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現実が突きつける日常のささやかな選択が、未来を創っているのかもしれない。

誰もが、己の人生の主役。
だとしても、ヒーローとは限らない。
私の場合は、モブだった。

人生は選択の連続、と言うけれど、
未来が劇的に変わるような大きな選択なんて
モブの人生にはないに等しい。

進学とか、就職とか、結婚さえも、
昭和という時代に敷かれたレールを走る私には
初期設定みたいなものだった。
自由意志と言いながら、
選択しないとGがかかる始末。

なので、私にとって選択というのは、
その程度のものだった。

映画「マトリックス」のように、
人生をガラッと変えるほどの効力はない。
ネオではないし、モーフィアスでもない。
スミスですらない。

スミスに乗り移られる通行人。
それこそ我がモブ的人生なり。

なんて思っていたのだけれど、
選択の意味を履き違えていたような気がする。

なにかを選ぶということは、現実への対処。

現実という今が突きつけてくるあれこれに、
こっちの方がいいとか、得とか、安全とか、
リスクはあるけどこっちがいいとか、
その場で判断して選ぶこと。

与えられ、問いかけてくる現実というボールを
いかに上手く、スムーズに打ち返すか?

それが、選択だと思っていた。

未来は今。
選択を求められているのは、
常に今しかないから。
今の選択が、未来を創る。

とは言え、
未来に影響するような選択なんか、
日常には、殆どない。

ありふれているのは、
そろそろご飯と食べよっか?
なに食べよっか?
先に、トイレに行く?
でも、作業を終わらせてからにする?
あ。買い物も行かなきゃ。

仕事がなければ、そんなもの。
仕事があったところで、
慣れてしまえばパターン化してくるし、
さほど責任ある立場でもないので、
未来を変えるほどの選択権もない。

言われたままにやることをやって、
文句を言うくらいなもの。

それが、現実対処の選択。

けれど、選んだ先に、未来があるのなら、
なんの影響もなさそうなささやかな選択でも、
それによって、未来は変わってしまうだろう。

大げさに言えば、
今トイレに行くか、五分後にするかで、
未来は変わるということ。

ほぼ変わらないだろうけれど、
これからする選択が、
これまで通りとは限らない。

日常にありふれたどっちでもいい選択には、
未来を変える力があるのかもしれない。

昭和のレールから脱線した今、
未来は、どこにだって繋がってしまう。

しかも、私の未来は、前だけではない。
全方位に広がっている。

恐れや不安に喜びを見出すことができたら、
そんな自由を手に入れることができたら、
これまで無意識に避けてきた選択も可能になる。

世界は相対しているなら、選択肢は倍になる。
その先にある未来なんて、
どこまでだって広がって行く。

だとしたら、トイレにいついくか?
という問いは、ガラッと人生を変えてしまう
ほどの選択かもしれないということ。
モーフィアスがネオに選択を迫った時のように。
赤と青の薬を選んだ時のように、
劇的な変革をもたらすのかもしれない。

もたらさないかもしれない。
けれど、言い切れはしない。

私たちは、なにも考えなければ、
無意識に望む方を選んでいる。

人生が望むものと違うとしたら、
望んでいる方向が間違って
セットされているのかもしれない。

人生になにかを望むなら、
日常にありふれた全ての選択を
望む方向へ近づけてゆく。

私は、今、自分を好きになれそうな方を
選ぶことにしているのだけれど、
そう決めただけで、選択への意識が変わった。

ほぼ無意識だった選択の前に、
自分へ問いかることが多くなった。

これをすることで、私は昨日より、
自分のことを好きになるだろうか?

その基準ができただけで、
意識的で居られる時間が増えた気がする。

選択そのものが変わったとは思えないけれど、
選択時に今を意識する。目的を思い出せる。

私は、自分を好きになりたい。
好きになるために、今日を生きる。
できることはやる。

それだけで選択の意識が変わるなら、
そして、未来が本当に変わるなら、
未来なんて望むままじゃない?

目標を変えるだけで、選択が変わり、
今を意識的に生きられる。

選択が大切なのは、もたらす結果より、
今を意識できるかどうか?

望んでいる方向が、
無意識と同調しているかどうか?

無意識に刷り込まれた願望ではなく、
意識している望みを叶えたいなら、
無意識の選択を止めることが最優先。

今に留まることは、とても難しいけれど、
志を立てることで、選択のたびに
今に引き戻されるようになる。自動的に。

意識的に選択を続けること。

そして、選択は、
日常のあらゆる現実に及ぶ。

過去からのギフトとして
突きつけられる現実に対処するのではなく、
望む未来に相応しい選択をすること。


どれだけ目標を立てても、
無意識で選んでいる現実は、
安全確実な現状維持だろう。

意識して、結びつけないと、
望む未来の方向へは行けない。

引き寄せができる人は、
無意識と意識のベクトルが合っているのだろう。

天性のヒーローは、それ。
理想と自分が合致している。

モブには難しい。
変わりたいなら、変えたいのなら、
無意識を変えるより、今を意識する回数を
増やした方が効果的な気がする。

望みを明確にして、決断して、
意識して、選択する。
それなら、モブの私でもできそうだ。

それをひたすら積み重ねた人が、
後天的なヒーローなのかもしれない。

側からみたら、
なんの努力もしていなそうだけれど、
どんなつまらない選択でも、
目標に結びつけて、選び続けている。

もしかしたら、
私がヒーローだと思っている人には、
勇者の自覚なんかないのかもしれない。

天性のヒーローなんて、身近にはいないのかも。初めは、みんながモブだったのかもしれない。

傍目には、手の届かないスターに見えても、
日々、自分にがっかりしたり、
少し楽をしてみたり、がんばってみたり、
やっていることはモブな私と
さほど変わらないのかもしれない。

日々、多少なりとも
自分のためになることをしているか?

そのささやかな選択が、意識が、
小さな違いを生み、未来に大差をつけている。

私はヒーローではないけれど、
望みに叶う選択をしてゆけば、
ハッピーに生きられるような気がしている。

ヒーローだろうが、モブだろうが、
幸福値には無関係なんだよね。

どう生きて、生きてきたことをどう思えるか?

私の最終目標はハッピーエンディングであって、
ヒーローになることではない。

ただ、そうやって死んでゆく私を、
どう評するかは、私以外が決めること。

才能より、選択。
意識するための、目標。

希望がなければ、人生を選べない。

死ぬ間際であっても、だからこそ、
希望は必要になるだろう。

夢見がちだと、バカにされることは、
希望の才能に溢れていること。

なら、バカになって、夢を見ていたいものだ。

 fumori 

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