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愚か16

 こんにちは 補語です
 生活リズム、やらなくてはいけない事、全てが生活によってぐだぐだに溶けていくのでそれに抗おうと希死念慮を尖らせています 行動を起こさねば何の意味もないのに
 気の狂いにあかせてうっかり周囲の人間に私がしている(ささやかな)逸脱行動の事を言おうとしてしまって焦りました しかし、実際私がやっている事や考えている事を全て打ち明けたら私は何だというジャッジをいただくのでしょう 私は著しい不信感と認知の歪みにより主治医にも必要最低限のことしか訴えていません 診断書は書かれるたびに「不特定の発達障害」を軸に右へ左へぶれます
 私もここで書いているものやツイートしているような事をしかるべき機関に訴えて私の歪んだ認知によるものではない、社会的な評価を周囲から頂きたい 社会的な評価は絶対ではありませんが、認知が歪み切った私よりはきっとましですから 前にカウンセリングを辞めた際に最後ッペとして自創作を投げてしまおうかと思いましたができませんでした 私と一時間向き合うよりかは自創作を読んでいただく方がまだ私のことを理解できるというのに まあ登場人物の年齢がことごとく私の実年齢と乖離しているので「そのようなことは忘れろ」と言われるのがオチでしょうが こどじつ(いつまでたっても精神が子供の実存)
 どうせなら他人に完膚なきまでに傷つけて頂き、全てを投げ出す理由を(あるいは全てを始める理由を)作って頂きたいというのは甘えなのでしょうね 他人にはそこまでのことはできない 私が誰かにそれをやれるかということを考えれば自明の事です
 中高時代の人間関係に適応しようとして身につけた事が現在生きるには外見上の支障はないが内面には大きな傷を残すような程度の認知の歪みとなって私を押さえつけている いえ押さえつけているのは私自身であってこれは完全な甘えです すみません (社会性フィルター)しても(社会性フィルター)しても(社会性フィルター)しても体が動かなくて、でもそれを許しているのも自分で、もうどうしたらいいかわからないのですが答えはわかっているのにそれを理解できなくしているのも自分で、誰も私を(社会性フィルター)してはくれなくて、どんなに終わっても生活は続いて、生きていきたくなくても生活は続いて、生きている限りは無限遠に痛みが引き延ばされていって、その生活にかまけて痛みを忘れる事も痛みをずっと覚えていて体が動かないのも、自分の影も呼吸も体温も何もかもが嫌いでそれでも意識を消すなり絵を描くなりして痛みを引き伸ばす以外に方法はなくて、それでも時間は動いて私をどうしようもなくしていく

すみません 簡潔に言えばいいだけです

社会怖いよ〜(泣)

終わりです

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