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限界愚か テーマ:教祖

 ひとりでにいくらでも話せる系ADHDは話す要領で文を書くといくらでも書けるらしい それを検証します お付き合いください テーマは「教祖」
 教祖 教祖ですか まあ私たちインターネット活動人間も広義の教祖ですよね インフルエンサーなどは特に 私の教祖観は大体メンタルライフハック系インフルエンサー(各々の思う方を思い浮かべてください)のような気がする 前にも書きましたが見ていると面白いですよね 彼らがどのような世界観で生き、どのような欲求を持ち、何を理想とし何をコンプレックスとしているのかがかなりわかる 「痛みなんて感じない強い人間になりたい」、「仲間が欲しい」、「今からでもいいから青春がしたい」…仄暗くも外向的かつ普通の欲求ではあります 心の底から他人を求めているからこそ(または外向性にコンプレックスがあるからこそ)彼らはインフルエンサー(他人に影響を与える人)になりたがり、なるのだろう という妄想 ただ自分一人のおだやかさ、充足を追求したいだけならばそうはなりませんものね…私はわりと内向的なので自分が満たされればそれでいいですが 
 世間を騒がせているあの宗教やこの宗教などはもう大きすぎて何を考えているか全くわからないので参考にしません 何か人生に影響がありそうだし ただどこかの何かの儀式の話を聞いた時、「そこまで俗っぽい感性の人間でも教祖をやれるのか…」と思った記憶はあります が、よく考えれば確かに俗っぽい欲求がなければ教祖などやりませんよね 財産、性交、承認…そういったものへの欲がなくただ求道したいだけなら普通に僧侶になったほうがいいでしょう それに大衆に受け入れられるキャッチーさを持つにはやはり心のどこかが俗でなければ、少なくとも俗のツボを理解していなければならないでしょう 大衆に受け入れられるキャッチーさを売り出し、社会の警戒を解いてヌルリと規模を拡大するのだ… 
 向いている本診断システムで「完全教祖マニュアル」を勧められる人間になりたかった これは外向性への憧れ まあ普通に言語学の本を勧められたのでそれを無視して完全教祖マニュアルを借りた事があります なんでしたっけ 「インテリを味方につけろ 心酔したインテリはその頭脳でお前のどんな支離滅裂な言動にも素晴らしい整合性をつけてくれるだろう」というような一説があったのが記憶にあります(間違っていたらすみません)   心酔したインテリになって相手のどのような支離滅裂な言動にも完璧かつ荘厳な整合性をつけようかな🎶多分無理です 私はどんなに心酔していても割とどこかしらが冷めていることが経験上わかっています なんというか、「絶対にまちがえたくない」というのが意識の根底にあるのでどのような熱狂に乗る時も心の一部はどこか冷たい場所に置くようにして保険をかけてしまうのです しかし熱狂に乗っているところも冷めているところも本当の自分なのでいつも自己矛盾に苦しむ 損ですね だからいつもどこか蚊帳の外です 自業自得
 蚊帳の外といえば、蚊帳の外にある事が多かった人間が影響力を持つと、自分で蚊帳を作って絶対に仲間はずれにされない自分の王国を作ろうとするタイプとなるべく内輪ノリを排して蚊帳を作らないようにするタイプの大体二つに分かれますよね 私は後者でありたいです そもそも人間の体温を気持ち悪く思っているところがあるので「内輪」は作りたくありません 「読んだ人にだけわかる鬱要素付きLINEスタンプ」などはむしろ好きなのですがね 作中でお亡くなりになる方が笑顔で「おやすみ」と言っているスタンプとか…心がぐちゃぐちゃになって非常に良い そもそも描きたい絵もファンアート的な、コンセプト重視、内容ありきのものです しかしそれと「何をしてもついてきてくれるファンと青春の焼き直しがしたい」「ファンを振り回してケラケラ笑いたい」というような欲求とはまた違うのですよ 例えばその影響力で自分の名前がトレンド入りしたとしてもきっと恐怖が先に来るでしょうし…私には初めてフォロー祭りタグを付けてツイートした際30個いいねが来ただけで動悸が止まらなくなったという信頼と実績があります
 フォロワーがたくさんになったアカウント、怖くて何も話せなくなる人間と調子に乗って炎上する人間の二種類がいる気がする そのどちらがSNSに向いているかといえば、数字に踊らされている時点で両方適性がないのかなあと思います 私はできるだけ何があろうとも淡々としていたい ただあまり変な事は言わないように気をつける ですがそれは実社会における程度で十分で、過度に萎縮するのもあまり良くはないと思います 他人の需要はもちろん、なにより自分の精神衛生的にも…
