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自己紹介_建築家編①

別のところに書いていた自己紹介記事を修正して再掲します。

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最近(というか仕事として選んでから)よく聞かれる質問について答える形で少し自己紹介してみます。
「どうして建築をやろうと思ったのか」という質問について。

初めましての方には唐突に何のことかわからないと思いますが、私の本業は建築家です。個人として事務所を開いているわけではなく、いわゆる設計事務所というところに所属しており、設計者、建築士、建築屋なんていろんな呼び方をされるのですが自分の中ではerで終わらない建築家(Archtect)と名乗りたいと思っています。この呼び方についての考え方とか印象とかそういう細かい話もあるのですがそれはまたの機会に。

話を戻しますが
「どうして建築をやろうと思ったのか」

実のところ私はこういった理由を聞かれる質問がとても苦手です(笑。
明確な理由はわからないけれど。
・やりたいと思ったからやる。
・行きたいと思ったから行く。
・好きになるのに理由いる?
というのが口癖です。そんな自分のことは感情人間と呼んでいます。

つまり。説明できる理由がない。
「建築を志した理由といわれても…高校二年のある朝起きたらやろうと思っていたから。」
以上。

その後の会話の一切を拒絶するかのような素っ気ない回答になってしまうこの一文に尽きるのです。話したくないわけではなく本気の本音でこれがそのまま真実なのですが、せっかく私に興味をもってくださった奇異な方々(おっと失礼)との会話をそこで止めたいわけではないので私なりにうまく説明できないかと苦手な自己分析をしてみた結果をここから先には書きます。

建築を仕事として選んだ理由をふたつと続けることになった理由をひとつ。

原体験によるもの

建築における原体験とはだいたい3歳までの空間経験のことをいいます。両親のおかげで私は少し日本人としては特殊な原体験を持っているのだと、思う。きっと。

小さい頃はアラビアで暮らしていました。視界いっぱいに広がる砂漠。歩いて一分のところにある海岸。日本人居住区という宗教的にも治安的にも言語的にもいろんな面で守られた空間。ありあまる地表面に贅沢に建てられた建物の数々。1階建てで200坪(約700㎡)の家なんて首都圏じゃなかなか考えられない規模の建物が立ち並んでいました。そんな幼少期。

そして父が休暇を長くとれる環境だったため、中学生ごろまでは夏休みのたびにあちこち海外に連れて行ってくれました。どこか観光するとなるとやはり建築を見ることになります。おかげで世界各国の建築を自分の目で見て回るという貴重な経験ができました。

ちなみに、みなさんは最初の記憶ってなんでしょうか? 私はおそらく1歳半くらいのときに父に肩車されて見たルーブル美術館の大階段なのです(だいぶいけ好かない感じすみません。笑)。大階段のてっぺんにサモトラケのニケがいました。見上げた光景の美しさといったら。

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幼少期の私の旅のスタイル。父に背負われています。

記憶がだいぶ格好よく改竄されている気もするけれど、人が作る空間の劇的な瞬間が記憶として刻まれていたこと、国内・国外の様々な建築を見ていたこと、そして小さいころに暮らしたアラビアの空間と日本の空間の違いを感じていたこと、そんな色々が積み重なって高校二年の朝の「建築やろう」につながったのかな、と。後付けですが。

謎の死生観

特に体が弱かったわけでもないのですが、なぜか小さいころからずっと長生きできないと信じて生きていました。両親、特に母のことが大好きで、その母もなかなかに過保護で(笑。もし私が先にいなくなったら母は悲しむだろうなと漠然と考えていたある日、「何か残るものがあれば悲しみも少なくなるかしら」なんてひらめいたのです。今思うとそんなことよりそもそも生きなさいよ、としか言いようがないのですが。

中途半端なものが残ったって壊れていってしまうし、ロボットみたいに細やかなメンテナンスをしなければいけなかったりあからさまに壊れたとわかるものはダメ。それなら建築っていいじゃない、と。両親の家を作ってあげられたら先にいなくなったとしても少しは許されるんじゃないか、と思考の飛躍もいいところですが、その時は大真面目でした。そして、その数年後には本当に実現するんだから人生ってわからないものです。

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大学院生のときに設計した実家。グッドデザイン賞もいただきました。

これで建築を志した理由の一つは解決してしまったのですが、とはいえ、今は特に死ぬ予感も予定もないのできちんと順番は守ろうと思っています。

つまり、無意識化に蓄積された建築の記憶と死後に何か残したいという飛躍した考えの二つが建築の道に進んだ理由なのかな、と。将来インタビューされることを想定しなさいなんて言われたことがあるのですが、ずいぶん格好のつかないインタビューになりそうですね。

スカイラインを変える体験

わかったようなわからないような理由で始めた建築家としての人生ですが、結果的にとても合っていたようで働きたくないなんて言いながらもう8年も続いています。

とっくに独立した大学同期からは独立しないの?なんて言われ続けていますが(というかそもそも会社勤めなんてできないだろうからあいつは1年で辞めるぞという賭けの対象にされていたくらい)今のところその予定はありません。詳しくはまた別の機会に書きたいと思いますが、理由は「スカイラインを変える衝撃を知ってしまったから」。

ある日、関わった建物の前を歩いていて、大変だったよね~なんてふと空を見上げたのです。そうしたら、空をその建物が切り欠いていて、「あ。数年前は見上げても空だけだったのに、建物がある。」そう思った時の衝撃といったら。

自分の設計した建物がスカイラインを変えるなんて大規模な経験は今のところなににも代えられない経験で、これをまた味わいたいと思っています。やっている最中は死ぬほどしんどかったのにそんなことは都合よく忘れて空ばかり見ている。そしてそんなことができるのが今の環境なのでまだしばらく続けるつもりです。

まとまらないまま長くなりましたが、あれこれ悩みながらもこの仕事が好きです。


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