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やっとただの人間になれた気がする。

私の中にある善悪。

境界を越えてしまった
好ましくない側の自分。

そちら側の自分を、
認めることができなかった。
どうしても。

なんとか赦そうとしてきたし、
赦せたつもりだったけれど、
いなかったことにしていただけだった。

ずっと、好ましくない自分を拒絶してきた。

死にたかったのは、たぶん、彼女。
むしろ、死んで欲しかったのかな。私に。

きっと同じことだから。


彼女を抹消するには、
私が死ぬ以外にない。

命には、二つの意味がある。
二つが揃って、命になる。

明暗。昼夜。陰陽。
命は、両極を内包している。
対極を繋いでいる。

私個人の悪い所と思って否定していたのは、
人間性そのものだった。

私の中に、それほど愚かな、
卑しい人間性があることを、
認めたくなかっただけ。

感じたこと、思ったことの全てが、私。

価値観や解釈の問題じゃない。
もっとシンプル。

私とは、
今、思っていること、感じていること。
その全て。今、そのもの。

命であり、全てある状態。愛そのもの。

私があるのではなく、
命があり、今があり、愛がある。
その一部が、私らしき認識を帯びている。

私がいるから、世界があるのではなく、
全てがある状態、今の一部を私が担っている。

認めたくない自分を、
人間の本質とすることは、
私にとって都合がいい考えであって、
真実とは限らない。

けれど、それでいい。
私が決めて、選んだ。
間違っていたとしても、
その結果を追えばいい。

どれだけ恥ずかしくても、
ズルいこと、卑怯なこと、悪どいこと、
情けないことを考えていても、
ドン引きするほど醜い自分が、本質。

私の本質ではなく、人間の。

悪だくみする自分を罰してきたけれど、
思うだけなら、何一つ悪くなんかない。

感じることも、考えたことも、
実行していないなら、
なんの因果も紡がない。

考えたことは、行動の端々に出てしまうし、繰り返すと無意識に落とし込まれるから、無害ではないけれど、今、そう思うだけなら、心の機能とか、働きとかと同じ。

過去に理由を探さなくていい。

本質は、オートマチックに
感じるもの、考えるもの。

振り分けている前提があるだけ。


感情、思考に執着するなら、悪いのは私。
それが、因縁となり、現実を創り出す。

今だけなら、次の瞬間は別の今と向き合うだけ。

どれだけ醜い情緒でも、
私が醜いわけではない。

私の中にある人間の本質は、私ではない。

感じること、考えること。
その全てを自分のものだと思うから、
自分を罰するという発想になる。

自分の価値観だと思い込んでいるから、
自分を悪者にしないと辻褄が合わない。

自覚できる価値観なんて、
ほとんど誰かのものなのに。

誰かのためのものであって、
私のためではないものなのに。

こぞって自分の存在を
証明しようとするから、
自分以外の他者が生み出される。

みんな、さほど変わらないのに。

考えることも、感じることも、
個性ではなく、人の本質から
生み出されている。

前提や、環境や、経験や、知識や、
そんなものの違いで、
受け取り方が変わるだけ。

そういう個人がいるというより、
そういう本質が露わになっている状態。

あるのは、
個人ではなく、個性。

同じ状況でも、考え方や感じ方が違うのは、個人だからではなく、個性によって受け取り方が変わるから。

けれど、どれも本質。
どれも、人間。

個人だと敵対するけれど、
みんな、人間なだけなのかも。

特別な人間なんていない。
所詮は、人間。
個性の違いはあるけれど、
本質は同じ。たぶん。

いなくていい自分なんていない。

苦しかったのは、存在してはいけない
自分に怯えていたから。

本音と建前を使い分けることが苦手だった。

本心とは違う自分を現実で演じることが苦痛すぎて、心の中の自分を現実に合わせようとした。

現実は、主観でありながら、
他者の価値観で埋め尽くされている。

当然、感じる方の自分を
制約することになる。

それが、存在否定の始まり。たぶん。

自分を否定することは、
人間でありながら、
人間性を否定することだった。

そりゃ、まともに生きられないよ。

感じるままでいい。
思うままでいい。

そこは本来、なんの制約もない場所。

人間である限り、
頭の中、心の中は無限がデフォルト。

思うままに行動したいなんて発想が、
間違っていたのかも。

守りたいのは、現実だった。
だから、精神を犠牲にしてきた。

けれど、精神を犠牲にしなくても、
現実を守ることはできる。
今より少しだけ、執着を弱めればいい。

所詮は、現実。

現実を生きることは、もちろん大事なのだけれど、精神の犠牲の上に成り立った現実は、苦痛でしかない。

中と外は同じだから。
私が世界だから。

最低限の本能を満たしているなら、
贅沢を望むより先に、
精神を自由にした方が、
現実は満たされてゆくのかな?

そうなるといいな。

本能が満ち足りて、
精神が自由で、
現実が豊かでありますように。

やっと、ただの人間になれた気がする。

 fumori 


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