 冒頭に書いたように私も一種の教祖であるわけですが、さて私が教祖になるとしたらどのような教えを説くでしょう 今出せるものだと最近noteに書いているような私的メンタルライフハックですかね すなわち「大丈夫になる(自分に考えられる限り現実的な)方法」 そこから割り出せる願望とコンプレックスは「大丈夫になりたい」「自分の精神にある程度論理的な割り切りを付けたい」「普通の人へのコンプレックス」…まあ以前から書いている通りですね 何と面白くない 毎度似たり寄ったりですみません 私は「現実とは面白くも劇的でもないものだ」と思った上で「現実を常に見据えていたい」と思っているので、自分の意見が面白くも劇的でもなくなるほど嬉しくなります 劇的な意見、酒類のようなものだと思うのですよね たくさん脳内麻薬が出て気持ちはいいものの正常な判断能力を失いがち まあ何が正常かなどあくまで相対的なものでしかないとはいえ、私は「怒られたくない」、もとい「間違えたくない」ものでして…この「間違い」、正体は何なのでしょうね 暫定では「振り返って苦しくならないもの」なのですが、それを判断する基準は私の中にあるわけで、その基準はどこから?きっと世間の影響はありますよね いかに私が厭世的で空気が読めないとしても…
 そう言った事は一切抜きにして私が理想とコンプレックスに塗れた教義を説くのなら…やはり「何も感じない人間になろう」というのは必須ですかね 原始仏教の本にも「反応しない練習」というのがあるというのは知っていますが弊思想と関係あるのでしょうか それはさておき、コンプレックスのままに言わせて貰えば(なので以下の内容は間違っています)この世はやはり何も感じない人間が一番強くて一番得するのです 他人に害を与えていても気付きさえしなければないも同然 何も感じないのだから人間への恐れもなくどこまでも外交的になれますし…いや外交的になれるかは別か…ぼっちだなんだと陰口を叩かれても何も感じない という素晴らしい可能性もありますしね…
 コンプレックス終わり 私にも「外向性は社会性動物としてあって当然の機能でそれがない私は人間として出来損ない」という劣等感はまだ根深くありますが、なけなしの理性を総動員すると内向性と外向性、普通に才能の方向性の差のような気がする どうあってもどう誤魔化しても、ましてや何度も人間に酷い目に遭わされて本当は何も信じられなくともどうしても体が人肌を求めてしまって、人の温かみに触れるとどうしようもなく安心してしまって他者を求めざるを得ない という「外向性に呪われた」方もいらっしゃるのですよね きっとそのような方は元々内向的な中見栄だけで無理やり仮想バッファとして外向性を動かして破綻した私などよりもよほど葛藤がひどいでしょう 「その悩みの方が私のような屑の悩みより真っ当で正しい!」などと喚く弊劣等感は軽く階段から突き落として黙らせまして…
 どうやって相手を慰撫して取り込むかというとするとあれですね やはり私のような内向的で臆病な人間の捻くれた自我の認識する不必要に理不尽な現実を肯定して、うつ病現実見えてる理論などを利用して褒めて取り入り、そうして話を進めますね…そのようなうまい話があるのか????????まあ私がそうだから言うのですが、そういう方達の追い詰められたことによる気難しさはなかなかのもので、まず差し伸べられた手を一番に憎むものですから、操縦はなかなか大変そう…自分自身もメタ認知力を放棄して劣等感に酔う事が肝心そうですね
兎にも角にも、インフルエンサーになるにはある程度メタ認知を欠いた方が良い気がします 「正気でありたい」というすけべ心を捨て、劣等感とコンプレックスのままにインターネットの海へとダイブ!そうすれば文明の利器は必ずあなたの声を百人の合唱にできることでしょう その姿がある視点を持つ傍目から見て醜くとも関係はありません この世は所詮何に酔うかでしかないのです 誰もが正気ではいられない、正気になった者から死んでいく それもまたある視点では真理であるのです…どうでしょう 私の教祖力は…誰もが自分の教祖なのですよ…       それを他人に向けるか自分に向けるかの違いがあるだけなのです…
 弱者同士永遠に傷を舐め合って生きていきましょう そのうちに取り返しがつかなくなってもいいでしょう?どうせこの世界が憎いのですから、この世界など私達が傷を舐め合っている間に滅びて仕舞えばいい 私達が気持ち良ければそれでいいでしょう?「ケンジョウシャ」は私達を醜いと言いますがそれが何故なのか理解できません 私達は何も私達が幸せになるのを拒んではいない なのにどうして醜いと謗られねばならないのです?私達は正しくはないですが、間違ってはいないでしょう?どのような意見もある視点では正しいのですから…なんて危険思想が他人と対話している時に浮かぶ私と巷の危ない(と言われている)インフルエンサーの違いは何なのでしょう?私は私が怖いです 臆病者なので まあ人一倍恥ずかしがり屋なので自分が良くないと思ったものには一定距離以上近寄りませんが…

 集中力が切れたのでこれで終わりです やはり(元)美大生にはこれくらいが限界でした ありがとうございました


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