大学時代に中国留学したけど、中国語ではなくトラブル解決のやり方をしごかれた話
【はじめに】
学生時代に運動部で厳しい練習を経験しておけば、その後の社会人生活も乗り切れる、らしい。
たしかに彼らは体力もあるし、歯を食いしばって練習に耐えた根性もある。
ブラック企業を乗り越えられるのは、体育会系が多いのもうなずける話だ。
ただ、こういう話のフリをしといてなんだが、今年34歳になったぼくは学生時代、体育会系育ちではなかった。
中学時代は陸上部に入ったものの、走りまくる練習に嫌気がさして、中2の春に脱走。
高校時代も体操部に体験入部するものの、全身筋肉痛の練習に悲鳴をあげ、高1のGW明けに大脱走。
けっきょく高校生の時は、数学の先生に誘われた囲碁将棋部に入り、放課後はオセロを打ちながらお茶をにごした。
運動を続ける根性どころか、囲碁と将棋を上達させる根性すらない、筋金入りのモヤシ男である。
しかしこんなぼくにも、この学生時代に厳しい経験を積んでおけば、その後の社会人も乗り切れる事例があった。
それが大学3年生の時に経験した、2週間の中国語留学時のトラブル解決である。
偶然&過失で多発する海外トラブル。
引率の中国人先生の常軌を逸した対応。
そして泣く泣く自力解決をしに走る上海生活。
たとえるなら、ぼくが家のボヤ騒ぎを起こしたら、大家の中国人がガソリンかけて大炎上。そして中国人大家に、「この火事、キミが消しといてね!」と言われるようなアホな経験である。
人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。 by チャーリー・チャップリン(コメディアン)
ただチャップリンもこう言ってることだし、そろそろぼくの13年前の中国経験を笑ってもらえたら、これ幸いである。
【本文】
「私の知り合いの中国人先生、こんな上海留学プランを組んだんですよ。興味あります?」
そろそろ梅雨入りしそうな2007年の5月末ごろ。
大学の中国語のクラスが終わると、ぼくの中国語の授業を担当していた中国人女性の先生は、こんなチラシを見せてくれた。
見ると、「夏の中国上海2週間留学!13万円!航空券込み!」という文字がおどっている。
良さげである。
その3ヶ月前、ぼくは初めて1ヶ月の中国留学で海外を体験したぼくは、海外にハマってしまった。
中国での会話、行動、値段交渉などなど。
日本では顔色をうかがいながら落としどころを探す典型的なジャパニーズボーイだったぼくだが、中国では言いたいことを言い、値段交渉では電卓を叩きまくり、自分を主張しまくれる自分に気づいた。
旅の恥はかき捨てではないが、ここは日本と違うからいつもと違う自分でいい、と思えたのが功を奏したのだろう。
中国の路上でオッチャンから中国製のエロ本を買うときなど、ぼくの値段交渉が激しすぎるので、オッチャンがうんざりしながら、「お前は本当に日本人か?」と言われたほどだ。
なので、その中国にまた行けそうだと聞いて、大喜びするぼく。
さっそくぼくは最初に中国留学に行った時に出会った友人たちにチラシを見せて誘った。
そして、2007年の8月。
ぼくらは期待に胸を膨らませ、中国の上海へと旅立ったのである。
しかし、ぼくは前回は「自分の日本の大学が企画したちゃんと準備された留学ツアー」なのに対し、今回は「中国人の先生が企画したメイド バイ チャイニーズのいい加減な留学ツアー」なことに気づくのに、そう時間はかからなかった……。
今回ぼくらを中国の上海に連れて行く中国人先生は、J先生という。
頭がハゲているのか、剃り上げているのが不明だが、メガネをかけたお坊さんのような見た目である。
普段のJ先生は、うちの大学以外に名門W大学や他の大学でも中国語を教えているらしい。
上海留学に集まった生徒は、大学生を中心に30人ほど。社会人も半分くらいいて、バラエティーに富んでいる。
ぼくはJ先生のことをよく知らなかったのだが、こうして日本の大学で働きまくり、夏休みはプライベート留学ツアーを企画して生徒を中国の大学に連れていくようだ。
ただこのJ先生、上海に着いてからわかったのだが、絵に描いたライフ イズ マネーな性格なのである。
ぼくらがそれに気づいたのは、初日のことだった。
上海に飛んで、大学に荷物を置くと、J先生が上海の街歩きツアーをしてくれるという。
ぼくらは楽しみにしながら、寮の入り口に集合した。
そしてツアー用のバスを探したのだが、これがないのである。
30人弱もいるのだから、それくらいあってはいいのではないか?
現にぼくらの大学の企画で中国留学した時は、20人だったけどバスが用意されてたのだ。
(あれ?もしかしたら地下鉄か、市営のバスを使うのかな?)
