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愚か54

 コミュニケーションには「得の等価交換」という側面があるが、「信頼の等価交換」でもある 気がする 両輪で初めて均衡が成り立つというか…まあつまり平たく言うと「互いに互いの益を考えて行動し、信頼構築をする」という事だ 

 コミュニケーションが「得の等価交換」である事のみ認識していると問題が起きやすい気がする 「相手の得になる事」はできても「相手に誠実な態度」が取れない(この二つはしばしば同一視されるが、私は全く別の事である気がする) 受動面では「どうせ誰も彼も私のお返しを待っているだけだ」と人間不信に陥りがちだし、能動面でも「相手に一方的に『自分がして欲しい事』を押し付けた挙句思った反応を得られず一方的に絶交」のような感じになりがち 一昔前のインターネットでは「自分の手作り食品を無許可で周囲に送りつけ対価を迫り、拒まれると嫌がらせに走る」という何かしらの存在が度々話題になっていましたが、なんとなく前述のコミュニケーション認識の起こす能動面での問題の一つの到達点のような気がする

 なんというか、たくさんの人間と関係を持ちたいし信頼関係ももちろん欲しいのだけれど、自分自身が根本的に『他人』というものを例え一時でも信用することができないとそうなりがちな気がする コミュニケーションにおける「信頼の等価交換」の面を認識していない、または無視している、というより自尊心辺りに傷がいっていて他人を信頼できるような精神状態にない、という方が正しい 結局は能動的な問題を起こす人も人間不信の変形なような気がする ダウナー系人間不信とアッパー系人間不信 「なんでもするから嫌わないで」系の創作物なども割とこのケースの心情の話であることが多い気がする 相手に縋り付いているのは表面的な問題でしかなく、その底のぞっとするほどの不信感が問題であり、真に描きたいものなのが伝わる作品、大体好き(唐突なフェチ語り)

 まあ、他人を信用することができずに歪な関係しか築けない以上一度まとまった精神的な修養をした方がいい、というのが形式通りの回答というものでしょうが、人間普通にそうもいかない 私だってそうもいかない 特に外向的な(誰かに関わっていないと気が狂うタイプの)人間などは「一旦休む」事すら相当苦しいだろうなと思う
 私は現在の環境に置かれた事で最近は「そもそも自分があまりたくさんの関係やキラキラした生活を必要としない人種である事」に気づき、ゆっくりですが人間不信を取り除ける精神状態にはなっていっている気がする それはそれとして経済的にはかなりアレなのでそちらの解決を優先的にやりなさい やれ

終わり

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