『おつかれヒラエスお夜食堂ーあやかしマスターは『思い出の味』であなたを癒しますー』第7話
第6話
第7話
「なるほど。男女雇用機会均等法制定からしばらくたった時代の、兼業主婦の作った、さらっと煮込んだごろごろしゃきしゃき野菜カレーの思い出……確かにそれはこれまでの『思い出』にありませんでしたね」
ある夜。『おつかれさまのヒラエス食堂』閉店後の食堂にて。
店長は女中と一緒に席につき、二人でカレーを実食していた。
「ん〜! 牛肉と白米のカレーライスはやっぱり最高ですねっ!」
頬に手を添え、女中姿の娘がたまらないといった顔をする。
「うちの時代には、カレーなんて鯨肉がみじん切りでこま〜く入っとるだけでしたもんねえ。くっさい肉の臭い消しのためにカレー粉を使ってたって感じでしたし。米も玄米で。しかも女中のうちなんて食べられませんもん。カレー粉炒めて、作って匂いだけで『は〜! 美味しいだろうな〜!』って想像で味わうだけで、あとはお屋敷の旦那様がたがぺろりたいらげて。……はあ、美味しいなあ。今の時代って最高」
女中姿の娘の饒舌な言葉に、店長は苦笑する。
「『うちの時代』って、どの時代のことを言っているのですか。あなた100歳超えているでしょう。それこそ、」
「まあまあ、遣いになってこの姿になってるんですから、娘時代の気分になるもんですよ、神様」
女中姿の娘は得意げににっこりと笑う。
その微笑みはどこか外見年齢とも口調とも似合わない、不思議な雰囲気があった。彼女は食べながらしみじみと呟く。
「いや、専業主婦とか兼業主婦とか、結局、ほんと一時期だけの話ですもんね。高度経済成長ってなる前は、ずーっと畑仕事だのなんだの、賃労働だの、婦人会の働きだの、働かんでおるなんて無理でしたもん。料理だってこんな凝った料理とか日常的にしませんし。玄米飯をこれでもかって食らってから、つけもんとか塩辛いもんば、ちょっと食べるくらいでしたよ。お金持ちの家以外は」
「あなたの口から聞く『思い出』も味わい深いものですね」
「でしょ? しっかり味わってくださいね」
「ええ、組さん」
向かいの店長はいつの間にか、銀髪から大きな狐耳を生やし、ベストのセンターベンツから長いふさふさとしたしっぽを出していた。
「……今日もこうして『思い出』と『感謝』をいただいたので、またしばらくはここを営めそうですね」
唇をペロリと舐め、店長の狐は窓の外を見る。
窓の外には賑やかなアーケード街の景色が写っている。
ーー戦後日本の好景気。
もはや戦後ではないーー華やかな装いに身を包んだ女性たちに、元気に駆け回るたくさんの子供達と、割烹着を着て買い物に向かう女たち。夜の街に笑顔で向かう、力仕事でくたびれた様子の男たちの背中。
日本全国で当たり前のようにみられた、人々の営み。
その記憶たちがないまぜになり、この異界の地で永遠となっている。
店長が一つ一つ集めた『人の幸福な記憶』の集合体だ。
人口減少社会。
日本各地、さまざまな土地からは人が消え、思い出が消え、記録にすら残らない過去を伝承する人も、文化も全て失われてしまう。日常生活の記録なんてあっという間に消えていく。
店長は人々の心から消えた失われし場所に住んでいる。
そこは古くは隠世ともマヨイガとも呼ばれたこともある、今は怪異として人々にまことしやかに噂されている場所。
全国各地の道から、どこからともなく連れて行かれるどこか。
そして店長は人々の『思い出』に触れ、対価として思い出の味を差し出している。
ぱくり。
カレーを一口、口にする。
店長が目を店内へと向ければ、そこにカレーを一緒に作る幸せそうな母娘の姿が映し出された。
『ごめんね、お母さんあまり料理得意じゃないから』
『そう? 美味しいじゃんカレー。早く食べちゃおうよ、一緒にさ』
『……ふふ、そうね』
少しだけ煮込んだところですぐに火を止め、ナイター中継を見たまま寝てしまった父を起こさないようにそっと二人で食べたカレー。
娘は仕事を持つ母の、化粧の匂いが好きだった。
友達のお母さんたちとは違う、ハイヒールでカツカツと歩く背中が好きだった。
ーーそんな母が、申し訳なく思う必要なんてない。
私だって、お母さんみたいになりたい。
そんな彼女の思いも、カレーの味を通じて狐へと届いてくる。
「……すでに幼い頃から、同志だったのですね、お二人は」
「ねえマスター、うちおかわりしていい?」
「いいですよ、組さん。お腹いっぱいになってまたあなたの100年の『思い出』も聞かせてくださいね」
「勿論ですよ〜!」
組と呼ばれた女中はいそいそと空の皿を持って奥へと入る。
狐はカレーをまた一口味わいながら、ふっと一人呟いた。
「農耕神だった時代から、御食津神の眷属の扱いを経て……立場は変われども、人々の心はやはり、食の幸福と共にあるのだと常々感じますね」
そして彼は、心からの感謝を込めて全てを平らげる。
空の皿を前に、丁寧に手を合わせて頭を下げ、つぶやいた。
「ごちそうさまでした、良き思い出、忘れられし追憶を」
ーーその時。
ジジ、と羽音のような音を立て、窓の外の景色が変化する。
戻ってきた組が「あっ」と声をあげる。
「次のお客様ですか? 早いですねえ」
「ええ。もしかしたら、先日のお客様が引き寄せてくださったのかもしれません」
食堂の窓の外は、夕焼け空とグラウンドを映している。
その景色が意味する『思い出』を思いーーマスターは唇をぺろりと舐めた。
「また次のお客様は、一体どんな……失われた『思い出』を供えてくださるのでしょうね」
◇◇◇
「あーあ……地元帰りたくねえー……」
バッティングセンターでバットを振り、ため息を溢す男がいた。
首にかけたままの社員証が、スイングでひらりと飛び出す。そこに書かれた名前は常盤天啓。
かつては天啓を受けた神童と呼ばれた常盤は、今ではごく普通のサラリーマンだ。本当は、こんな人生じゃなかったのに。
常盤はバッティングセンターを出て、バスに乗る。
バスの一番後ろに乗って眠り込んだところで、知らないバス停にたどり着いた。
「なんだ、ここは……」
たどり着いたのは廃墟の駅、そして廃墟の商店街。
足元に黒猫が歩く。
「ん? かわいい黒猫だな」
猫好きの常盤はついていく。
そして向かうのは食堂だった。
【完】
◇◇◇あとがき◇◇◇
お読みいただきまして誠にありがとうございました。
こちら、創作大賞2023参加作品です。
上記にあります通り、こちら読者様の応援で一次選考が決定となるようです。もし楽しんでいただけましたら、スキやコメント、読了率などで応援していただけたら嬉しいです。
狐のマスターと組の関係や、他の『思い出』も書いていきたいです。
何卒お力添えのほど、よろしくお願いいたします。
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