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『おつかれヒラエスお夜食堂ーあやかしマスターは『思い出の味』であなたを癒しますー』第2話

前回

第2話

「よかった……」

 私はほっと肩の力を抜いた。よかった、とにかく誰かいる。
 私はパンプスを鳴らしてそこまで早足で向かう。一度も入ったことのないお店に一人で入るなんてちょっと勇気がいるけれど、廃墟のアーケードに佇んでいることの方がよっぽど怖かった。

 そのお店は磨き上げられた木製の古風な外装をしていた。
 店の中はマホガニーの調度品で整えられ、落ち着いた懐かしい洋食屋、個人のレストランといった風情だ。天井には暖色のシャンデリアが輝き、テーブルには糊のきいたテーブルクロスがかけられている。深夜とは思えないホッとする雰囲気に拍子抜けする。
 どうやら誰もいないようだが、奥の方で白いエプロンと女の子の後ろ姿が揺れた。女の子を見ると、急に心が安らいできたのを感じた。
 私はドアを開く。ドアベルがカラカラと大きく鳴り響く。

「いらっしゃいませ!」

 奥から先ほど見えたウエイトレスさんが現れた。
 和服にこれまた糊のきいたエプロンを纏った、明治ドラマの「女中さん」といった感じの女の子だ。真っ黒なおさげ髪を二つに結って、まるで朝の連続テレビドラマから飛び出したような姿だ。

「いらっしゃいませ、お好きなお席にどうぞ」

 にっこりと笑う。
 明らかに十代のように見える。就業規則的に問題はないのか気になるけれど、今はつっこみを入れる元気もない。私は窓辺の四人掛けの席に腰を下ろす。
 革張りのソファが心地よく軋む。テーブルには生花が飾られていて綺麗だ。
 古いお店なのに、しっかり席にはコンセントを指す場所が設けられている。
 私はこれ幸いに、うんともすんとも言わなくなったスマートフォンをそこにさす。

 すると、さっとお冷とメニューを出される。
 そこには『思い出』とだけ書かれていた。

「……思い出?」

 読み上げた私に、ピカピカのトレイを持った女の子が答える。

「はい、思い出です。当店は日々の生活でお疲れのお客様に、思い出の懐かしいレシピを味わっていただくことで心を癒してお腹を満たしていただく、他にはないサービスの『お夜食堂』です」

 説明し慣れているのだろう、女の子はスラスラと説明する。
 しかし説明されても、いまいち飲み込めない。

「再現って……今いきなり言っても再現できるの? 仕入れとか、下ごしらえとか……」
「その辺は、マスターは神様なので問題ありません」
「神様?」
「はい。食べ物の神様、です! だからなんでもまず言ってみてください!」

 ぶい、とピースサインを作って胸を張る女の子。
 変わったことを言う女の子だ。
 変な店に入ってしまった……と、ちょっと後悔してしまう。
 癖のあるマスターがやっているお店は、個人店にありがちだ。相性が合えばいいけれど、合わなければ気まずい思いをするためにお金を払うようなものになる。
 心細いところで店に入った身なのに、すでに帰りたいなと腰を浮かせたくなっている。
 けれどお腹がきゅうう、と鳴ってしまう。足もくたくただ。
 女の子がにぱっと笑う。私は観念した。

「思い出のレシピと言っても……いきなり言われても私、わからないわ」
「ふむ、でしたら食べ慣れたもの、などはいかがですか?」

 そういう客にも慣れているのだろう、女の子はすぐに代案を出してくれる。
 なんだか急に自分が面倒な客になってしまったような気がして、クレームのことを思い出し、私はこのお店のやり方に従おうと覚悟が決まった。
 郷に入れば剛に従え、だ。

「どんなメニューの注文が多いの?」
「そうですね、お客様の中で多いのは……新卒で食べに行ったレストランのランチ、最期にお子さんが出してくれたアイスクリーム、初恋の人と食べたファーストフードの限定メニュー、二度と食べられない実家の味ーー」

