現実を変えたいなら、価値観を捨てればいいのかも。
お金も、豊かさも、贅沢も、簡単に手に入る。
なんて思えたらいい。
そう願うのだから、お金も、豊かさも、贅沢も、苦労しなければ手に入らない現実を生きているということ。
確かに、稼ぎは少ない。もっと稼ぎたい。
とは言え、食べることに困ってはいない。
果たして、私は貧しいのだろうか?
今の自分を不甲斐ないと思う自分がいる。
認めたくない。満足してはいけない。
私は、こんなものではないはず。
なにせ自己評価が高いから。
これまでは、自己評価に見合う自分でいようと頑張ってきた。まだまだ。もっとがんばれる。
もっと高みを目指せる。
で、その高みって、なんだったのだろう?
人よりもいい仕事。いいお給料。
生き甲斐、やり甲斐のある仕事。
自慢できる私?
自慢の娘?
親に認められそうな自分?
今でもわからない。少なくとも健全な向上心ではなかったことは確か。
自分ではない存在になりたかった。
ずっと自分が嫌いだった?
すまんね、私。
それにしても、
素の自分のなにが嫌いだったのだろう?
自分の中にあるダークな側面。
利己的で、愚かで、芯がなく、物事を深く考えられない。
空気が読めず、楽しい雰囲気を壊してしまう。
隠しておかなければ、嫌われてしまう自分の本性。秘密。
私にはバレてはいけない本性がある。
だから抑え込んでいるけれど、できれば隠さなくてもといい自分になりたい。
秘密のない自分。それが、高み。
そのためには、自分を変えなければならない。
悪いことをしてしまう自分を、
思いついてしまう自分を、
ただ悪としか受け止められなかった。
人はなぜ弱いのが?
悪意が生じるのは、なぜ?
なぜ!囚われてしまうのか?
優しそうに見えても、悪の本性を隠しているだけかもしれない。信用ならない。
なぜなら、私と同じだから。
見破られないように生きてゆくこと。
それが、私のいう高み、だったのかな?
そのための、武装、偽装。
カモフラージュ。
人目を欺くための装い。
それが、私を駆り立ててきた高みの正体。
知られたくない、さらけ出せない悪の本性を隠すために、見た目のいい、聞こえのいい装備が必要だった。
学力、運動神経、見た目、センス、オシャレ。
人気のあるものを纏って、素敵さを補いたかった。偽装するために。
だから、頑張れたんだ。必死で。
やらされていたのではなく、望んだことだった。自分を守りたいという一念。
凄まじい執念。
とにかく自分を守ることに必死だったのね。
とにかく自分が好きだったんだね。
だから、自分の本性は悪で、社会から受け入れられないとしても、丸つぶれすることなく、ぶっちゃけ悪を否とする世間の価値観が間違っているんだ、くらいに強がっていたのだろう。
内心のお嬢は、絶対王女だから。
ぺちゃんこに潰れて、立ち直ればよかったのに。
逆に危なかったのかな?
私の脳は偏りが激しいから、自分の悪を認めたら、悪こそ正義みたいな極端な発想に陥って、闇落ちするルートもあったかも。
陰陽とか、調和とか、和合とか、そんな価値観、子供の情報量では生み出せないもの。
意識が苦悩するはずだ。
命は死にたいなんて微塵も思わないし、生きること一択。本質は私は悪くないと確信してるのに、世間的な情報としてはいけない、悪とみなされてしまう。
どうしたって辻褄が合わない。
いくらお役目とは言え、合わせようがない。
つまり、私の人生がハードモードだったのは、自分の悪意を処理する能力に欠けていたから?
自分以外になろうとなんてしなくてよかったし、人から褒められそうなポジションを狙わなくたってよかったし、自分の行きたい学校や仕事を選べばよかったし、望まずとも選んでしまったのなら、それなりに楽しめばよかっただけなのに。
選んでしまったら、その先に道ができてしまう。
それを拒めるのが、若さでもあるのか。
可能性だらけだものね。
若くて可能性に満ちた私は、自分以外になろうとし続けて、ここにはないなにかを求めていた。
どこにいっても、自分の居場所はなかった。
誰かに認めてもらいたかったのは、装った出来る自分ではなく、自分が認められない悪の本性だったから。
そういうことなのかな?
無駄な苦労が長引いたけれど、この人生が最善。
そういうことにしておこう。
その選択が、答えになる。
いつだって、今が最適解で、人生は最善だ。
私たちは、答えである現実を生きることしかできない。
過去の選択をやり直すことはできない。
現実を変えたいのなら、今、選択を変えること。
どの選択にもリスクがあること。
選ばない選択もあること。
但し、現実を変えたいのなら、選ぶこと。
これまでの価値観を捨て、
違う価値観を選ぶこと。
現実を変えるとは、価値観を変えること。
お金も、豊かさも、贅沢も、簡単に手に入る。
今の私は、そんな夢見たいな価値観を
選ぶことができるだろうか?
お金は苦労して稼がなければ手に入らない。
苦労するから、価値がある。
身に余るお金を持つと不幸になる。
楽して稼いだお金は、身をもち崩す。
なんの確証もないけれど、
信じてきたことは、
信じている方が心地いい。
根強く植えつけられた価値観を、
捨てることができるだろうか?
fumori
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