釣りの記憶
先日ヤフオクを眺めていて、見覚えのある古いリールを見つけた。確か昔持っていたリールと同じ機種のはずだ。だがそれを何歳の時に買ったか、それで何を釣ったか記憶が曖昧で思い出せない。40年前、確かにそのリールで釣りをしたはずなのだが。
50歳過ぎてから釣りを始めたと言っても、今まで全く経験が無いわけでも無い。最初に魚釣りがしたいと思ったのは確か小学校の低学年、2年生の事だったと思う。1970年代、ピンクレディーのデビューやスーパーカーブーム。釣りキチ三平の連載開始が1975年。東北のド田舎で生まれ育った割に住宅地に家があったため特に自然に親しむ事もなく、まだファミコンすら存在していないので、遊びといえば空き地で秘密基地を作るか自転車乗るか家で本を読むか、という時代だった。
なぜ釣りに興味を持ったのかは覚えていないが、近所の文房具屋で竹竿セットが500円で売られており、これを母親にねだったのは記憶にある。当時、学校では子供は1人で川に近づくなと言われていた。地元の川はいつも濁っており、幼少の頃には氾濫して家が床上浸水した事があった。まだ治水が完全ではなかったのだと思う。
漁師の血をひいていた
父親と500円の竹の延竿を持ってそんな川に行ったのが人生最初の釣りだった。
海は徒歩圏内ではなく夏休みのイベントで行く所という認識で、釣りに行くとなれば自宅から歩いて数分のその川だった。ハゼでも釣るかと言う父に連れられて初夏の雑草をかき分けて川岸にたどり着いた。
父親は慣れた手つきでその辺でミミズを獲り針にかけ釣り糸をたらす。釣りした事あるの?と聞くとそりゃ港町で生まれ育ったし爺さん(私からは曽祖父)は漁師だったからな、と。
そんな家系なのに子供に一度も釣りを経験させないとはどんな親だよ、という感情が芽生えたのも薄らと覚えている。父親はハゼを釣り上げ、やってみろと竿を渡されたが、その後自分は何も釣れなかった。
500円の竹竿はその後ほとんど活躍する事はなかった。その頃恐らく水難事故でもあったのだろう、子供だけで川に行ってはダメというルールが厳しくなっていたので釣りには行けなかった。
キャンプで爆釣
1年ほど経ったある日、家族で海辺でキャンプをする事になった。そうなったら釣りがしたい。海で竹竿はないだろう。母親を説得し今度は初心者用の竿とリールのセットを買ってもらった。恐らく2000円程度だったと思う。今でも釣具屋で見かけるような初心者用のものであるが、子供心にはそれはとてつもなく輝いて見えた。
リールは、歯車が組まれた機械である。その機械的な動きは子供心を魅了した。子供向けの入門書で使い方を覚え、庭で軽く練習した。
キャンプ先の海は何の設備も無い田舎の砂浜で、泳いでも魚がウヨウヨ見えるほど魚影が濃い。魚が針に掛かるとブルブルとした振動が伝わり、リールのハンドルを回す。掛かった魚は必死で逃れようとするが、ドラグなど知らない子供の私はゴリ巻きで魚を寄せる。
この時釣りの面白さを知ったが、子供一人で海には行けずに次の機会を待つしかなかった。
それから毎年夏にはキャンプに行った。近所の家族も誘い夏休みの恒例行事化していた。何度か釣り糸も垂らした。
ここまでは覚えている。
転機
一つ、鮮明に覚えている記憶がある。6年生になった初夏、友人から「お父さんと夜釣りに行くから一緒に行こう」と誘われ、磯釣りについていった。磯とは言っても波も穏やかで、月夜に照らされた海が綺麗だった。何投かした時、いきなり竿がググっと曲がり手にブルブルと振動が来た。今まで体験したこの無い強烈な引きに驚いた瞬間、プツッと糸が切れた。
恐らくクロダイか何かがかかったのだろう。何が起こったのか理解するまで数秒かかったと思うが、予備の仕掛けもなく自分のその夜の釣りはそこで終わりだった。友人とその父親は楽しそうに釣りを続けているが、自分はただボーっと海を眺めて時間が過ぎるのを待っていた。
友人とその父親はちゃんとした磯竿とリール。自分はセットで2000円の子供用の竿。釣りで大切なのは道具だと悟った夜だった。ちゃんとしたリールと竿を買おう。そう決意して小遣いを貯め始め、釣具屋でカタログをもらい毎日眺めていた。