 指折り数えて挙げてくれる彼女の言葉に、ピンとくる。

「実家の味……」
「あっ、気になりますか?」
「……でもやっぱり無理よ。母のレシピなんて、そのまま再現するのって難しいだろうし覚えていないわ」
「その点は大丈夫ですよ。何せ神様なので」

 女の子は伝票にさらさらとメモをする。
 紐をつけられた鉛筆は、小刀で先を削ったちびたものだ。どこまでも古風だなと思って、ついしみじみ手元を眺めてしまう。

「ではーー『実家の懐かしい味』と言うことで、ご注文承っていいですか?」
「ええ、よろしくね」
「かしこまりました、それではしばらくお待ちください」

 ぺこりと頭を下げ、女の子はカウンターの奥へと入っていった。
 遠くくぐもった場所から、男性の声と女の子の声が聞こえてくる。

「まあ、……実家の味ってことにすれば、そこそこヘルシーで美味しいものが出てくるわよね。煮物料理とか」

 私は頬杖をついて、机に置いてある丸い占いマシンのようなものをクルクルと弄ぶ。お袋の味、実家の味、お母さんの味。大抵そう言うものは、茶色でくったり煮込まれた和食か、はたまた可愛らしく子供のために趣向が凝らされた可愛らしい栄養たっぷりのめユーだ。
 コンビニで少し前に名前が炎上してたみたいに、「懐かしの家庭料理」ってイメージが大抵決まってる。

 クルクルと回しながら、ふと一人でおかしくなって笑う。
 私にとっての「懐かしの家庭料理」は、そういう望まれた郷愁の形とは違うものだ。
 母は煮物なんて作らない。凝った手料理なんてほとんどない。
 だって母は兼業主婦で、そんな余裕なんてなかった。

 母が仕事帰りのストッキングを履いたまま、パリッとしたオフィスカジュアルが汚れないようにエプロンをつけて、大急ぎで用意してくれる夕飯の味。それはちょうどーー

「カレー……?」

 キッチンの方から、カレーの香ばしい匂いが漂ってくる。

 すると向こうのほうから、良い香りがしてきた、
 お皿を出す音もする。

「え、……早い」

 私はびっくりした。
 カレーの匂いはいかにも洋食屋といった匂いではなく、どこか嗅ぎ覚えのある匂いだ。煮込みすぎていない家庭のカレーの匂いって、確かこんな感じだった気がする。メニューが一種類なのに珍しい、と思う。夜から営業だとしても、大抵のお店のカレーは大鍋でつくられ、しっかり煮込まれているはずだ。

 女の子が元気に、ピカピカの銀のお盆を掲げてやってくる。

「お待たせしました。『ごろごろお野菜のしゃきしゃきカレー』です!」

 真っ白なテーブルクロスの上に出されたのは、カレーとサラダのセットだ。
 サラダは千切りキャベツにスライスしたきゅうり、プチトマトにマヨネーズがかけられて。丸く添えられたポテトサラダはいかにも市販のもの、といったものだ。
 真っ白なカレー皿に盛られたカレーは、綺麗に半分にご飯とカレーが分けられたもので、具はほとんど溶けていない。真っ白く輝く炊き立てのご飯と同じくらいこんもりごろごろ、ジャガイモやにんじん、玉ねぎ、グリーンピース、コーンが強く主張している。
 まるで子供が「カレーを食べたい!」と思ったら想像するカレーという感じだ。

 見ていると急にお腹が空いてきた。

 「いただきます」

 私は手を合わせ、陶器製の可愛い持ち手のフォークでカレーをすくう。
 口に入れると懐かしい、カレーらしい味が口の中に広がった。

 ーーひと煮立ちだけの、ルーに練り込まれたスパイスがはっきりとしたカレー。

 ジャガイモは事前にレンジで火を通して時短で調理された、鋭角がはっきりとしたもの。噛んで断面を見てみると、カレーが染み込まないジャガイモ本来のほくほくとした色が覗く。にんじんも本来の甘さと歯応えを楽しめる煮込み具合で、玉ねぎも火こそ通ってはいれど、飴色には程遠いシャキシャキした歯応えだ。
 米は炊き立てのぴかぴかで、カレーがさっぱりとしている分、お米本来の甘さとしっとりした食感がしっかりと味わえる。味は優しい中辛。
 サラダも、盛り付けてすぐの歯応えがした。

