幸せになりたいと願いながら、不幸を望む理由について。
このところ迷っている。
どうにも心が定まらない。
こんな時は、神頼みだ。
家でグダグダしていたかったけれど、
休んだところで決心なんかできやしない。
そうやって先延ばしにした挙句のリミットだ。
行動しない限り、今日を繰り返すだけ。
朔日ですし、雨も上がってきたし、
これは来いという合図かもしれない。
そう思い込んで、行ってみた。
来てよかった。
迷っていたのは、正解のない決断。
私が満足できれば、それが正解になるもの。
つまるところ、相手を信じられるかどうか。
信じてみようと思った。
疑っていたら、相手もそのつもりで対応するだろう。騙してもいい相手だと、思うかもしれない。
だから、信じると決めた。
なのに、心が定まらない。
相手を信じれば、相手も私を裏切ろうとは思わない。なんて、私のルールを押し付けているだけではないだろうか?
裏切られても、
相手を責めずにいられるだろうか?
人を信じることと、
信じるフリをして
責任を丸投げすることは違う。
人を責めたくなるのは、
自分で選んでいないから。
言われて仕方なく従うのは、
選べないから。選びたくないから。
責任を取りたくないから。
そうやって、逃げてきたんだ。ずっと。
誰かのせいにして、決断を避けてきた。
決めないように、注意深く。
誰かのせいにして。
仕方のないフリをして。
被害者を装って。
責任を取りたくなかったのは、
バカにされるから。笑われるから。
それ見たことかと、見下されるから。
私になんか、できるわけがない。
それらは確かに過去の仕打ちで、思い出す度に傷口をえぐってくる。
中途半端で、ルーズで、やると言ったこともやらない。約束を守らず、泣けば助けてもらえると思っている。自分一人では何もできない甘えた子供。
あんたなんかに、できるわけがない。
事あるごとに私を責め続けてきた声。
それは、過去の記憶ではなかった。
過去のフリをした、私自身だった。
私の中の罪悪感らしきものが、失敗をせせら嗤い、自分をバカにし、ほくそ笑む。
過去の記憶は、カモフラージュ。
無言の映像が流れているだけで、過去にはもう私を傷つける力などない。単なる記録映像。
その画面の吹き替えをしている奴が、私を唆し、無謀な挑戦をさせたり、勇気を挫いて引き止めたり、失敗をささら笑って、やることなす事、揚げ足を取って、私を傷つけてきた。
だから、過去を癒しても、リピートされてきた。
懐かしい映像に過ぎない過去は、私を傷つける力など、持ってはいなかったのに。
私を責め続けていたのは、罪悪感らしきもの。
柔らかな弱い心につけ込み、私の苦しみを喜びとしてきた。
幸せになることを許さず、
赦されることも認めず、
責められる事を求めるもの。
それが、決断できない理由だった。
幸せを願いながら、一方では、
不幸になることを望んでいる。
騙されたくないと思いながら、
裏切られるルートを探している。
起きて欲しくないことを望む存在。
だから、信じられない。
相手をではなく、自分を。
不幸になることを望む自分がいると、気づかないまま、知っていたのかもしれない。
相手を信じられないことにして、
信じようとする私を引き止めていた。
それが、私の自由を奪っていると思っていたけれど、不幸を願う思想から守っていたのかもしれない。
赦されたかったのも、
愛されたかったのも、
死にたかったのも、
それかな?
罪悪感の役目は終わった。
何もできない子供ではない。
責任を取るなら、不幸をネタに守る必要はない。
幸せや、赦しや、愛されることは、責任が伴う。責任を負う覚悟があって初めて、解禁されるシステムなのかも。
罪悪感は、試金石だったのかな?
過保護に育てられてんな。
愛されて当然のお子ちゃまは。
どうもありがとう。
地に足のつかない私の代わりに、現実をフォローしてくれる人がいたんだよね。尻拭いさせてしまって、ごめんなさい。お世話になりました。
決断できないのは、自分を信じられないから。
責任を丸投げするのではなく、
信じるかどうかを選ぶこと。
失敗したら、選んだ責任を負う。
けれど、自分も責めない。絶対に。
信じる勇気と、
裏切られても誰かのせいにしない覚悟が欲しい。
信用できる人間か、見極められる目が欲しい。
何があっても、自分を責めない。
誰かを恨みたくない。
赦されてはいけない自分は、まだいる。
きっと、永遠に消えはしない。
弱気になると、むくむくと力を取り戻すだろう。
けれど、自分を責めることはもうしない。
絶対にしない。そう決めた。信念にする。
一生、貫いてゆく。
やっちまうことはあるし、落ち込んだり、後悔もするけれど、でも、私を責めたりはしない。
受け止めきれなければ、環境のせいにしたらいい。人を恨まず、自分を責めず。
もう罪悪感に付け込ませない。
選べなかった理由は、失敗を恐れていたわけではなかったら。
怖かったのは、罪悪感に責め苛まれること。
私自身が、私の不幸を望んでいること。
罪悪感が一番気づかれたくなかったことであり、気づいて欲しかったこと。
決断するためには、
不幸を選ぼうとする自分がいることを知る。
二度と自分を責めないと決める。信念にする。
誰かを恨みたくないという願いを全力で叶える。
裏切られる覚悟。
結論を引き受ける覚悟。
信じる勇気を出す。
自分も相手も、信じるスタンスでいる。
迷ったら、考える。
迷いがないなら、信じて進んでみる。
結局、勘に頼ることになってしまうのだけれど、いいのかな?
2021.7.1
fumori
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