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アイドルやお笑い芸人は、聖なる職業なのかもしれない。

好かれなくていい。
嫌われてもいい。
ただ、命を照らす太陽であれ。

という謎の結論に達したので、
経緯を記しておく。

承認欲求が薄れたら、
生きる目標までなくなってしまい、
途方に暮れること、早一年。

やっと、目標が見つかりました。
「ハッピーエンディングな人生を営む」です。

人生のゴールとは、死です。

当然、いつかは確実に死んでしまうのですが、
想像するだけで、怖い。
そんな死の間際に、頼れる自分でいるために、
命を使おうと思う。

絶対のない未来の唯一の例外。
死への対策は、
元本保証つきの安全確実な投資です。

人生の目標に相応しかろう?

お得が大好きな私にとっても、
メリットしかない投資は大好物です。

命を養うための必要最低限な生活を確保する。
その上で、人生に目標を掲げる。
その目標を達成する過程で、
自ずと志とやらが立つのではないか?

そう思っていたのだけれど、
人生目標を考えていたら、
なんとなく見えてきたものがある。

「ハッピーエンディングな人生を営む」
「命を惜しまず、粗末にしない」
「命を全うする」
「命を寿ぐ」
「祝福された世界を生きる」

ここで言う「祝福された世界」というのは、
いいことばっかの天国という意味ではなく、
命は、無条件に愛され、赦されているもの。
今、生きているということは、
愛と赦しを与えられているということ。
何もなくても、命は敬われていること。

そんなニュアンスを汲み取っていただければ、
幸いです。

寿命という言葉は、命を寿ぐと読むそうです。
「ことほぐ」は、賀ぐ、言祝ぐ、とも。

寿。賀。祝。
それが、命の本質なのではないか?

それが、世界の本質なのではないか?

命も、その命が繁栄する世界も、
寿しく、賀び、祝っている。

祝福。至福。奇跡。
そんな状態が、本質なのではないか?

そんな仮説に基づくと、現実はともかく、
祝福された世界に生かされている有り難さ
みたいなものが、見えてくる。

私なんか、なんにもない。

今もそう思うけれど、
生かされている世界とこの命には、
全てがあり、与えられ、満ちている。

なにもないはずなのに、満ちている。

そして、どっちも幻想。
なら、好きな方を選ぶだけ。

「命はめでたいもの」なので、
世界は祝福し、
絶えず与え続け、
命は生かされている。

その命を、惜しまず、粗末にせず、全うする。

命を寿ぐためには、
何のために使えばいいのだろう?

祝福された世界に、参加する。
与えられるものを、還元する。

見物するだけでなく、祭りを担う。
可能なら、運営する。
提供する側にい回る。

運営。運を営む。
たぶん、これが、求める結果。

運気を営む、かもしれない。

空気の読めない私ですが、情緒感染はする。
明るい人といれば、気分は晴れるし、
愚痴を聞いていると、どんよりしてくる。
それが、今の私。

そんな自分を変えたいと願っている。
変える方法を模索している。
こんな生き方は、もう嫌なのだ。

私の望む未来を極論すれば、
暗い人といても、気分が晴れやかで、
愚痴を聞いていても、気分が晴れやかなこと。

死の間際に頼れる自分は、その究極。
病にあっても、命が健やかなこと。

現実に左右されることなく、
心が晴れやかで、清々とし、
命が健やかであること。

それは、理想だけれど、そんな理想を、
真実だと信じ切った状態でいられたら?

その情緒感染力って、半端なくない?

ネガティブな人をポジティブな気分に
することなんか簡単だろう。

人の心は、思考を左右する。
その思考が、現実に作用するとしたら?

情緒感染は、ポジティブな現実を創造させる
可能性がある、ということになってくる。

もちろん、あくまでも仮説。
ただ、そんな世界を夢見ている。

人に好かれたい。嫌われたくない。
人の輪の中で笑っていられる自分になりたい。

そう願ってきたけれど、
それは、与えられるものを受け取ることしか
できなかったからかもしれない。

相手の顔色を伺うとということは、
相手に情緒感染を仕掛けないということ。
感染される一方ってことなんだ。

なれるかどうかわからないし、
どうやってなったらいいかもわからないけれど、
もしも、本当に現実に左右されることなく、
いつも心が晴れやかで、清々としていて、
命が健やかでいられたら、それだけで、
提供する側に回れるのかもしれない。

命は、存在するだけで尊いし、
敬われる対象だけれど、
そのままでは、受け取ることしかできない。

受け取ったものを、還元してゆくには、
与えられるように変わること。

大きな社会貢献はできなくても、
現実に左右されず、
ポジティブな影響力を身につけるだけで、
与えられる側から抜け出せるのかもしれない。

自分の運気を営むことで、
周囲の運をも変えてしまう。

そんな魔法を使えるようになるとしたら?

そんな魔法を使える人々に、
私は助けられて来たんだな。

いつだって、足りなくて、満たされなくて、
ダメで、嫌いで、どうしようもない。
今だってそうだ。

けれど、
足りないなら、足りなくないことを、
満たされないなら、満ちていることを、
ダメなら、ダメでないことを、
嫌いなら、嫌いでないことを、
どうしようもなくないことを知る。

ないと思えても、全てがあること。

それ以外の救いはないのだと、
今の私は知っている。

全てがあるなら、
現実に左右されない未来だって、存在する。

思い描けたのなら、
未来の選択肢になりうるということ。

それを、選んでゆこう。

自動生成される現状維持ルートを壊し続けよう。
目指す未来が自動生成されるまで、ぶっ壊す。

どうしたらいいかわからないけれど、
選ぶ未来は、それのみ。そう決めた。

選ばないという選択肢から作られる
自動生成の未来を壊し続ける。
とりあえずは、そこから。

現実に左右されない未来は、
人から好かれなくてもいいし、
嫌われてもいい世界。

自分であるだけで、
太陽のように周囲を照らし、
世界を変えてゆく。

強要しなくても、
偽善とか、鬱陶しいとか、思われるだろう。

ネガティブ全開の時の、会いたくないタイプ?
人の心を逆なですることはしたくないけれど、
嫌われてもよしとしよう。
私が、距離感を掴めなかっただけのこと。
私の失敗。
次があるなら、距離を図る。
それでよし。

具体的な成功とか、社会貢献はできなくても、
一緒にいる人を明るい気分にすることも、
世界を変えることだったんだな。

私だって、明るい気分でいることはあるけれど、
それをいつでも誰にでも振りまくのは、難しい。

思い上がってたわ。
人生を舐めていた。

影響力が強くて、民衆を笑顔にできる
アイドルや、スポーツ選手や、お笑い芸人は、
聖なる職業だったのだな。

崇めるしかない。

 fumori 


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