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勇気という必殺技を使うために。

赦せないのなら、認めればいい。

認められないのなら、愛せばいい。

愛とは、全てが今にあること。

あるを認めるということ。

ネガティブな想いや
醜悪で未熟な人間性も
自分の中にあること。
あっていいということ。

愛は、好きとは違う。

望まなくても、嫌いでも、
赦せなくても、認められなくても、
存在そのものを肯定した状態。

罪を許すのではなく、存在を赦す。
認められない自分を認める視点。

それが、愛なのかもしれない。


そんな愛は、今に溢れている。

だから、生きている限り、
今いる場所にいることを赦されている。

…はずなのに、
ここにいてはいけないと思う。
こんな自分ではいけないと思う。
愛とは無縁の世界にいるような気がする。

つまるところ、私は、未熟なのだ。
言葉では言えても、納得はしていない。
腐りきった人間性を認められないでいる。

悪いところもあるけれど、根はいい奴。
腐りきった根っこの部分を必死で守っている。

そんな覚悟だから、
変わりたくても、変わらない。

変わるつもりが、いい人を演じていただけ。
自分の首を絞めて、苦しんでいる。

性根がタダれたままなのだから、
罪悪感が止むことがない。

自分を恥じる気持ちが、
無意識から常に湧き上がっている。

人間性が未熟であることを、
なぜ隠しておきたいのだろう?

認めてしまえばいいのに、
なぜできないのだろう?

固執するほどの価値なんかない。
腐っているのだから、
隠しておくほど異臭を放つ。
内側から膿んで、心から溢れたら、
体に障りが出るかもしれない。

なにもいいことなんてないのに、なぜ?

怯えているのだ。私自身に。

誰かに知られたくないというより、
自分自身がそんな人間であることに怯えている。
腐りきった本性を持つ自分を、恐れている。

弱く、ズルく、
人を見下すことで安心し、
幸せを自覚できるなら、
他者の不幸さえ望もうとする。

他人の噂や悪口を楽しみ、
自分はいい方だと、
まともな人間だと安心したい。

そんな人間を、最低だと思っていた。
今だって、思っている。

けれど、自分の中に、
そんな気持ちはなかっただろうか?
微塵もないと言い切れる?

なりたくない人間が、私自身の本性。

認めたくないのは、望まない現実だから。
本性の醜さは、心理的な脅威をもたらす。
沢山のよいことで打ち消そうとする。

本当に、未熟だ。
よいことをしたって、
あるものはなくならないのに。

よいことをすれば、気持ちが軽くなるし、
忙しいから、怯えずに済むというだけの話。

あるのなら、認めるしかない。

認められないのは、認めたら、
変えなければならなくなるからかも。

本当に、今更だ。
今から変われたとしても、
得られるものなんてあるだろうか?

若かりし頃なら実りもあっただろうに、
今から変わったところで、
現実が大きく変わるとは思えない。

得られるものなんて、
変化そのものくらいなもの。
今ではない自分、とか?

…あれ?

私は、今とは違う自分になろうとして、
苦しんできたのでは?

違う自分を演じることと、変わること。
なにが違うのだろう?

演じることだって、
今とは違う自分を手に入れる手段だ。

やっぱり、
スタートのポジショニングが重要なのかな?

演じる時、スタートに立っていたのは、
根は悪くない自分だった。

だから、
表現するキャラクターを学び、
演じることにした。

根はいい奴だから、
人間性まで変える必要はなかったを

性根の腐った自分なら?

認めること。
本性の醜さと、変えようと思っても、
変えられないことを、認める。

変わらないことを、認める。

人は変わる。
それが、世の理だ。

ただ、変わるのは、性格じゃないかな?
性格は、ジャッジと表現に過ぎないから。

その人にとってよいと思える価値観の表現。

人間の本質は、みんな同じ気がしている。
人格の中にある人間性は、
全ての人に共通するもの。たぶん。

それは、望まない自分も存在するということ。
嫌悪を通り越し、怯えるほど醜い自分を、
なくすことができないこということ。

誰もが未熟で、未熟な自分と戦っている。
しかも、その戦いは、死ぬまで続く。
なくそうと思っている限り。
赦せない限り。認められない限り。

永遠に別れることのできない自分。
それに気付けたら、スタートに立てるかな?

あとは、選ぶだけ。

死ぬまで戦うのは、しんどい。
自分を恥じ、怯えて生きるのも。

どちらを選ぶか?
ネガティブな気持ちが問いかけている。

それは、変わることを、戦いを、自分に負けない
選択を強要しているわけではないのだな。

ただ、問われているだけ。
今のままなら、
この気分を味わい続けることになりますよ。

嫌なら変えると決めて、気付いてくださいよ。
あなたが望んでいることは、叶いませんから。
いなくなったりしないですから。
ずっと死ぬまで一緒ですから。

そろそろ認めてみては?
別に、認めなくてもいいですけど。
嫌な気分が続くだけですし…

アドバイスというか、愚痴というか、
独り言みたいなものなんだわ。
それだけなんだわ。

未熟な人間性は、周囲に迷惑をかける。
だから、嫌われる。好かれない。

好かれたいなら、変わればいいし、
変わりたくないなら、
好かれないリスクを引き受ける。

そう思うと、現実はシンプルだ。

本当か嘘かはわからないけれど、
私に理解できる現実になる。

自分がわかる現実しか、体験できないのだな。
残念なことに、私の世界の解説書は、
私にしか書けないのかも。

現実が複雑なら、わかるように噛み砕く。
人よりもできが悪い自覚があるなら、
自分でわかりやすい世界を作る。

頭のいい人々の知恵を借りるのは、それから。

認められない自分は、変えようのない自分。
なくならないから、変えようなんて思わない。

ただ、本性の意地汚さを知るだけでいい。

認めなくたっていい。赦せなくて当然。
私は、そんな自分を望んではいないから。

例え、本性がなんであれ、
良心に背くことはしたくない。
自分を好きになれそうな方を選ぶ。

未熟、劣悪、卑怯、臆病。
彼らは、死ぬまで一緒だし、
いつだって揺らがない。

すぐにいなくなってしまう
素敵な自分とは違って、
些細な不安でもすぐにやって来てくれる。
不安に漬け込んで、良心を裏切ろうとする。
小さな得を選んで、罪悪感に苛まれる方を選ぶ。

それが、私の本性だ。

認めなくても、赦せなくても、
いつだって私の一番近くにいる。
私を孤独にはしないし、上手に唆す。

変わるということは、そんな居心地の
いい仲間たちと距離を置くということ。

誘いを断り、独りぼっちで生きて行くこと。

そんな過酷な生き方を選ぶから、
勇気という必殺技が使えるようになるのだろう。
勇気を振り絞らないと選べない人生。

楽して生きたいという願いからは、
遠くなりそうだ。

さて、今日の私は、どちらを選ぼうか?

 fumori 



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