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生きることなんて、死ぬまでの過ごし方でしかないのかもしれない。

死にたくないから、
生きることができなかった。

ゴールは死なのに、
死ぬのが怖いんじゃ、
前を向けるわけがない。

だから、
生きることにも背を向けて、
過去に逃げ込んだ。

命を惜しんで、
無駄遣いしないようコツコツ貯め続けた。

携帯の充電みたいなものだと思っていた。
生まれた時がマックス。
誕生の瞬間が、充電100%。
何もしなければ、じわじわと目減りして行く。

だから、
体にいいものを食べたり、
ストレッチしたり、
知識を得たりして、
命を養ってゆく。

それでも、電池は衰え、
充電しても、すぐに切れるようになる。

それが、老い。
それが、生きることだった。
私にとっては。

命を使う勇気なんかなかった。
使ったら、それだけ早く死んでしまう。

節約した人生が、楽しいはずもなく、
ケチで、心貧しい生き方だったと思う。

目減りする命のゲージを、
ポーションで回復するだけの日々。
回復薬を手に入れるために、働く。

つまらない人生。

ただ節約するだけで、
使うことができない。

明日の暮らしに困るわけでもないのに、
老後破産が怖いからって、
毎食、白米と塩で過ごせる?

お金と命は似ている。
いくらあっても、使えなかったら意味がない。

通帳に残金がいくらあっても、
使えないなら貧しいまま。

命を使えなかったら、
生きることなんか、意味不明だ。


そんな生き様に疑問を抱き、
命の有り様を疑ってみたら、
生きることと、死ぬことは、同じだった。

死を恐れるから、生きられない。
それは、命が目減りしてゆく設定だから。

その設定を、変えてしまえばいい。
誰も自分の命が尽きる日時を知らないのだから。
医者ですら、余命を言い当てられないもの。

体は老いるけれど、
命って、老いるの?

命の泉は、湧き続けている。
源泉掛け流しの温泉みたいに、
惜しみなくダダ漏れている。

生きている限り、
死ぬまで命は湧き続けている。

そんな設定なら、命を惜しむこともない。
どれだけ無駄遣いしても、
使い切れないほど、溢れるものだから。

私の命は、潤沢な掛け流しってことにしよう。
じゃんじゃん使おう。

大切な命だから、
誰かのために使おうと思ったけれど、
そんなケチケチしなくてもいいんだわ。

あやかってみたかったバブル期の接待みたいに、
クレイジーな無駄遣いをしたっていい。

自分のために使ってもいい。
全然関係のない世界のために使ってもいい。

命を使うことが、
前向きに生きることなら、
生きるための目標は、死ぬこと。

死というゴールに向かって、
寿命まで突っ走ってもいいけれど、
過去に逃げ込みやすい私の場合、
一日で区切った方が、
執着せずに済みそうだ。

日々、死んで、日々、生まれ変わる。

かつて出会った岡本太郎の著書に、
似たようなことが書いてあった。

毎日か、毎瞬か忘れたが、
自分を殺して、生まれ変わる、と。

彼の人生観に衝撃を受けたものの、
そんな破滅的で創造的な生き方は
アーティスト特有のもので、
私には無縁のものと思っていた。

けれど、
死の恐怖を知るものにとって、
死に向かって生きることは困難極まるわけで、
だからこそ、死ぬ前に後悔しないよう、
よりよく生きようと思ってしまう。

私は、そう決意して、ドツボにはまった。

よい人生になればなるほど、
生に執着するようになる。

よりよく生きようとすればするほど、
どんどん死の恐怖が増す。

生きようとすれば、死の存在感が高まる。

幸せなのに不幸なのと似ている。

幸せが増すほどに、
望みが叶うほどに、
希望がなくなってゆく。

現状とは対極にある価値観が色濃くなる。 

だから、
よりよく生きるのではなく、
無駄に死んでゆくことにした。

私が望んでいた生は、
死に向かうことでしか得られない。

死ぬことが、生きることだった。

溢れるほど潤沢な命を使って、
贅沢に豊かに死ぬこと。

死ぬまでの時間を、
そんな風に過ごしてみたいのかも。

 fumori 

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