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映画『デッド・ドント・ダイ』のメタ的要素の意味とは?ジム・ジャームッシュのメッセージを勝手に読み取ってみる

4/3全国公開予定にもかかわらず、残念ながら延期してしまったジム・ジャームッシュ監督最新作『デッド・ドント・ダイ』

TOHOシネマズ日比谷で先行公開を鑑賞し、そのブッ飛び具合にやられた上に、不思議と勇気を貰えた作品だったので、感想などを書いていこうと思う。

(注意:この記事にはネタバレが含まれます。ご了承下さい)

あらすじ

警察官が3人しか居ない田舎町、センタービル。アダム・ドライバーとビル・マーレイ演じる警察官コンビの仕事といえば、森に住む世捨て人ボブの盗みを警告したり、付近をパトロールするぐらいのもの。そんな町に唯一のダイナーで、ウェイトレスの殺人事件が起こる。食い荒らされた死体から、アダム・ドライバーはゾンビの仕業と確信するが…。

ゆるいけど正統派なゾンビコメディ

この映画に流れるテンポは、およそホラー映画とはかけ離れたゆったりしたゆるいものになっている。アダム・ドライバーとビル・マーレイのやりとりはコントみたいなノリ。アダムの乗っている車が巨体に似合わぬ超コンパクトカーだったり、その車のキーにスターデストロイヤーのキーホルダーが付いてたり、いちいち笑わせにくる。

テルダ・スウィントン演じる謎めいた葬儀屋、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じるホラーオタクのガソリンスタンド店員など、脇役も無駄に豪華だ。イギー・ポップはコーヒーを求めるゾンビに扮し、あらすじに出た世捨て人ボブに至ってはトム・ウェイツが演じている!まさにジム・ジャームッシュオールスターズといった顔ぶれである。

意外にもゾンビ映画としてはしっかりとした正統派の作り。地球の地軸がズレた影響で月が怪しい光を放つようになり、動物達は異常な行動を始め、しまいには墓から死体が目覚めて動きだす。この設定はジョージ・A・ロメロの『ゾンビ 日本公開版』を思わせる。ゾンビの動きはスローモーで、酒を求めたりWiFiの電波を探して彷徨ったりと、生前の行動を繰り返している。まさにロメロゾンビリスペクトといった描き方である。

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評価に困るキャラクターのメタ発言

しかしながら、本作の評価はあまり芳しくない。filmarksの平均スコアは3.5で、レビューを見ても低評価を付ける人は珍しくない。ロッテントマトのオーディエンススコアも38%と低調だ。おそらくこの評価に大きく加担しているのが、キャラクター達のメタ発言にあるのではないかと思う。

アダム・ドライバー演じる警察官が、「これは悲惨な結末になるぞ」と何度も言いながらも冷静にゾンビに対処する様を、ビル・マーレイ演じる先輩警察官が「何故そんなに冷静でいられるんだ?」と問い詰めると、「ジム(監督)にもらった台本を読んだから」とサラッと答える。

また、劇中で度々流れるスターギル・シンプソンのカントリーソング「デッド・ドント・ダイ」にビルがイライラすると、アダムが「テーマソングなんだからしょうがない」となだめる。

こんなメタ発言が劇中で何度も繰り返されるので、観客は真面目にストーリーを追う事を放棄してしまっても仕方ないだろう。だが、それすら計算内と言わんばかりにティルダ・スウィントンはとんでもない形で物語から退場する始末だ。(これは映画を観て確かめて下さい。爆笑必至)

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しかし、なぜジム・ジャームッシュはこんな事をしたんだろう?おふざけ以外に何か理由があるはずだ。無理矢理こじつけるなら、これは「現在の我々の置かれた状況に対する皮肉」なのではないか?

"最悪の結末"のさ中にいる僕ら

この映画が撮られたのは、あの最悪なウイルスが蔓延するずっと前だけど、その前からずっと僕達には「ある共通認識」があったと思う。それは、「この世界は少しずつ悪くなっていて、いつか最悪の破滅を迎える」という予感だ。

根拠となる要素を挙げればキリがない。環境破壊・拡がり続ける格差・終わらない戦争とテロ・宗教や人種の対立。そして今は未知の感染症に怯える日々だ。個々の人生で見ればハッピーな人は居るかもしれないけど、これからもっと世の中が良くなって行くと考えている人は少数派だと思う。

つまり現実の僕達は、この映画みたいに「最悪の結末が書かれた台本」を読みながら、結末そのものを変えられない役者みたいなものなんだ。

これ、割と「今の若者論」にも通ずる所があると思う。今の若者は消費をしない、恋愛をしない、覇気がないと上の世代から言われているが、当たり前である。これだけ不況が続いて、悪いニュースばかりで、世の中に絶望感しか抱けないなら「いつか必ず来るアポカリプスに備える」しかないのだ。ソロキャンプブームも案外、世捨て人ボブのようなサバイバル生活を強いられる未来が来る事への、無意識の備えなのかもしれない。

話が脱線したので戻るけど、じゃあ僕らはそんな暗雲立ち込める未来をどうサバイブすべきなのか。『デッド・ドント・ダイ』の主人公二人は、ゾンビで溢れる町から逃げることなく、ショットガンとナタで立ち向かって死んでいく。悲劇的な最期だが、不思議と爽やかで爽快なラストだった。

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この作品のメッセージを(強引に)読み解くならば、

「たとえ失敗しても、自分が正しいと思った事、自分に出来る事を愚直にやれ!

と言われた気がした。(あくまで気がしただけ。そんなに暑苦しい作品ではないです)

先行き不安な世の中だけど、ゾンビがいないだけまだマシである。

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