そう思いながら、先生について行くと、彼はそのままどデカい上海の街を歩き出した。
夏の上海の気温は夕方でも30度を超える。サウナにいるような湿気とあいまって、早くもフラフラになりそうだ。
しかし中国人のJ先生は、全くおかまいなし。
「先生、暑いし、トイレも行きたいです」
と言ったら、今度は5つ星ホテルに入って行く。
そして彼はヌケヌケと言った。
「高級ホテルのトイレは綺麗だし、タダで使えるからオススメだヨ!」
どうやらこの先生、ぼくらが渡した留学費を1元でも使いたくないらしい。
けっきょくぼくらは上海を代表する観光地・豫園(よえん)まで30〜40分ほどかけて歩かされた。
ちなみに散歩中のBGMは、J先生の自慢話である。
「ぼくは東京と上海にマンションを持っているんだ。テレビはSHARPの液晶テレビ。世界の亀山工場製だヨ!」
聞いてないよ!と言いたいが、スマホもないし、インターネットはネットカフェに行かないと使えない2007年のことである。
この中国人のオジサンについて行かないと、上海で迷ってしまう。
仕方なくぼくはJ先生から離れ、友人と「暑い……。バスに乗りたい……。J先生は守銭奴!」と呪いの言葉をつぶやきながら、上海の街を歩いた。
しかしこんなのは序章で、ここからアホな留学生のぼくと、J先生のバカ試合が始まった。
「帰りのチケットがない!」
ぼくは上海の大学の寮でそう叫んだ。
時は2007年の夏の上海。LCC(格安航空会社)はないし、電子チケットも一般化していない。
そう思うとスマートフォンは本当に旅行業界に革命を起こしたと思うのだが、この頃は紙のチケットだった。
「え?チケットは行きのチケットについてたじゃん。あれは往復チケットだよ」
相部屋だった同じ大学の友達は言った。
彼はリーダーと呼ばれており、親が日本の航空会社で働いている関係か、海外旅行経験が豊富な男である。
「リーダー。オレの航空券、どこ探してもないんだけど……。」
「まさかマエパン(ぼくのこと)、成田空港のゴミ箱に捨ててきちゃったの……?」
「それか行きに乗った飛行機のシートかな……」
「とりあえずJ先生に聞いてみたら?」
散歩ではあてにならなかったが、J先生は中国人の引率である。
前の留学でも困ったことがあれば、中国人のスタッフさんが親切に対応してくたし、なんとかしてくれるだろう。
と思ってJ先生の元に行くと、彼は言った。
「えー!?航空券がない。ダメだよ、自分で管理しないと。ぼくは知らないヨー」
みるみる機嫌の悪くなるJ先生。
なんだ!?この人は!
元はと言えばぼくが悪いのだが、どうやらこの先生は助けてくれるつもりは全くないらしい。
あんたの大好きなSHARPの液晶テレビは、アフターサービスもバッチリだぞ。少しは見習え!
てか、今留学中なんだから、アフターサービスというか、普通にサービスしてくれよ!
「とりあえず帰国する数日前まで探して、また考えよう」
そういうJ先生。とりあえずいったん問題は棚に置かれたが、ぼくの頭に「ひょっとしたらこの中国人の先生、何かトラブルがあっても助けてくれないのでは?」と嫌な予感がよぎった。
〜〜〜
お腹が痛い。お腹が痛すぎる。
留学5日くらい経つと、今度ぼくは腹痛に苦しめられていた。
ぼくだけでなく、まわりの留学仲間の5人くらいが腹痛に苦しんでいるので、何か食べたものに理由があるのだろう。
しかし中国人の引率の先生は、こちらを心配してくる様子はない。
「今日の夜は雑技団見るから、みんな、夜は18時に集合ね。ちなみに現地集合だヨー!」
お腹が痛いと訴えてるぼくを「そのうちなんとかなるよ」と言って、雑技団イベントの説明をするJ先生。
航空券のこともあり、ぼくにはいっそう風当たりが強い。
だが夜になったが、ぼくらの腹痛は治まる気配がなさそうである。
みんなお腹が痛いので、地下鉄に乗るのを断念し、ぼくらはタクシーで雑技団の会場へ向かった。
もう限界である。
ぼくだけではなく、みんなお腹が痛いのだ。
しかも前の留学先はちゃんとこういう時に対応して中国の病院に連れていってくれたので、これはJ先生の対応の問題である。
ぼくはズカズカと雑技団会場に入り、先生に真面目な顔でいった。
「先生、お腹痛くて限界です。病院連れていってください」
すると、J先生はにこやかな笑顔でこう言った。
「オウ!それは大変だったね!でも大丈夫!今から雑技団みれば治るヨ!」
(そんなもんで治ったら、この世に医者はいらねーんだよ!)
まだ中国のパンダに頼んだ方が、もっとマシな対応をしてくれるのではないか?
こめかみが怒りでピクピクしながら、ぼくは理不尽な目の前の中国人のJ先生にキレていた。
いや、中国人でも優しい人はたくさんいるので、問題はこの事なかれ主義の先生である。
これは明日病院へ連れていってもらわねばならない。
ちなみに雑技団を見ても腹痛は治らなかった。
〜〜締め切り時間が来たので、悔しいけど、ここまで〜〜
ちなみに箇条書きで書くと、
・航空券は無くしたまま戻ってこなかった。
・先生に言ったけど、「自分でなんとかしなヨ〜」と衝撃の言葉を言われた。
・自分にはお金がなかったので、まわりの日本人の友達に土下座して5万円借りた。
・中国語を話せなかったので、友人に来てもらい、なんとか頑張って航空券を買った。
・中国で中国語はぜんぜん覚えなかったけど、あきらめずに最後まで行動することを覚えた。
・そして10年後、今もあの留学で海外の良さに気づいた自分は海外に行ってる。
・お腹痛くなったり、57万円のパソコン壊したり、盗まれたりするけど、このスパルタ教育のおかげであきらめずに、海外旅行保険を調べたりして請求してる。
・語学は成長してないけど、トラブル対処ばかりは上手くなった。
というお話です。
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