私と農
人生24年目で、揺るぎなく感じていることがある。
それは農に関わらねばならないという謎の使命感。
「農業に関わったのなど大学生からなのに、どうしてだろう」と思っていたが、きちんと思い返すと幼少から農に触れて生きていた。
ので、私の3つの農の原体験について語ってみようと思う。
ひとつめ、茶畑
祖父は大根占の山奥に茶畑を持っていた。
軽トラ1台しか通らない山道を登って、時期には茶摘みをした。漢字はわからないが「ミッコンサッコン」と呼ばれていた。
茶摘みというと籠をからって(「からう」というのは「背負う」という意味の九州の方言だ)人の手で摘んでいくイメージがあるだろうが、現代は全くそんなことはない。
大きな赤い機械にでっかい袋を付けて、2人がかりで「ガガガガ」と摘んでいく。
幼少の私は袋からひっくり返された茶葉から傷んだものを選んじゃ捨て、選んじゃ捨てていた。
茶畑の段の上には畑もあって、人参やらジャガイモやら育てていた。そして雨水の溜まる大きな甕にはおたまじゃくしがうようよと蠢いていた。
これが私の原体験ひとつめである。
ちなみに祖父が年老いてから、この茶畑は根っこからひっくり返されて、たまに山芋の採れる人口の杉林となった。最後に訪れたのは3年ばかり前だが、既に鬱蒼とした林を成していた。
もうあの風景はない。
ふたつめ、ばあちゃん家の屋敷畑
「屋敷畑」を知っているだろうか。
民家の傍にある、自家用の野菜などを育てている用地のことである。
地域社会学や農業社会学においてはこれを研究したものもあるのだが、そんなことは置いておいて、これが私のふたつめの原体験だ。
この屋敷畑のわくわくポイントは、そこに至る道のりであった。家の裏口から出ると、薪を積んだ小屋(当時火で炊く風呂が現役であった)の横に、イヌマキの木をぽっかり空けた扉があった。
木の間に木の扉を付けて、黒いゴム紐で蝶番のようにくくっただけの簡素なつくりだが、これが好奇心をくすぐるのである。昔は異世界につながっているような、そんな気持ちになったものだ。
ここを抜けた先にあるのが屋敷畑であった。
ナスやらきゅうりやらトマトやらキャベツやらサヤエンドウやらスナップエンドウやらソラマメやら、祖母は育てるのが上手で沢山採れた(そういえばマメが多かった)。
小さな用地を上手く使って少数多品目。未だにそれに憧れがある。農家になるなら大規模農業でないやり方を模索したい。
みっつめ、合鴨農法
正直全然覚えていないのだが、幼稚園生のときに田んぼに入って、鴨を離したのだけ覚えている。米というものは不思議で、そんな記憶でしかないのに稲穂に囲まれて生きたくなってくるのである。
確かに秋、稲穂を見ると涙が出る。佐野の棚田(一応)を観にいきたい。栗と炊いて栗ご飯にして、豚汁と共に食べたい。
こんな感じの原体験がある訳だが。
こう書いているとやはり私は農に生きねばならぬと思う訳である。
今の都会暮らしも便利だし、人が好きだし、せっかくだから色々やってやりたいのだが、やはり農に囲まれて生きねばという気持ちがする。
そもそも地域社会なんてものは農の生業を元にしてあったわけで、当たり前なのかもしれない。
いつ、農の世界に帰るかはわからないが。
今できることを大切にして、いつかまた田舎へと回帰したい。
という秋ならではのセンチメンタルな覚え書きであった。