時間も作れた。
田んぼや畑のある田舎を始めてみる長男は、祖父の運転するトラクターや近くを走る汽車を楽しんでいて、そんな姿を見て笑顔になってくれたのもとてもよかった。
祖母の家にはカメラが趣味の祖父の撮った長男の写真が大きく引き伸ばされて飾ってあった。
夫が、なるべく沢山会いに行った方がいい、ひ孫の顔を見せたら元気が出るかもしれない。と片道3時間の運転を全く苦にせず担ってくれていた。
介護疲れが出てきていた父と飲みに行って、沢山話を聞いてくれたようでそれもとてもありがたかった。
祖父母は物をため込む人で、掃除をしているところも子供の頃から見たことがない。
家は正直きれいとは言えないし、出してくれるスリッパを履くのも抵抗がある。
幼い子供をそんなところに連れてくるのは、、と父が一生懸命掃除をしてくれたらしく多少ましになっていたのだけど、それでも潔癖気味の夫にはかなり辛い環境だったと思う。
息を吐くようにクレームを言う夫(悪口でなくもはや特性)が、祖母の家について何も言ったことがない。帰ったらすぐ自分と長男の靴下を履き替えているから、耐えてくれてるんだと思う。
できた人だなと思う。
ありがたいことに、これまで父方・母方の祖母全員がご健在という身で、身近な人が亡くなったらどうしたらいいのか、何を思うのか、正直ピンとこない。
お通夜・お葬式の調整もまだのようで、長男に着せる白いシャツを買いに行かなければ、次男はもう動き回るから和室の宿を抑えなければと現実的な心配だけして、でも落ち着かず、これを書いている。
子どものころはかなり遠方に住んでいたから、お盆とお正月の2回会いに行っていた。
思い出すのは、元気だったころの祖母がだだっ広い母屋に座布団を重ねて、跳び箱のようにしてくれたこと。
畑でとれたスイカをザクザク切って出してくれたこと。
赤ちゃん用のミルクを貯金箱にしていて、私だけ冬生まれでかわいそうだ、と不思議な理由でお小遣いをくれたこと。
ネイルを塗ってくれたら、喜んで、でも畑行ったらすぐとれるわぁキレイやわぁ、はるちゃんが塗ってくれたわあと喜んでくれたこと。
あ、なんか悲しくなってきたかも。
全然悲しいと思えない自分に大丈夫かなと思っていたけど、大丈夫そうだ。
お父さんが心配だなぁ。
次男が起きてきたので、ひとまずここまで。
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