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心根が善良なら、心を育むはずのことが、心を蝕んでいたのかもしれない。

悪事は裁かれる。
害をなせば、相応の罰を受ける。

そんな社会のルールが適応されるのは、
行為に至った後のこと。

自我の解釈のまま生きていれば、
報いを受ける可能性は高くなる。

犯罪を犯していなくても、悪気がなくても、
自我は相手の領域を犯してしまう。

自我が見ている世界は、
自分にとって都合のいい世界。正しい世界。

相手を理解してるつもりでいるけれど、
見えていない世界があることに気づかない。
わかる範囲で辻褄を合わせて、
理解していると誤解する。

行き違いが生まれるのは、
自我で世界が歪んでいるから。

そして、
そんな歪んだ世界で、
今日も生きております。

なら、私は裁かれるべき存在なのだろうか?

否。であってほしい。
自我があるだけで裁かれるなら、
誰もが罪人だもの。

行為に至っていないなら、
ネガティブな感情には罪はない。

なのに、ずっと、否定してきた。

怒ったり、悲しんだり、悩んだり、苦しんだり、
妬んだり、僻んだり、恨んだり。

そういう感情を抱くことは、よくないこと。
そういう自分は、いらない自分。

そうやって、否定して、拒絶して、
消滅させようと努めてきた。
なくならないものは、ないものとして扱った。
心の奥底に、押し隠した。

そんな必要もないのに…
なんで隠さなければならなかったんだろう?

全ての感情は、愛から生じる。
愛は、全てがある状態。命が刻む今。

なら、生きている限り、どんな感情を抱いたっていいはずなんだよね。どんなネガティブな感情も、生み出された瞬間に、既に赦されている。

だって、愛だもん。全部あっていいんだもん。

どんな卑劣で非道な感情でも、
感じている限りは、自由。
誰の赦しもいらない。

自分以外に精神を縛るものはないのだから、
自分を責めさえしなければ、
そのまま消えてなくなったのに…

裁かれるのは、言動。
自我の解釈のまま、行為に至った時。

なのだけれど、言語化されてしまうと、言わずにはいられなくなるから、感情そのものを縛るしかなかったのかな、私の場合。

思いつくままに口にしてしまう性格が、感情を押し殺すようなシステムを創り上げたて、苦しみを生み出していた。としたら、相当、切ない。

そりゃ、私が悪いんだけれど、自業自得なのだけれど、生まれた時点で、素の性格に問題があったのだとしたら、どうしようもないことじゃない?

そのせいで、問題のある性格が、更にねじ曲がって、余計に苦しむ人生になったのなら、悲劇だ。

ヒロインぶるつもりはないけれど、なんでこんなに悲しいことが起きてしまうんだろう。

心根が善良なら、薬になる教えが、
私には毒にしかならなかった。

よかれと思って、心を育もうとしたことが、
心を蝕んでしまった。

もちろん、八つ当たりやら、間違った考えやら、自分勝手な言い分を飲まされたり、いいことばかりではなかったけれど…
今でも、思い出すと腹が立ってけれど、
それでも、私が認識しているより、
優しい世界だったのかもしれない(仮)。

もう遠すぎて、思い出すことはできないけれど。
痛い感情だけが、取り残されている。

現実は理不尽で、生きることが辛かった。
それは、この先も変わらないのかもしれない。

願わくは、無駄に苦悩することなく、
ありのままの現実を生きてほしい。

性格に問題があると、良識や教育が、
悪影響を及ぼすこともある。
そういう時代だったのだろう。

令和が救いのある時代なら、とても嬉しい。

救われないまま年老いた魂が、
救われる世界が今であって欲しい。

感情を縛ることなく、
思うままに感じられるように。
自分であることに安心していられるように。

責めている自分を、赦せるように。
赦されていることを、思い出せるように。

赦すことができないのは、
十分な良心があるからだと。

感情そのものは、悪ではなく、愛。

感情を言語化して、自我が解釈すると、思想になる。ネガティブな感情から生み出された思想と現実とのギャップが苦悩。

良識に反する思想を実行すれば、罰せられる。
それが嫌だから、行動に移さないけれど、
敵対する良識には、納得がいかない。

そういう自我が存在することが、苦悩の原因。
なら、現実は道を踏み外さないためのガイド。

理不尽な現実は、
理不尽な自我が存在しているというサイン。
自我としては、納得できないから、
現実が悪いという理由を探す。

そんなことを繰り返して、
苦しみが長引いてしまった。

どうしたら、こんな罠から抜け出せるんだろう。
どうしたら、見抜けるのだろう。

まっすぐな心を保ったまま、
生きていかれたらいいのに。

素直に、心のまま生きられたら、
現実が牙を剥くことはないだろうに。

同じ現実でも、あれほど苦しむことはなかったのかもしれない。

私という人間は、
良識だけで生きられるほど、
質の良い人間ではない。

そんな本性を恥じている。

けれど、
それが自分であることを否定しない。
正当化しなければ、解釈も始まらない。

自分を飼いならす。
懐かなかったのは、嫌っていたから。

同じ命を分け合っていることを、嫌悪していた。
存在を否定し、赦すことができなかった。

全部が自分。全部が命。

あるがままの心を生きられますように。

臆することなく命を表現できますように。

未来が安らかでありますように。

 fumori 




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