 ーー急いで作った。
 けれど精一杯できる限り、『きちんとした』食卓を作ったカレー。
 ーー懐かしい家庭の味だった。

「美味しい……」

 私は素直に感動した。
 それは母の『思い出』そのものだ。
 私が夢中で食べている間、女の子が声をかけてくることはなかった。
 また感想を聞きにくるのかなと思っていたけれど、意外だった。
 食べる時は邪魔しないスタンスのお店らしい。

 女の子はちょうどいいタイミングでお冷を持ってきてサラダのお皿を下げてくれた以外は、奥に引っ込んだまま出てこなかった。

 私は美味しく全てを平らげる。
 よく見ればこのお皿自体も、昔カレー皿として使ってくれていたお皿の形に見えてきた。パンを買ってシールを集めれば、もらえるつるりとした白い皿。

 物思いに耽る。
 ーー母は、本当に忙しい人だった。
 数少ない手料理はどれも、こういったさっと作ったもので。

「こちら、サービスのアイスでございます」

 女の子がやってきて、食後のアイスをつけてくれる。
 アイスは市販のバニラアイスをお皿に盛って、上にジャムを少しだけ垂らした甘いものだ。本当に、何から何まで。
 
 みていると、涙がじわりと出てくる。

「どうして、こんなに完璧にわかるの……?」

 たまらなくなった私に、女の子が優しく微笑んだ。

「マスターは神様、ですから」
「神様……」
「よかったらお話ししませんか? マスターも感想聞きたがってますし」
「えっ……」

 その時。携帯の充電器が終わったらしく、表にしていた画面がぽんと明るくなる。
 立て続けにメッセージが受信され、振動する。
 明日のクレーム処理に対する支店長の指示だ。
 急に夢から覚めた気分だ。
 そうだ。神様とか、感想を聞きたがってるとか、あまりに胡散臭すぎる。

「……うーん、また今度にするわ」

 私はお会計を済ませた。
 女の子は無理に引き留めることなく、私をレジに案内する。
 こういうところでクレジットカードを使えると思わなかったので、現金じゃなくてほっとした。

「ところでここからどうやって帰ればいいかしら。初めてここに来たんだけど」

 私が住所を伝えると、女の子は軽いノリで笑う。

「ここなら歩いて十分くらいで帰れますよ。道、かいときますね」
「え、ええ……?」
 
 終点なのに? と思ったけれど、カレーの不思議体験のあとはもう何も疑う気にもならず、疲れもあったので女の子の言うことを素直に受け入れた。
 女の子はショップカードの裏に手書きで、この店から自宅までの道をかいてくれた。

「これでまたお越しになれます。次はマスターともお話してみてくださいね」

 最後。ドアベルを鳴らして出る私を、彼女は見えなくなるまで見送ってくれた。

「またお越しください」
「ありがとう」

 私は頷く。
 行きは暗くて怖い道だと思ったけれど、帰りは不思議とぼーっと帰れるほど、気持ちが穏やかに帰宅することができた。
 角を曲がると、うちの一番近くのコンビニの明かりが見えた。ほっとする。

「……なんだったんだろう……」

 そして歩きながら思う。
 本当にあの店はなんだったのだろうと。
 お話しますか? と言われたのは、メニューについて語って欲しかったんだろうか。
 大抵ああいう店はそういう客とのコミュニケーションを大事にする。
 身構えてしまったけれど、神様というのもあまり深い意味はなかったかとしれない。昔テレビで「○○の神様」みたいに持ち上げられたことがある、とか。

 ーーけれど、とてもじゃないけれど気軽に話せないくらい、『思い出』は重たいものだった。

「一年前、急の病で呆気なく亡くなった母を思い出すの。私の母は、まだまだ兼業主婦の肩身が狭い時代だった頃の兼業主婦だったの……」

 ーーそんなこと、いきなり口にしたらとんだ鬱陶しい客だ。
 
 スマートフォンには次々と、明日対応するクレーム案件がミルフィーユのように積み重なっていた。

第3話


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