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愚か25

取り乱して今夜 抜け出した 補語です

よく言われる「何者にもなれない」というのは何なのでしょうか 私の肉親もよく「自分はここまできて何者にもなれなかった」と言っていました 某診断サイトは私を「誰もがしているはずの『何者かになるための努力』すらしていない屑」だと断じました ですが私はこの「何者にもなれない」という言葉が何なのか本当によくわかりません
 私は生まれた時から「何者」かでありました 新生児に似つかわしくないくらいに険しい顔で生まれ、小学校一年の頃には「遠心力」の概念を理解し、机一面に落書きをし奇怪な言動(なぜ「奇怪」と思われていたのか今でも理解できていない)で周囲を煙に巻き、普通に話しているのに「無い言葉で話している嘘つき」とそしられ中学からも雑談(目的のない会話)ができず、褒めの受け取り方すらわからずに浮き… いわば私は常に良くも悪くも「何者」かではあったのです 「埋没したい」「いまある個性を全て無くして普通の人になりたい」と何度も泣きましたし、ついに個性のるつぼと名高き美術系に進んでもなお「個性的」「普通は破綻しているはずなのになぜか成立している」と言われ、言葉を発することすら怖くてずっとうずくまって過ごしていました 大学のいいところの大半は人脈形成だと言われる中完全に滅多に現れないレアキャラとして過ごしました 何も言えない自分が憎いから教えられる方にはできるだけTwitterのアカウントを教えました 私と一時間話すよりは私のTwitterを一時間遡った方が私を理解できるから 気持ち悪い肉体に左右されない、言い訳の効かない私の精神活動を見ていただいた方がまだ潔いから…
 そのようなわけで生まれた頃から良くも悪くも「何者か」であった私には「何者かになりたい」という悲しみはよくわかりません 人間は誰もが生まれた頃から「何者か」であり、同時に何者でもないとしか思えません…ですが最近何となく理解した気がします
 『その人の価値観において「今いる自分の立ち位置」にも、「自分の越し方」にも社会的価値を見出せない』というのが「何者にもなれない」の正体なのではないのでしょうか?それでしたら私にも覚えはあります 根本的な「自分は生きていてはいけない」という思いからくるどうしようもない居心地の悪さ、不能感からくる「自分は無価値なのだ」という気持ち…私の場合、それから抜け出すにはどうにか解脱して「何となく自分は生きていてもいい」という気持ちを養うしかないのでしょうか…苦しいですね…

 最近、自分から生まれたとは思えないような創作キャラクターが生まれることが多いです(別アカウント参照) 飄々として、それでいてほどほどに図々しかったり、温厚で自分の弱さを受け入れていたり… 私のキャラクターのスタンダードが雀児芳喜さんやくくるちゃん(以前の記事参照)なので何というか、驚いています ただ、彼らは同時に「自分を理解されること」や他の重要な事をいくつか完全に諦めている気がします 自分の事を諦めているから、または何も愛せないからこそ他人に目を向けられるというか…  私が何かを諦めつつあるのでしょうか?分かりませんが、自創作は、私から生まれていながら私のロールモデルにもなるのです うれしいですね 自己肯定感が底の時には何か彼らを産んだ事を責められている気持ちになりますが…

 失っても生きていけてしまうのかもしれないけれど、今は創作を失わないでいたいです 就職できていない今が青春ロスタイムなのでまだ今は楽しんでいたいです 私にとって創作は杖であり、自他境界線であり、視界の全てです

終わり

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