竿はダイワのサーフパワー。320が良さそうだが小学生には少し長いかもしれない。リールもダイワで揃えよう。
そうやって小遣いを貯めて買ったはずだ。ならもう少し覚えていても良さそうなものだ。結局買った竿はサーフパワー 270だったのは覚えている。
甦る黒歴史
だが覚えているのはそれくらいで、いつどこで買ったか思い出せない。もう40年も前の話なのでそんなものか。
ヤフオクで見たリールは「ダイワ スプリンター ST-850 DX」。黒いボディと赤のアクセント。銀色のプレート。間違いない。
自分が持っていたリールは実家の建て替えの時に処分されていたので、思わずそれを落札してしまった。
そして届いたリールは、見た目は確かに同じだがどうも大きい。
多分、当時買ったのは850 DXではなく750 DXだったのだろう。
それでも巻いた時のジリジリという音、スプールのカコンという感触、ドラグの意外に大きい音など懐かしい。
1850円だったのにちゃんと整備されていたのも有り難かった。
ちなみに当時の定価は1400円だったらしい。
実機を手に取ってハンドルをぐるぐる回す。この感じには覚えがある。
そうだ、こうやって部屋で一人でリールをいじりながら、次はどこに行って何を釣ろうか妄想していたのだった。
道具が少し本格的になると仕掛けなどもそれなりに必要になる。田舎ではルアーなど見かけたこともなく、餌釣りしか選択肢がなかった。堤防でサビキもやってみたい、投げ釣りでカレイも狙いたい。しかし少ない小遣いでは買えるものも限られてくる。それでも何度か釣りには言った。だが釣れなかった。何度行ってもダメだった。本を読み漁り、手持ちの道具で工夫するが一人で行っても何も釣れなかった。
中学生にもなると釣りだけではなく他のことにも興味がわく。ネットのない時代、主な情報源はテレビとラジオだがちょっと詳しい情報は雑誌から得るのが当たり前。既に興味はカメラにアマチュア無線に天体望遠鏡。毎月雑誌を何冊も買って小遣いはなくなった。バイクブームが来て乗れもしないのにモーターサイクリスト誌にも手を出した。その上部活もやって塾も行く。釣りからはどんどん遠ざかっていた。
せっかく買ったリールとロッドで釣りをした記憶が曖昧なのはそのせいだ。買ったのに思うように使えないというストレス、無駄遣いになっているのではという焦燥感。何より釣れなかったという落胆。釣りはそれなりにお金がかかる趣味だったし、相談する相手もいない。周りの同世代で釣りを楽しんでいたのは、ほぼ父親が釣り好きだった子供達だ。そいつらに聞いても大した情報は得られない。父親の用意したタックルを投げていただけだ。そのうちそいつらも釣りよりゲームにハマっていった。
そして(オヤジになった)現在
なるほど、今はそれなりにお金も使えるから楽しく釣りができている。自粛要請で出かけられなくても、次はあそこに行って釣りがしたいと思えば必要なモノはアマゾンでポチっている。この1年で順調にルアーは増えた。リールのカスタマイズもした。相変わらず一人で試行錯誤しているが、それを苦とは思えない。釣れるに越した事はないが、釣れなくても楽しい。何で釣れないのかを調べるのも楽しい。そもそも仕事から離れて海や川で悪戦苦闘するのが楽しい。
気づいていなかったが、これはリベンジみたいなものだ。子供の頃叶わなかったやりたかった事を。頭でっかちで理想もデカくて身の程知らずだからこそやりたいことができずに拗らせていたガキだった自分に対して、思う存分釣りを楽しむという報復。今は東京に住んで車もある。その気になれば船宿にも行ける。シーバスだろうがトラウトだろうがアイナメだろうが鯛だろうがやりたい放題だ (やれてないが)。あの頃やりたかった事、出来なかった事、それが出来るようになっている。
しかし、これが釣りで良かった。あの頃欲しかったカメラくらいならまだ良い。PENTAX LX の整備品で2万円くらいだ。ライカなら100万円コースだがあの頃それは求めてなかった。これがクルマなら破産だろう。なにせあの頃欲しかったのはランボルギーニカウンタックLP400とデ・トマソ パンテーラなのだから。
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